とにかく日記

とにかく何でもいいから書く日記。3人の子へは仕送り、更新頻度は下がり、書き続けられるのか?(コメント等は承認制です)

おかーさんが死ぬとしたら過労死?

2015-01-17 10:35:10 | 子供語録
仕事で遅くなってから帰宅したある晩の話。

あらかじめ遅くなることが予想されていた日ではあった。
夫は会社の会合だとかで、一度戻り、子供たちと私の食事を作ってくれた上で出かけていた。
私は仕事先から何度か電話を入れて子供たちの状態を確認した。
体調不良のリリ(次女、中1)のスイミングを休ませることにして、
スイミングの送迎をお願いしているファミリーサポートに連絡したり、
暗くなってからは子供全員が家にいることを確認したり。

私は気が散りやすい性質でもあり、仕事への集中力を持続させるのにも時間がかかる。
その日はいつも以上に集中して短時間で仕事を終わらせることが難しかった。
結局、家に帰り着いた時には夜10時をとうに過ぎていた。

3人の子供たちは私が帰るまで食事をとらずに待っていてくれた。
ごめんね遅くなって、待っててくれたんだね、先に食べててくれても良かったのに、と言ったら
「あんまりお腹空いてなかったし」と末っ子ルル(長男、小5)。
「一緒に食べたかったんだよ」とも言われた。

食卓を整えて食前のお祈りをして食べ始めた。
そしたら、食事をしながらララ(長女、中3)がポツリと言った。

「おかーさんが、もし50歳で死ぬとしたら、過労死だと思う。
 病死でも事故死でもなくて。」

えっ?と思ってララの顔を見た。
これまで見たことがないような表情をして、ララが私を見ていた。
細い目で睨むような、非難がましいようにも見える表情。
リリもルルも、黙って私の顔をみていた。
子供たちの6つの目にじっと見つめられて、これは参った、と思った。

   *   *   *

ということで、公開反省文のようなものを書いてみる。

以前から「おかーさん仕事しすぎ、働き過ぎだよ」と子供たちには何度も何度も言われていた。
(ちなみに夫は何も言わない。諦めているんじゃないかと思う。)

子供たちにそう言われると、ごめんごめん、と口では言いながらも・・・

 でももっともっと仕事してる人が私の周囲には何人もいるし、
 私が仕事に投入してるエネルギーなんてそんな「働き過ぎ」と言われるほどじゃない、
 仕事以外のことも私は大事にしてる、だけど仕事に対していい加減なことはしたくない。
 なのに、やるべきことでやれてないことが、ほら、ここにもそこにもあちらにも転がってる、
 で、結果としてホントに大した仕事をしてない、時間がかかっている割にoutputに乏しい、
 能力が乏しい人間がそれなりにでも結果を出すには時間を費やすしかないから長時間になる、

・・・などなど、心の中でいっぱい反論してた。

そんな風に、仕事に私の時間とエネルギーを奪われる口実なら、いくらでもひねり出せてしまうのだ。
アルコール中毒患者が酒を飲む口実ばかりを次々と作り出し、酒を飲まない、という行動ができないのと似ている。

そうして振り返ると、ああ、確かに、仕事を中心に据えて生きてしまっているよなー、と思う。
なんだかんだ言って働くの好きだし、ワーカホリックの傾向があるのは幾分かは自覚している。
好きな仕事に就いてる上に、周囲の期待に応えようとすると仕事過剰にすぐ、なってしまう。

でも子供たちにここまで、こんなことまで言わせてしまったというのは、さすがに堪えた。
ローティーンの子たちに過労死する母を想像させるというのは、いくらなんでもヨロシクない。

それにそれに、私自身も過労死するのなんて絶対、イヤだ。
他人が過労死するのも耐え難いが、私自身も過労死なんてしたくない。
人生50年だなんていったい、いつの時代のどこの国の話だ。
太く短い人生を称えるのは、既に死んでしまった人に対し、残された人が言うこと。
早死した人の生き方が美しく語られているのを読むと、
ついつい美しい人生というのは短いことが前提条件なのだと勘違いしそうにもなるけれど
…いやいや私の価値観はそこになかったはず。

50歳で人生を終えるのではなく、
60歳になったら60歳にしか見えないことを見て、
70歳になったら70歳にしか考えられないことを考えて、
80歳になったら80歳にしかできないお洒落をして、(←ここに和装の着こなしが入るのだ)
90歳になったら90歳にしか言えないことを言って、
100歳過ぎてから「これまで生かしてくださってありがとうございました」って死にたいんだ。

そんなお年寄りたちを私はたくさん知っている。
年をとって衰えていくことを惨めだと思うのは浅はかな若者の価値観に過ぎない。
アルベール・カミュの「ペスト」に登場する、喘息病みの爺さん、彼を聖人と考えるタルーに私は心から賛同する。
できれば私は細く長く、そして楽しく、無駄なこといっぱいやって、生きたい。

   *   *   *

従事している職については「やりがいがあり」「十分なお金を頂戴し」「自らを恥じずに済む」仕事をさせていただいている、と思っている。欠けたところの多い身に、これは本当にありがたいことなので、誠意をもって仕事したい、と思っている。
しかし、身近な人の目には過労死しても不思議じゃない状態だと思われていることは理解した。
(自分のことは自分ではわからない、本当に。)
私は、過労死するのはイヤなので、その方向で考えて行動することにする。
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