神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.63 向嶽寺

2024-01-28 23:46:54 | 余録
 今日はNo.61の余録です。
 「説明板を読むのは面倒」という人は、パスして先へ行ってください。
 
 塩山市の塩ノ山の近くに向嶽寺があります。
 正確な位置を記憶していませんが、確かここだったと思います。つぎの説明板がありました。
 興味ある人は読んでみてください。メンドウという人はパスでOK.。




 それから、向嶽寺といえば、大村主計の「花かげ」の詩碑があります。
 もう最近は歌っているのを聞いたことがありませんが、昔は教科書にも出ていた?ように思います。
 「〽じゅう~ごや おつきさ~ま ひ~とりぼち・・・」

 まず全体のようすです。



 3点見えます。右から歌碑・説明板・西条八十の詩碑です。
 下に、右から順に拡大写真を載せます。


 (1)花かげの歌碑
 

 ご存じでしたか?
 私は「うま」と思っていましたが、「くるま」(たぶん「人力車」)だったんですね。
 「〽う~まに ゆ~られて」
 「〽くるまに ゆ~られて」
 どっちでも、なんとかなりますね。
 
 ともかく、優しいお姉さんがいる人は、こういう記憶があるでしょうねぇ。
 「おねえちゃんがお嫁さんにいっちゃう・・・ていう感じですね。」

 それで、これが神足とどうつながるかですが、『御料局測量課長 神足勝記日記 ー林野地籍に礎を築くー』日本林業調査会(J-FIC)の183ページ上の明治31年12月6日~8日の項に、神足が、塩山の北にある大藤村の萩原御料地で作業中の田中安次郎〔のち従之〕技手補を巡視に来たことが記されています。そして、田中が逗留していた「藤屋」を訪れますが、大村のお姉さんの嫁ぎ先も「藤屋」・・・らしいのです。(これは記憶です。目下メモを探索中。同じ村であることは確かです。)

 (2)説明板

 お姉さんの嫁入りは大正期のようです。嫁入りの時期などいろいろ調べたことがありますが、いずれまたメモが出てきた時にとして、予告だけしておきます。
 説明板に拠れば、大村主計は蘇峰と知合いですし、一方、蘇峰と神足は熊本人で、神足一家は蘇峰にかなりの援助をしていますから、ちょっとこじつけがましいですが、無縁ではありません。

 (3)西条八十の詩碑
 これは、上の説明板の中の詩2作です。
 
 
 わたしは『神足日記』でずいぶん勉強しました。
 知らないこと、わからないこと、読めない文字が出てきたら、かならず調べる、可能なかぎりやる、ということを決めて、時間を限らずやりました。それでもまだまだわからないことがいろいろ残ってますが・・・。
 皆さんには、読めるところから、読んでいただけるとよいと思っています。








 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする