神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.62 太良峠 2.甲府から

2024-01-27 19:17:45 | 勝記の巡回
 昨日の写真のうち、塩ノ山から西の方向〔笛吹川フルーツ公園〕を写した写真をもう一度載せます。
向こうに見える山はおそらくすべて旧御料地です。
 
 前にも紹介した恩賜林との関係ですが、山梨の山はかなりが一度御料地に編入されます。しかし、明治40年代の度重なる洪水をを契機に、下賜されます。その理由は、通常は「天皇が洪水被害をあわれに思ったからだ」といわれたり、それが碑文に記されたりしています。これは誤りとは言えませんが、実際は、当局が入会問題に手を焼いていたという背景があり、40年ころになると内地〔本州〕の測量事業が進んで、皇室財産の要になる世伝御料地の確定に見通しが立つようになったことがあります。つまり、山梨の御料地を払い下げても困らないようになっていたのです。こういうことを言った人はまだいないでしょう。
 
 戻ります。
 山梨の山はかなりは恩賜林になりますが、写真に見える山の一帯は下賜されずに御料地として残ります〔それがなぜなのかはまだわかっていません〕。
 ともかく、神足はここを写真の右の方から上がって行きました。上がって行ったところが切差です。

 さて、私は甲府の方から上がりましたから、そちらの写真をお見せしましょう。

 
 この写真は、甲府駅から北へ10分ほど進んだ山梨大学のキャンパスから、少し拡大して撮ったものです。実際はもう少し遠くにある感じになります。
 手前の左のこんもりとしたところが武田神社、中央奥が積翠寺、その右に要害〔山:787m〕があります。

 『御料局測量課長 神足勝記日記 -林野地籍の礎を築く-』日本林業調査会(J-FIC)の口絵にある「相川御料地」の中心部分がこの写真の後ろに見える一帯です。この写真に見える山がすべて旧御料地です。

 ここがなぜ「相川御料地」と名付けられたかというと、この一帯が「相川村」にある山林だったからです。写真の左方向に相川という地名もあります。

 さて、要害の下を通って後ろの山の方へ上がって行くと、上にある家のところに到達します。この間、道の一部がかなり急登です。
 上がると近代的な住宅が10軒ほどあります。うしろから郵便車が来ました。歩く人が珍しいのか、声をかけられ、少し立ち話をしました。
 住宅地は限界集落化して?無人の家もあるようで、「熊注意!」の看板が出てました。驚きましたが、山ですから、そういうことも当然ありです。

 上の写真で、中央の🍙状の山のすぐ上、住宅の右上の中央にV字形に窪んだ所が見えます。ここが「太良峠(太良ヶ峠)1123m」です。神足は「多々良峠」と書いていますが、間違いないと思います。

 神足は、塩山の方から切差を巡回してここを通って甲府へ降りて行ったわけです。太良峠から甲府の方を俯瞰したところ、逆光でしたが、次の写真のように見えました。

  
   太良峠から甲府方面:実際にはもっと迫って見えます。

 はっきりとしませんが、森が横に並んだあたりが武田神社かと思われます。駅は中央にあるようですがよくわかりません。

 ここは甲府の夜景を見るにはいいでしょう。ただし、この峠に上がるには、車のローでも大変な坂がいくつかあるので気を付けてください。そのほかは、この峠付近も含めて、普通の自動車道です。バイクのツーリングも見ました。全く開けています。

 
  太良峠:向こうが甲府方面 
      写真の左下方向へ行くと塩山、右下方向へ行くと帯那山
 
 前にも書いた多様に、わたしは向こう側の甲府方面から上がってきて、左下方向へミニサイクルで降りて行ったわけです。
 帰りの道がさわやかでした。
 正面は山梨市、中央向こうが笹子峠の方向:切差から下って堀内の辺りより

 最後に、繰り返しになりますが、ここは塩山からでも甲府からでも、どちらから登っても急登があり、注意が必要です。ということは、下りも要注意の坂道だということです。老爺心です。

 こういう近代化した道をいくら歩いても、神足を偲んだことになるのかわかりません。むしろ、その辺の山道を歩く方が当時に近いのかもしれないと思うことがたびたびあります。しかし、いまの道を歩くのも別な意味で大変なところもあり、まわりの景色や雰囲気はわかるので興味ある人にはお勧めします。
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No.61 太良峠 1.塩ノ山

2024-01-27 00:04:42 | 勝記の巡回
 今日は塩山の塩ノ山を紹介します。

 『御料局測量課長 神足勝記日記 -林野地籍の礎を気付く-』日本林業調査会(J-FIC)131~3ページにあるように、神足は、静岡管内の巡回・出張に出ます。
 10月27日に出発して御殿場・世附方面を視察した後、富士吉田ー藤ノ木と越えて山梨に入ってきます。そして、
 11月 3日 藤ノ木ー切差
 11月 4日 切差
 11月 5日 切差―甲府ー鰍沢
 と巡回・通過して、名古屋へ向かいます。

 前に笹子雁ヶ腹摺山を紹介しましたが、神足は笹子峠を越えて山梨に入りました。
 現在は、電車でも車でも、笹子トンネルを通過して山梨に入ります。
 川端康成の『雪国』風に言うと、
 「トンネルを抜けると勝沼駅だった。」となります。
 

   勝沼からの眺望:神足もこの景色を見たはずです。
  
 神足は、御殿場―須走―吉田―河口―御坂ー藤ノ木ー日下部(山梨市)を経て切差に向かいました。
 このうち、今日は切差の方向だけ紹介しておきます。
 
 列車は勝沼から塩山に向かいます。すると、前方に〔のち右方向に〕小山が見えてきます。塩ノ山です。

 
   列車から見た塩ノ山(552m:下の案内板は556m)  

 神足は、この山に登っていないようですが、何回も見ています。今日はこの山に登りましょう。
 なお、切差は、右奥に見える扇状地を上がって行った上になります。この先は明日にします。
 
 
 ご覧の通り、30分から1時間の散歩コースです。
 でも、山は山です。中に入るとそれなりの気分は味わえますし、うっかりすると危険なところもあります。その辺は行ってみてのお楽しみとして、眺望を一つだけお見せしましょう。
 西が「笛吹川フルーツ公園」の方向です。中央に見える茶色の建物は富士屋ホテル?、正面の山が棚山?、明日紹介する太良峠のある方向です。



 コースを一つだけ紹介します。良い雰囲気でしょう。機会があったら、歩いてみてください。ただし、晴れていないとつらくなります。
 
   心配は要らないと思いますが、山であることを忘れないでください。

 神足は、日下部〔日下部〕村〔今の山梨市役所のあたり〕を通過し、この間、塩ノ山を正面にそして右に見て塚原熊三郎技手補が作業する切差に向かいました。
 
 なお、私は、いつもの通りミニサイクルを持参して、甲府の方から上がり、切差の方から、ラクして来ました。

 




 
 


 

 
 




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