昨日の、悩んでいる患者さんについて。
今日は、カンファレンスでそのことを話し合ってみました。
話し合いのテーマを「振って」みました。
患者さんは自分の現状があまりにも圧倒的過ぎて、認識が偏っていること。
患者さんは、かなり病状が進行しているにも関わらず、今も「治ること」をスタッフに求めていること。
患者さんがある程度、怒りをスタッフにぶつけるのは仕方がないこと。
こんな話がでました。
でもね、それって、スタッフは十分にわかっているんですね。
「それでも。」
そう、この、「それでも」ってところの気持ちの行方をどうしていくかというところは、チームでの話し合いに必要なところだと、私は切に思います。
病気とともに生きている患者さんの気持ちは誰だってわかっている。
それをわかっているけれども、あまりにも患者さんの要求が自分たちが応えられるもの以上のものだと、お相手が患者さんだから、ゆえ。
そのニーズに応えられないと、
結局のところ、スタッフの後悔やら、傷となって残ることがある…。
何が言いたいのかというと…。
申し訳ありませんが、患者さんやご家族をケアするスタッフも、実は、とってもケアを必要とする存在なのです。
そういうことなのです…。
もちろん、患者さんの安寧を犠牲にしてまでの、スタッフの安寧はスジが違っていると思うのですが、本当に、本当に、スタッフが、どんなにがんばっても、がんばっても、患者さんには満足をしてもらえず、罵倒されてばかりで。
罵倒される原因は、患者さんの性格やこれまでの人生や病状に関連するので、病気が悪いのだ…という見方ももちろん、できますが…。
正論だけでは片づけられない人の心。
それでも、
私たちは、患者さんやご家族を見捨てることはありません。
絶対にありません。
これは、言葉だけでは伝わるものではありません。
日々の、その時々の、患者さんと私たちの時間で患者さんに受け取ってもらえるかどうかによって、ずいぶんと違ってきます。
だから、
自分たちのストレスマネジメントというのは、とっても大切なんだと痛感します。
エネルギーを振り絞って生きている患者さんが生きていくのをお手伝いするには、私たちも、自分のエネルギーを注ぐ必要がでてきます。
それは、すべてが意図的ではなく、義務としてではなく。
相手も人、自分も人というスタンスをとりながらのお手伝い。
きれいごとと、現実の、私たちが抱く疲労…これって、「ダークな」部分なのかな…。
この折り合いを、日々つけていけるように、チームが話し合いをしながら、お互いをサポートしながらやっていくしかありませんね。