緩和ケアで行こう

へなちょこ緩和ケアナース?!のネガティブ傾向な日記です。

旅立ち

2009-09-28 20:28:49 | 緩和ケア病棟

 不思議なことに、病棟で患者さんがお亡くなりになるパターンのようなものがあるような気がします。

 どなたかが旅立たれると、その次にどなたかが旅立ち、そして、またどなたかが旅立ち…。

 このところ、そんな感じになっているような気がします。

 
 緩和ケア病棟にベッドが30も、40もあることはまずなくて、せいぜい、10から20床くらいですから、患者さんが3人も旅立たれると、かなり、さみしいものがあります。
 


 ある先生が話していたところによると、「あの世に行くために三途の川を渡る船は、3人乗りらしよ。」と。

 この話がどこからきたものなのか、とか、本当にそうなのか?(本当にそうなのかというのはわかるはずがないのですが…)とか、信じてるの?とか、そんなことは横っちょにおいておいてっと…。


 私たちは病棟でよく、患者さんが亡くなられたあと、「あの世に行くための船」の話をします。ある先生のお話をきっかけに、みんなが「船は3人乗り」を前提にお話します。
 
 
 「3人乗りの船だったら、ちょっと、普通サイズでは小さいかも…。」
 →中に、体格のいい人がいるって意味でね。

 「船でみんなが好き勝手しゃべって、ちっとも前に進まなかったりして。」 
 →お話好きな人が乗っているって意味でね。

 「きっと、操縦するのは○○さんに任せたほうがいいかもね。」
 →運転が好きな方が複数いるって意味でね。


 こうやって、「3人乗りの船」に乗っているシーンを、それまでの患者さん像を思い浮かべながら、ちょっとくすくすっと笑いながらお話をしていきます。
 たとえ病棟で過ごした時間が数日であろうと、どの患者さんとも一緒に時間を過ごさせていただいた思い出が私たちにはあるので、その思い出を、ほんわか~と思い浮かべながらのお話になります。
 勿論、別れというさみしさや悲しさ、残念さなどの気持ちもあります。

 
 私の場合の話ですが、この「3人乗りの船」の話をしているときは、それまでの過程でいろいろあったとしても、かなり、穏やかな気持ちで患者さんのことを考えられていることがほとんどです。
 「その人らしさ」をダイジェストで思い出すわけですから、その人の「インパクト」を思い出すことになるんですね。
 患者さんが亡くなられることはとても残念なことなのですが、この会話が患者さんへの素敵で、面白い?メッセージになっていると思います。

 そして、この「くすっと笑える感じ」は、さらに患者さんをケアしてかなくてはならない私たちにとっては大切な気持ちの切り替えタイムであるとも思います。




 ところで、あの世に行くためには三途の川を渡るので、手段は船ということになるんだよね…。
 泳いで渡る人もいるんだろうか。
 川に橋ができて、車で渡れるってことはないのかな。
 川の端と端に木があって、手前にロープを括りつけて、ターザンのように渡るとか…。
 川を凍らせて、ボブスレーのようなものでしゅーーーーんっと渡るとか。
 途中で釣り糸を垂れて、お土産用の魚をゲットしてから渡るとか。

 そんなんはないんやろか。
 
 患者さんを思うとき、そんなんも「あり」なような気がします。
 

  

乾杯

2009-09-21 18:26:52 | 緩和ケア病棟

 普通の病棟…なら、許されなくても、緩和ケア病棟だからこそ許されることがあります。

 私は、緩和ケア科外来を担当していています。緩和ケア科外来を受診されたご家族には必ず、緩和ケア病棟の見学をしていただいております。その案内をするのが私の役割のひとつです。

 病棟を歩きながら、説明をする内容のひとつが、「一般の病棟と違うところ」です。
 
 「一般病棟と違うところ」の特徴的なところは、『動物の面会がOK』(施設によっては、動物の面会はだめなところがあります)、『飲酒はOK』(勿論、病状が許す限り、そして、他の患者さんに迷惑がかからない限り、ということです)、であります。
 これらは、緩和ケア病棟の「良さ」です。
 でも、緩和ケアについての認識がネガティブな方もたくさんいらっしゃいます。
 

 「命が限られているから、本来、許されないことが許されるのだ。」
  
 私は、この考え方に対しては、慎重であらねば、と思っています。

 
 確かに、緩和ケア病棟には、がんの終末期の患者さんが多く入院されています。
 自分の人生の時間に限りがあると認識せざるを得ないときが来た時、人は、それまでの在り方以上に、その時々の過ごし方を大切にしようとされます。
 その人が、自分の人生の時間に限りがあると認識していない場合(いろんな状況があってのことです)、私たち、医療者の方が、その人の人生をその人にとっての「その人なりの過ごし方」をご家族と模索することになります。


