松並さん(仮称)は、骨転移の痛みにずっと悩まされていました。
骨転移の痛みに対して、放射線療法ができる病院で放射線療法を受けて帰ってこられた松並さん。
このところ、痛みが少しばかり、ましになったみたいです。
レスキュードーズの回数が減ってきました。
よくあることですが、痛みが和らぐと、心の痛みが露呈されてきました。
「私には痛み止めよりも、こうやって、やってもらっている方がいい…。」
お話を聴きながら肩に手を回したり、背中をさすっていると松並さんはこんな風におっしゃいました。
がん性疼痛に対しては、基本的に薬物療法がきちんと行われていることが大切なのですが、人間のつらさにとって、薬物だけでなんとでもなるということは、つらさが強くなるほど、あまりないと思っています。
薬物プラス、必要なものがあります。
そうそう、松並さんもその通りでして…。
松並さんの痛みは骨転移によるものですから、完全に緩和されたわけではありません。
少しは残ってます。
でも、「しのげる」くらいには落ち着いてきました。
そこででてきた、痛みと同様な、いえ、痛み以上の?つらさ。
『さみしさ』
一言でいうと、さみしさと片づけられますが、さみしさというのは誰かがいてくれれば解決するような、そんな簡単なものではありません。
しかも、私たち看護師も、多忙が業務がゆえ、ずっと松並さんのそばにいるわけにも参りません。
あ、松並さんも、それは望まれておりませんでした。
で。
(いつも、『で。』の言い回しやな)
検温の時にふと、松並さんが言っていた言葉。
「昨日、息子が来てくれて。歴史の話を2時間くらい、したんよ。それはそれはいろんな話をしてね。息子があらためて私の部屋を整理してて、お母さんって、こんなにいろんな本を読んでたんやって感心してたわ。私、歴史が好きなんよ。おかげで、痛みもしんどいのも忘れてた。」
これを聞いた、ポンは、
「息子さん、ナイスっ!!!」と思いました。
こういう「痛みを忘れられる時間」というのは、疼痛マネジメントにはとても大切だと思います。
自分としては、こういう時間は、「本来の自分」に戻れる時間だからこそ、痛みも忘れられるのではないかと思っているからです。
で。
(また、きたっ)
ポンもちょっくらがんばりました。
実は、ポンは歴史にはからっきし弱い。
ホンマに。
学生自体には散々でしたのよ。
でも、大人になって、自分が住んでいる場所やら、旅行した場所やらで歴史に触れる機会もあって、なんとなく、触れた「歴史」を、自分のキャパを総動員して、松並さんとお話しました。
その一部分が…。
真田幸村。
実は、ちょいと真田幸村に所縁があるところに住んでいたこともあって、以前、マニアックなお店で幸村の扇子とヘアピンを購入していたポンでありました。
そうそう、幸村といえば、六文銭。
そんな話を松並さんと延々話をしておりました。
そして、ありがたーいお言葉をいただきました。
「ああ、こうやって歴史の話をしてたら、すごく調子がいい…。」
緩和ケア病棟に入院する当日、自分はもう、死ぬんだと思って涙を流した松並さん。
よくあることですが、入院してみると、緩和ケア病棟は「単に終わりの場所」ではないことに気づいていただける。。。。
松並さんもそんな感じ。
痛みには薬だけじゃないのよん。
そんなことを松並さんに体感していただけました。
思わず、私の方が、歴史の話をしながら…、
「これが緩和ケア病棟なんですよ~」とアピールしてました。
松並さんも、超(言い過ぎ?)納得。
また、今後、松並さんとの歴史的?つながりのお話をお伝えできればと思っています。
続きがあるのですー。

