神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.57 阿仁鉱山行 5.仙岩峠

2024-01-22 15:51:08 | 勝記日記
 はじめに今日の行程の写真を挙げておきます。


 左上から下桧木内(松葉)・田沢湖、中央が生保内〔おぼない〕、その右のピンクに見える山越えの道の尾根界が仙岩峠です。越えて、黄土色の道を下り、赤の「国道46号」に合流したあたりが「橋場:雫石町」になります。
 
 5月25日日曜日、天気は雨。
 神足は、上桧木内を朝4時に出発し、「谿間を昇降、二河流を渡り、六時頃下桧木内〔松葉〕を通過」するまでに「3里許」歩きました。2時間余で3里許ですから、時速5~6kmです。そして、さらに1里ほど歩いて、7時頃に田沢湖に達しました。ここまでですでに約16kmです。

 田沢湖に沿って東に1里ほど行くと原野になり、神足はここで烈風のために蝙蝠傘を折られてしまいます。そして、玉川を渡船、1里ほどで生保内駅〔駅は「宿駅」です〕に十一時に着きます。すでに30km以上を歩いています。

 そして、「午食し、人足を替へ、十二時半発」。
 平地を1里ほどで仙岩峠への山道にかかります。上の拡大図を挙げます。

 
 地図の左下から始まるピンクの線を上って尾根界のところが仙岩峠です。ここを越えて「国見温泉」とある方へ下り、黄土色の線を下って再び赤の46号に出るのが旧道です。
 新道は赤く書かれた方です。中央に「仙岩トンネル」と見えますが、これが建設されるまでは旧道の山越えの道路が幹線でした。

 しかし、神足が通過したのはこの旧道ではありません。
 地図には出ていませんが、「明治道」というようですが、旧道のすぐ下あたりに部分的に残っていて、東電の送電線の点検工事用の道として現在も使用されているとのことです。実際、私が歩いているときに、作業員がゲートを開けて旧道を車で上がってきて、下の道へ降りていくのを見ました。
 
 さて、2017年に私はここを踏破しましたが、ピンクの箇所はゲートがあり、一般車は入れません。とくに仙岩峠手前は、崩落が道の上からも、下に向かっても激しく、また、樹木類が道路一面に生い茂り始めていて、歩行もなかなか困難です。危険といった方がよいでしょう。
 なお、「仙岩峠」で検索すると、2013~5年頃の投稿・写真が見られます。私が通過したのはその後ですから、もっと荒れていました。

 
   生保内の眺望:上の地図の左下のつづら折れの上付近から
          新道はこの左下方向

 
 仙岩峠の碑:「国道仙岩峠貫通記念碑/建設大臣河野一郎書」と読めます  

  ここで、神足の日記に戻りましょう。つぎのように書いています。

 「古昔、生保内峠或は国見峠と称せしか、明治8年更に新道を開鑿し、名け
 て仙岩峠と云ふ。仙北郡と岩手郡に跨るの故ならん。誠に険路。板谷峠〔福 
 島と米沢の間〕・院内峠〔新庄と湯沢の間〕の比にあらす。山谷を望めは、
 千仭万壑、巍々として悚然たるの思あり。上坂下坂とも各1里半余と云ふ。
 風雨雲霧、為めに咫尺を弁せす。峠に達する迄の疲労、真に言語に絶た
 り。」
 「・・・降坂1里半余、平地に出て、4時30分橋場駅〔雫石〕に着す。生 
 保内駅より4里35丁6間。身体甚疲労。旅宿に踞してより身を動かす能は
 す。従来数度旅行せしと雖とも、今日の如く労れしことあらす。仙岩峠の険
 なる知るへし。」

 なお、仙岩峠からの「明治道」の下りは、私は入り口付近を見ただけですが、黄土色の道の下にあたるところを、峠からそのまま東へ向かって下り、国道46号に合流するあたりに至る感じになっていました。
 しかし、調べたところ、ここもすでに荒ていて一般には危険な通路ということと、迷子にならないように探検するくらいの覚悟が必要な所という印象でした。せいぜい、通れないことはないという程度のようです。
 「明治道」の開通後には大久保利通も馬車で通過していますが、現在は自然に帰ってしまっています。
 
 この日、神足は、生保内まで30km以上、生保内から約20km、計50kmを歩いて難所を越えたわけです。
 私も、南アルプスに上がって、最後に光〔てかり〕岳を朝4時に降り始め、寸又峡林道を歩いて夕方6時頃に寸又峡温泉に着いた時のことを思いだしました。
 到着した安心感もあってか、疲労感が噴き出してきて自分で自分の身を処することができない・・・。神足ほどの人でもそうだったのでしょう。
  
 つづきは明日にしましょう。



コメント
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