(旧ブログ http://nikologla.blog27.fc2.com/blog-entry-2558.htmlより転載)
先週から連載形式で始めたビートママさんの愛犬「ビーグルのでんちゃん」
前回はでんちゃんが預かってもらっていた八ヶ岳のお家から、正式にビートママさんご夫妻に家族として迎えられたところまででした。
前回のお話ははこちら
ビーグルのでんちゃん 出会い1
初めて出会った日のでんちゃん
こうして我が家の犬となったでんちゃんですが、
最初から問題はあれこれあったのです。
獣医師に見せたら、先生がため息をついたもん。
肥満していて、関節が悲鳴をあげているとのこと。
人間の食べ物をもらっていたせいか、血液検査でも問題ありあり。
先生によれば散歩もろくにしていない(筋肉が全然ないから)とのこと、
要するに「マンションかなにかで、室内だけで飼い殺しになってたんだよ」
というのが先生の診立てでした。
もう飼えないからと、保健所に連れて行かれかかってたぐらいだもん。
相当ひどい飼い方をされていたのでしょうね。
それは、今でも腹の立つことです。
「その頃の僕は17kg以上あったんです。」
ともかくも、私達は初めての「我が家の犬」と、
手探りで向かい合うことになりました。
去勢手術もされていなくて、
だけどここまで肥満していては麻酔の分量が多くなりすぎ、
心臓がもたないかもしれない、ということ。
食欲の鬼で、ゴミ箱でもなんでもあさってしまうこと。
絶対に室内トイレを使えないこと→病気の時はどうすんの、
という問題、などなどなどなど。
おまけに目元には涙線がくっきり、耳の中は真っ黒け。
まずは毎朝毎晩、ぬるま湯に浸したガーゼで、
「でんちゃん、お顔拭きましょう」と辛抱強く涙線をぬぐい、
耳は数日置きに病院に通って洗ってもらい、
療法食にしてキャベツでかさ増しをして減量に取り組み、
すぐに休みたがるでんちゃんのお尻を押して散歩を続け、
ともかく夢中で世話をしたのでした。
当時、推定年齢は6歳とも8歳とも言われました。
後に狂犬病の注射をする際、
市の職員の方が「平成8年8月8日生まれ」と決めてくれて(笑)、
一応ね、来た時が6歳半ぐらい、ということになっています。
「でんちゃん、あたしが初めておうちに来た時よりうんとたいへんだったんだ。」
犬と暮らすのは初めての夫でしたが、
こちらもまた、日々大変貌を遂げていったのが面白かった。
ゴミ箱をあさった日、私がでんちゃんを叱ろうとしたら、
「簡単にあされる場所にゴミ箱を置いた人間の方が悪い。
絶対に開けられないゴミ箱を買って来よう」と夫が言うんですよ。
「え~、犬ぅぅ~?」と言ったくせに、
夫はみるみるうちにでんちゃんのトリコに(大笑)。
可愛い可愛いと連呼し、「このあたりじゃ一番だな」を皮切りに、
「日本で一番可愛いんじゃないか」「世界で一番かも」
そしてついに「宇宙で一番可愛いかも」とまで。
アンタは世界中の犬を見たことがあるんかい、とつっこみたくなる。
「パパに可愛い可愛いって言われたよ~。」
ふと気づくと、あれほど夢見た「ピンクの耳」になっていました。
タレ耳を引っくり返すとね、でんちゃんは耳の中が真っ黒だったの。
コールタールでも流し込んだみたいに、真っ黒だったのです。
よそんちの犬は、耳の中がピンクだったの。
だから「ピンクの耳」が憧れだったの。
今、改めて写真を並べてみると、いつしか涙線も消えている。
涙線も、耳も、1年半ぐらいはかかったと思う。
だけどその1年半が、あっと言う間だったのです。
ともかく気づいたら、ピンクの耳と、可愛い目元の犬になっていた。
ほとんど思いつきで飼い始めた私達でしたが、
いつの間にかでんちゃんに夢中になっていたのですね。
だから、私達とでんちゃんは、本当に幸福な出会いをしたのだと思う。
病気の要因をどっさり抱えたシニア犬ではあったけれど、
それでもなお、私達は「幸せな出会いだった」と強く思っています。
「涙線も消えてスッキリ目元になったんだ。」
だから、でんちゃんの誕生日は仮に8月8日となっているけれど、
私達にとっては「12月31日」が、でんちゃんが来た記念日、なの。
毎年大晦日に、でんちゃんに犬ケーキを買ってあげて、
盛大にお祝いしたことを懐かしく思い出します。
これが、でんちゃんと私達の「出会い編」です。
次回は「でんちゃんが走った日」かな(笑)。
