SMILES@LA

シェルターからやってきたミックス犬のニコとデカピンのニヤ。どちらの名前もSMILEの犬姉妹の思い出を綴ります。

ビーグルのでんちゃん 出会い1

2014-09-15 22:13:58 | 犬のおはなし
(旧ブログ http://nikologla.blog27.fc2.com/blog-entry-2553.htmlより転載)
先日書いた「さよならのシェア」の最後の部分でチラリと「ご縁があって思い出をシェアして頂く機会がありましたので近いうちに紹介します。」と書いた件、
今日から週に1回くらいのペースで10回程度の連載形式で書いて行きたいと思います。

タイトルで気づいた方もいらっしゃるかもしれないですね。
そう、先日マグわんズ2014のモデルの1匹になって頂いたビートママさんの愛犬のでんちゃんです。
メールでお写真を頂いたりしてやり取りをする中で、以前にでんちゃんの思い出を書き留めていらした文章を読ませて頂くことになったんです。
それが私だけが読ませて頂くにはもったいない、たくさんの人に読んで頂きたいと思ったので、お願いしてブログに掲載させて頂くことになりました。


「今日は僕とママとが出会うきっかけのお話です。」

でんちゃんとビートママさんとの出会いにはお二人の重要人物がいます。
まずはその重要人物との出会いのお話から。

私の父は床屋が嫌いで、だから私の母が風呂場で切っていました。
父の散髪が終わると、私も呼ばれる。
風呂場に置いた丸椅子に座り、風呂敷をすっぱりかぶって、
母親の「ともかく短く!」という思想のもとに、
ざっくりまっつぐ、ワカメちゃん。
実に高校時代まで、そんな有様でした。
浪人時代、都心の予備校に通うようになってみて「これはまずい」と思いました。
クラスメイトに「ヘルメットみたいな髪型だね」と笑われた。
そこで、初めて駅前の美容室に行きました。
大きな美容室で「ご指名は?」などと聞かれて動揺し、
そんなのわかんないから、ちょうど手すきだった人に切ってもらった。
それが「馬場さん」という、まだ若い男性美容師でした。
その後もなりゆきで、行くたびに馬場さんを指名した。

馬場さんは、職場結婚をし、夫婦で店を構えました。
私はその間に結婚し、実家を離れ、
都内のアパートやマンションで暮らしました。
都下のお店までは遠かったけれど、
私はバカの一つ覚えで馬場さんのお店に通いました。
いっときは奥さんのアケミさんも一緒にいたけれど、
アケミさんもやがて、別の場所にお店を構えました。
彼らはビーグルを飼い始めた。
ルーシーという女の子ビーグルは、馬場さんとアケミさんの店の、
いずれかに同伴出勤していました。
仔犬はやがてレディになり、アウトドア好きの馬場夫婦に連れられ、
あちこちの山に登ったりしたのでした。

やがて馬場夫婦は、八ヶ岳に自分らの山小屋を作り始めました。
山小屋ったって、立派な一戸建て住宅、というオモムキ。
違うのは、水道管に熱線を巻きつけて凍結防止をしていたり、
大きな薪ストーブが家じゅうを温める特殊な作りになっていたりするだけで、
ほかはもう、立派な「新築一戸建て」という風情です。
週に1回、休みの日には八ヶ岳で作業。
都合のいいことに、客の中には土建屋もタイル屋も建具屋も居る。
こつこつ作り続けて、10年目にようやく山小屋は完成しました。
別荘地ではあるけれど、彼らはそこに定住することにした。
夏は美容室を開けるけれど、冬は雪の中にこもってひっそり暮らす。
食べ物は、米に至るまで自給自足。
夏の終わりには、冬のための保存食作りに忙しい。
庭には石窯をしつらえ、パンも焼く。ピザも焼く。そんな生活。

かくして2000年頃、彼らは都下の店をを引き払い、八ヶ岳へ。
私ら夫婦は、今度は月に1回、八ヶ岳に通いました。
つくづく、ほかの美容室に行く気がないらしい(笑)。
高速料金使って、びゅーんと行くのね。
行ったら散髪してもらって、畑仕事手伝わされて、
「石窯に火を入れて」と言われれば4時間も火の番をして、
そのかわり、山の空気の中で、美味しいランチをご馳走になる。
夫が転職しても、私の勤務先が倒産しても(倒産ですよ、ひどいでしょ)、
この習慣は変わりませんでした。
お婆ちゃんになったビーグルのルーシーは、ここで亡くなりました。
八ヶ岳の馬場さんちの庭には、ルーシーのお墓があります。