 それにしても、緩和ケア病棟に入院される患者さんは、多くが余命が限られている方です。
 そんな方だから、緩和ケア病棟なりの過ごし方があると、そう考えるのはあまりにもさみしいことだと思っています。

 多くの施設では許されないことですが、少しでもその人らしく生活できる環境が、病院にあるということは療養をする上では大切なことだと思います。

 あくまでも、余命が限られているので環境がいい、というのではなく、その人の生活を大切にするということで、その環境があるのだと思います。


 前置きが長くなりましたが…。



 先日の夜勤のことです。
 夜の業務が落ち着いたところで、患者さんと「乾杯」したんです。



 その方は、とてもお酒が好きな人で、毎日、ワンカップの瓶に1杯だけ、寝る前に飲むのを楽しみにしておられます。
 鹿児島から焼酎を取り寄せているくらい、お酒が好きな方です。

 先日まで、腸閉塞でお酒を飲むことが許されなかったのですが、治療の効果があって、お酒が飲めるようになりました。
 とても喜ばれていたので、私が冗談で、「乾杯せなあきませんな。」と言ったところ、「ほんまやなー。」と言ってにっこりされ…。
 夜にお部屋に伺うたびに、「一杯、やってくか?」と声をかけて下さっていました。

 さすがに、日勤ではほんのちょっとでも、飲むことができません。車で通勤していますから。

 そこで、「乾杯」を決行したのが、夜勤の時でした。

 病棟にあったお猪口をふたつ、お部屋に持って行き、焼酎をお猪口に半分ほど注ぎ、二人で乾杯しました。


 そりゃー、美味しかったです。芋焼酎の香りもよくて…。本音は、「もっと、飲みたーーーいっ!」でした。

 その患者さんのご家族は、誰もお酒を飲まないそうです。だから、私と乾杯できることをとても喜んでくださいました。ご家族も、患者さんが喜んでいる姿を見て、とても喜んでくださいました。

 「また、来てよ…。」と。


 ほんの数分の「乾杯」でしたが、あの場面は忘れることができない思い出になりそうです。

 緩和ケア病棟で過ごしていらっしゃる患者さんは、いつも病気のことを考えながらすごされているわけではありません。
 いつも、病気のことばかり考えて過ごさなくてもいいように、ちょっとした楽しみを作って差し上げることも私たちの役割だと思っています。

 


 
 

ありがたいっ

2009-09-19 02:39:42 | 

 今日は、仕事から帰ってきて、すっかりと眠ってしまったので、こんな時間にもそもそと動き出して、ブログを更新しております。

 世間は5連休ですね。
 私は何とか3連休は確保できそうです。ああ、ありがたや。
 

 
 今日は、患者さんの状態が落ち着いていたので、「亀さんペース」で進めている、研究でインタビューした内容の逐語録を作成する時間をいただきました。
 
 それにしても、手間のかかる作業だわ…。
 
 約30~50分くらいのインタビューの内容はICレコーダーに録音されてまして、私と参加者さんの会話の内容をすべて文字にしていく作業です。
 10分間の内容を文字にしようとすると、30分以上かかることが多々あります。
 
 
 文字をおこすってことは、自分のインタビューした内容を聞きなおすってことなんですよね。
 考えてみれば、逐語録は、単なる研究のツールかもしれませんが、聞きなおしてみると、自分の「コミュニケーション技術」の振返りにもなるんですよね。


 「おいおい、同じこと、言いすぎ!」
 「えらい、早口!わけわからんっ!」
 
  
 文字をおこしながら、自分のコミュニケーションが「イケテナイ」と、苦笑いしたり、「それ、あかんやろー」などとぼやきつつ、キーを叩いています。
 耳にはイヤホン。周りのスタッフがみたら、ちょっと、怪しいやつだと思います。


 もともと、コミュニケーションには関心がありました。
 最近は、お勉強の成果もあって、以前よりは格段、話を「聴ける」ようにはなったと思います(でも、完璧じゃないです)。

 研究の参加者さんがさらに話せるように促したり、参加者さんの伝えたいことを自分の言葉で反復するようにしたり、「それは、大変だったですね」って気持ちに共感したり…。


 自分では、ちょいと、「お、がんばってるじゃん」って、ほめてあげたいところもあります(自画自賛…)。



 何より、研究の参加は、参加者さんのご好意です。快く引き受けてくださる参加者さんに、感謝、感謝です。
 
 必ずや、学会発表いたしますっ。

 それより…、この亀さんペースをなんとかしなきゃ。
 

緩和ケアは緩和ケア病棟がやればいい?

