2000年代に入った頃の春先のことだったと記憶していますが、奥多摩行きの古里駅で下車して、丹三郎から大岳を目指して入り、尾根筋をたどって大塚山を通過して、御岳の集落に着きました。しかし、どうも気力が続かず、下山することにしました。
気が乗らなければ下山する方がよいので、大楢峠の分岐点を城山方向に進み、かなり里の方に来てました。見ると、朴の幼木が1本見えました。
「欲しいな」と思いながら、いくらか右へ回り込むように歩いて行くと、山仕事をしている人が見えました。
向こうも気が付いて、互いに「こんにちは」と文字通り「山での挨拶」をして通り過ぎました。
ほんの少し歩いてから思いついて、聞いてみました。
「この山はお宅の山ですか。」と。
「そうだ」というので、
「あそこにある朴の木の小さいのを分けてもらえませんか」と聞くと、
「いいよ」という。それで、
「いくらですか」と聞くと、
「持って行っていいよ」と返ってきました。
「もらっていってもいいんですか」と確かめると、
「いいよ」と。
それから写真のように成長し、根回り100㎝くらいになりました。
庭にあった朴
私はうれしくてうれしくて、なにせ40年以上も思い続けてきたのですから。
もう何万枚写真を撮ったかわかりません。
どの花も、花は、自分の居場所で、自分が主役だといって咲いています。
ですから、これは見る側の好みの問題なのですけど、
「私の一推しは朴です」。
その理由はたいしたことではありません。
風誘う朴 泰然として 揺れて高みに咲く
これです。
しかし、15年くらいたったとき問題が起こりました。
冬、風が北から吹くのです。
南から吹けば、葉がわが庭に集まるものを、北から吹くために、周辺の住宅や道路に飛び散っていき、辺りは「大澤」の「名入れの葉」で溢れ、それを拾い集めると腰痛を覚えるようになり、それが年々募り、いよいよ限界に達したのです。
それだけではありません。根が成長して側溝も持ち上げ始め、舗装路まで及ぶことが見えてきました。こうなると個人の努力だけでは限界でした。
朴のことや続きは折々に書くことにしましょう。
なにせ、私の写真の大半は朴なのです。
そのうちにこのブログのタイトルを「朴を追って」と改訂するかもしれません。
ではこの辺で。