「それで?でんちゃんはまだ?」

そして2002年の年の瀬のことです。
雪深い八ヶ岳に、到底我が家の車では行けないから、
冬場には中央本線で小淵沢まで行き、
馬場さんのジープで迎えに来てもらうことになっていました。
ジープに乗り込むと、馬場さんが
「今ね、うちにぶっさいくな犬がいるんだよー」と笑いました。
行ってみると、果たしてうさんくさい顔をしたおっちゃんビーグルが。
人懐こいわけでもなく、かといって攻撃的でもなく、
ただもっそりと、そこに居る。そんなビーグルでした。



初めて出会った頃のでんちゃんです。

ある美容室で、お客が「明日犬を保健所に連れて行く」
と言ったのだそうです。もう飼えないから、保健所に連れて行く、と。
美容師は「それはいけない」と思って、とりあえず自分が引き取った。
だけど彼女のアパートはペット禁止。
そこで美容師仲間や、そこに来るお客さんまでが
「我が家で2日間なら」「うち、3日だけなら」と善意のたらい回し、
それでも新しい飼い主が見つからなくて、
ビーグルはとうとう八ヶ岳の馬場夫婦のもとに流れ着きました。
たらい回しになっている間に、正確な歳も名前もわからなくなった。
馬場さんの山小屋に流れ着いた時には、
ぼろっちーひざ掛けと、きっつきつの首輪に胴輪、
そしてうんこを拾うためのスコップだけを手土産に、
「どうやらでんちゃん、と呼ばれていたらしい」という、
曖昧な情報だけが頼り、という状態になっていました。

馬場さんは、その犬を「あなた達の家で飼ってみない?」と言い出しました。
その頃の私達は、都下のぼろっちー一軒家で暮らしていたから、
確かに犬と暮らすこともできるわけです。
金魚と小鳥しか飼ったことのない夫は、「えー・・?」と躊躇し、
私は「いやー、うちは無理だよ。だって仕事が・・」と言いかけて、はったと止まりました。
私の勤務先は倒産しちゃったんだった・・。もう仕事、してないんだった・・。
名刺を持たなくなり、電車にも乗らなくなり、
なんだか鬱々とこもりがちな生活になって1年ほどが経っていました。
私は実家で犬、猫ともに何匹も一緒に暮らしたけれど、
こちらは子供、自分で面倒をみた、とは言い難い。
やっぱりちょっと自信がないなぁ・・。
そうだよ。ルーシーを見送ったばかりの馬場さん夫婦じゃん。
馬場さんだって、飼えるじゃん?
「でんちゃんは、穏やかで飼いやすい犬だと思うよ。
だからはじめての人でも大丈夫だと思う。
もしでんちゃんを引き取ってくれたら、
オレ達は、他の犬を預かってやれるようになる」
別荘地では、置き去りにされる犬がいるのだそうです。
あるいは、繁忙期に、お店をしている人達の飼い犬が、
お世話が行き届かなくて困ったことになっていたりするケースも。
馬場さん達は、そういう「困った状況にある犬」を、
自分のお家で引き取って世話をする、
いわばボランティア活動みたいなことをしようとしていたのでした。
ともかく、最初の出会いは2002年の12月29日。
髪の毛を切ってもらって、私達は電車で東京に戻りました。

帰りの車中、私達夫婦はあれこれ話し合いました。
犬、飼えるかな。あの犬、なついてくれるかな。
あの犬、何歳なんだろう。犬って何を食べるのかな。
・・・・ともかくまぁ、来ちゃえばなんとかなるんじゃない?
尻込みする夫を押し切り、私は飼おう、と思いました。
勤め人時代、仕事に追われていた私の夢は、
「いつか犬と暮らしたい」ということだったのに、それをすっかり忘れてた。
帰宅してすぐに馬場さんに電話をし、
翌日の30日にはあれこれ支度をし
(よくわからなくて、デパートで純毛の毛布なんか買っちゃったんです!)、
12月31日にはでんちゃんが我が家にやって来たのでした。
馬場さんの家にも2週間以上いたわけですが、
馬場さん達が車で去る時にも、
でんちゃんはさほど追いかけたり鳴いたりしなかった。
今思えば、なんだかもう、諦めきっていたのかも。
今度はこの家ですか、そーですか、ぐらいの気持ちだったのかも。
もっそりと毛布の上に乗っかって、うさんくさそうな顔をしていました。



「続きはまた来週。次回はお家に来てからのでんちゃんです。」


続き→ビーグルのでんちゃん 出会い2
コメント
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