2009-09-13 19:55:13 | ぼやき

 朝晩がめっきりと涼しくなってきました。
 なんだか、夏がとても短かったような気がします。
 夏があまり得意じゃない私にとっては、ちょっと嬉しいことなのですが、異常気象が続くとなると、心配ですね。

 今日は、緩和ケアの考え方について私の思うところを書こうと思います。


 私が所属する病院には、緩和ケア病棟があるにもかかわらず、病院内での緩和ケアの概念は浸透しているとは言い切れない状態です。
 
 緩和ケアをやるのは、「緩和ケア病棟」といった残念な認識が根強いのは、幸か不幸か、院内に緩和ケア病棟があるから、ということも理由のひとつだと思います。

 当院には、抗がん剤や放射線治療などの治療ができなくなった患者さんが、よく入院されてきます。
 入院されてくるのですから、患者さんは必ず、痛みやしんどさ、食欲不振、体力低下などの苦痛を抱えていらっしゃいます。


 一般病棟の医師は言います。

 「治療しても無駄な患者さんは診ない。緩和ケア病棟が早くとって(病棟を替わること)くれたらいいんや。」
 「僕は、治療がしたいんや。」
 「僕は、内科の医者や。緩和は緩和(ケア病棟)がやればいい。」

 
 緩和ケアについて、困っているというよりは、「投げ出したい」という気持ちがひしひしと伝わってきます。
 

 この狭間で、苦しんでいるのは、患者さんとご家族です。
 
 そんな患者さんのケアについて病棟師長から介入の依頼があり、患者さんや家族のケアを行っています。

 しかし、私1人が介入したからといって、患者さんが心身ともに楽になるわけではありません。
 
 緩和ケアであっても、治療であっても、ケアはチームアプローチが必要といわれて久しいのですが、当院にはそうしたチームでのアプローチというものがまったくなされていないというのが大きな原因だと思っています。

 
 ケアに携わるスタッフが協働できるようなアプローチを行うのが私の役割だとしたら、院内での私の活動の成果は、全くみえてきません。
 
 
 患者さんの痛みは、一般病棟では手に負えないほどのものではありません。緩和ケア病棟と同じようなケアを提供することはできないこともあるかもしれませんが、一般病棟だからできることもあります。
 
 何とかならないものか…、と担当医に薬剤の提案をしたところ、
 「看護師から命令されている」と憤慨され、その医師とのやりとりが断絶してしまう経験をしました。

 患者さんは、日々、体力が低下しています。
 家に帰りたいと希望されていた患者さんは、ベッドの上で朦朧とした意識状態で横たわっています。



 少しでも、草の根的に、緩和ケアを院内で広めていこう、そう思い、教育の場では、看護師に伝えています。

 緩和ケアには、特定の知識も必要かもしれない。
 けれど、よく考えてみてほしい。
 発熱でしんどい患者さんをそのまま、放置しておくことはないよね。
 解熱剤を与薬する。
 掛け物や室温を調節し、汗をかいたら、体を拭いて、着替えをしてもらう。
 水分を摂ってもらう。
 体力の低下が著しいなら、ベッド周りのものをなるべく手の届くところにおいてあげる。
 夜中でもナースコールで呼んでくださいねと声をかける。
 「しんどいですね。」と体をさすったり、手を握ってあげる。

 これは緩和ケアなんだよ、と。
 

 緩和ケアは、あらゆる疾患のケアの基礎となる考え方なんだよ、と。


 
 そんなこんなで、いろんな経験をしているうちに、徐々に、また私のエネルギーが枯渇しはじめています。
 
 これからどうしようかな…。
 と、漠然とですが、考えあぐねる日々が続いています。

 私の経験は、すべて、自分の能力を振返らざるを得ず、心身が鈍く痛みます。

 
 ここは、不特定多数の方が読んでくださっているかも?しれない?ブログの場。
 かっこよく、「これから緩和ケアを院内に浸透させるため、ケアの向上のためにがんばりますっ。」と言いたいところですが…。