「続きはまた来週~」
続き→ビーグルのでんちゃんが走った日1
先週から連載形式で始めたビートママさんの愛犬「ビーグルのでんちゃん」
前回はでんちゃんが預かってもらっていた八ヶ岳のお家から、正式にビートママさんご夫妻に家族として迎えられたところまででした。
前回のお話ははこちら
ビーグルのでんちゃん 出会い1
初めて出会った日のでんちゃん
こうして我が家の犬となったでんちゃんですが、
最初から問題はあれこれあったのです。
獣医師に見せたら、先生がため息をついたもん。
肥満していて、関節が悲鳴をあげているとのこと。
人間の食べ物をもらっていたせいか、血液検査でも問題ありあり。
先生によれば散歩もろくにしていない(筋肉が全然ないから)とのこと、
要するに「マンションかなにかで、室内だけで飼い殺しになってたんだよ」
というのが先生の診立てでした。
もう飼えないからと、保健所に連れて行かれかかってたぐらいだもん。
相当ひどい飼い方をされていたのでしょうね。
それは、今でも腹の立つことです。
「その頃の僕は17kg以上あったんです。」
ともかくも、私達は初めての「我が家の犬」と、
手探りで向かい合うことになりました。
去勢手術もされていなくて、
だけどここまで肥満していては麻酔の分量が多くなりすぎ、
心臓がもたないかもしれない、ということ。
食欲の鬼で、ゴミ箱でもなんでもあさってしまうこと。
絶対に室内トイレを使えないこと→病気の時はどうすんの、
という問題、などなどなどなど。
おまけに目元には涙線がくっきり、耳の中は真っ黒け。
まずは毎朝毎晩、ぬるま湯に浸したガーゼで、
「でんちゃん、お顔拭きましょう」と辛抱強く涙線をぬぐい、
耳は数日置きに病院に通って洗ってもらい、
療法食にしてキャベツでかさ増しをして減量に取り組み、
すぐに休みたがるでんちゃんのお尻を押して散歩を続け、
ともかく夢中で世話をしたのでした。
当時、推定年齢は6歳とも8歳とも言われました。
後に狂犬病の注射をする際、
市の職員の方が「平成8年8月8日生まれ」と決めてくれて(笑)、
一応ね、来た時が6歳半ぐらい、ということになっています。
「でんちゃん、あたしが初めておうちに来た時よりうんとたいへんだったんだ。」
犬と暮らすのは初めての夫でしたが、
こちらもまた、日々大変貌を遂げていったのが面白かった。
ゴミ箱をあさった日、私がでんちゃんを叱ろうとしたら、
「簡単にあされる場所にゴミ箱を置いた人間の方が悪い。
絶対に開けられないゴミ箱を買って来よう」と夫が言うんですよ。
「え~、犬ぅぅ~?」と言ったくせに、
夫はみるみるうちにでんちゃんのトリコに(大笑)。
可愛い可愛いと連呼し、「このあたりじゃ一番だな」を皮切りに、
「日本で一番可愛いんじゃないか」「世界で一番かも」
そしてついに「宇宙で一番可愛いかも」とまで。
アンタは世界中の犬を見たことがあるんかい、とつっこみたくなる。
「パパに可愛い可愛いって言われたよ~。」
ふと気づくと、あれほど夢見た「ピンクの耳」になっていました。
タレ耳を引っくり返すとね、でんちゃんは耳の中が真っ黒だったの。
コールタールでも流し込んだみたいに、真っ黒だったのです。
よそんちの犬は、耳の中がピンクだったの。
だから「ピンクの耳」が憧れだったの。
今、改めて写真を並べてみると、いつしか涙線も消えている。
涙線も、耳も、1年半ぐらいはかかったと思う。
だけどその1年半が、あっと言う間だったのです。
ともかく気づいたら、ピンクの耳と、可愛い目元の犬になっていた。
ほとんど思いつきで飼い始めた私達でしたが、
いつの間にかでんちゃんに夢中になっていたのですね。
だから、私達とでんちゃんは、本当に幸福な出会いをしたのだと思う。
病気の要因をどっさり抱えたシニア犬ではあったけれど、
それでもなお、私達は「幸せな出会いだった」と強く思っています。
「涙線も消えてスッキリ目元になったんだ。」
だから、でんちゃんの誕生日は仮に8月8日となっているけれど、
私達にとっては「12月31日」が、でんちゃんが来た記念日、なの。
毎年大晦日に、でんちゃんに犬ケーキを買ってあげて、
盛大にお祝いしたことを懐かしく思い出します。
これが、でんちゃんと私達の「出会い編」です。
次回は「でんちゃんが走った日」かな(笑)。
「続きはまた来週~」
続き→ビーグルのでんちゃんが走った日1