 明言はやめときます。

 なんせ、エネルギーが枯渇していますから。
 
 でもね、日々のケアはやりますよ。ぼちぼちね。
 
 ぼちぼち…。
 

乳がんの患者さんへのケア、起動。私、再起動。

2009-09-06 12:30:24 | 日々の「ケア」

 今日もいい天気です。
 しかーし。今日は、明日の勉強会の資料を作らなければならないので、家にこもってます。
 しゃーない。

 今、乳がんの患者さんのケアについての資料を作っています。
 私の所属する病院では、この夏から、本格的に乳がんの患者さんへのケアに力を入れ始めました。
 
  
 長い間、私は「緩和ケアを主体とした治療を受ける方」のケアをサブスペシャリティとしてきましたので、(治癒や延命のための)治療を受ける方のケアには遠ざかっている状態でした。
 緩和ケア病棟以外では、がんの患者さんはとても少ないのが現状でしたから。

 しかし、今後、乳がんの患者さんのケアに力を入れるとなりましたら、私もぼーっとしているわけにはいきません。

 抗がん剤の治療を含めて、治療というのは年単位でどんどん進化しています。
 そして、どの治療法が妥当であるとみなされているのか。患者さんのご希望に推奨されている治療法を照らしあわせて、どれだけ個別に、病気に合ったケアを提供できるか…。

 ただいま、乳がんや抗がん剤治療などについて、再度、猛?勉強中です。

 
 以前、乳がんに関心のある同級生が言ってました。
 「乳がんのケアって、奥が深いよ。」

 
 私も、実感。奥が深いですね。
 あ。くれぐれも、他の病気のケアが「浅い」ものだと言っているわけではありませんよ。
 乳がんのケアに「も」、乳がん特有の知識と技術と経験が必要だということで…。

 院内のスタッフも一生懸命に乳がんの患者さんのケアの定着のためにがんばってくれています。

 
 私の現在の役割は、乳がんの患者さんの受け入れを定着させることなのですが、この役割をいただけて、本当にありがたく思っています。
 スタッフに教育する傍ら、私も大いに勉強になっていますし、今まであまりつながりのなかった部署やスタッフとの交流をたっぷりと持たせていただいていますから。

 本当に、ありがたい。
 

 いいことばかりではなくて…。「組織内の調整」にエネルギーを奪われているのが現状です。
 

 「大丈夫。何とかなるさ。」
 という気持ちを持ち続けながらがんばっていきます。
 

 

阪神にはがんばってもらわねば

2009-09-02 22:23:05 | 患者さん

 葛西さん(仮称)は、全身の骨の転移のために、ベッドでの生活を余儀なくされております。
 
 そんな葛西さんは阪神ファンです。

 夜になると、葛西さんからはこんなコールがあります…。

 
 コールがあったので、お部屋にいくと…。

 「阪神、勝ったでーっ。」

 阪神ファンの葛西さんは、阪神が勝った夜はとても気分がいいのです。
 ということは、阪神が負けると、気分はすっきりというわけにはいかないようです。

 葛西さんは、とても阪神を愛しておられます。



 一方、ポンはといいますと、巨人ファンです。昔は、宮崎のキャンプまで選手を追いかけたこともありましたが、松井がメジャーに行ってしまってからは、「適当な巨人ファン」になってしまいました。
 でも。
 どうあっても、阪神ファンになれないところがあります。
 最近となっては、阪神が嫌いというわけではないのですが、阪神がどうであろうが、「関心がない」というのが本音です。


 さて。
 夜勤で葛西さんを受け持つ時には、気になることがあります。
 それは、阪神戦のある夜は、阪神が勝ったか、負けたか、です。

 葛西さんは、阪神が負けると、
 「あーー、気分が悪い。腹立って寝られへんから、今日は薬(睡眠薬)、頂戴!」とおっしゃるときもあります。

 
 決して、阪神ファンではないポンですが、葛西さんをみていると、できるだけ阪神に勝ってもらいたいという気持ちになります。
 それは、自分の勤務を穏便に終わらせたいというのではありません。

 勿論、葛西さんが穏やかな夜を過ごせるように、という意味で、ですよっ。
 
 
 葛西さんのために、阪神には勝ってもらいたいと思います。

 できれば、巨人戦以外の時に…。
 いえ。
 いえ。
 巨人戦であっても、ま、えっか。


 だって。だって。もう、阪神は今年は優勝できないだろうし…。

 いや、いや。
 葛西さんのために勝ってもらわなきゃ…。


 でもですね、
 あまりにも不甲斐ない負け方をしていたら、ポンとしましては、本気で、阪神に対して、苦情と応援のお手紙を書こうと思っておりました。
 
 葛西さんには、気持ちよく夜を過ごしてもらいたいし、安眠できることを願っておりますから。


 こんなところで囁いても届かないかもしれないけど…。

 堂々とはいえませんが(巨人ファンやからね)、


 『阪神、葛西さんのために、がんばっておくれーーーーーっ。』