神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.53 阿仁鉱山行 1.院内まで

2024-01-18 22:48:52 | 勝記日記
 『御料局測量課長 神足勝記日記 -林野地籍の礎を築く―』日本林業調査会(JF-IC)の「第1章 御料局入局前」は、神足が明治12年に工部省に入省して阿仁鉱山出張したところから始まります。ここも、御料局入局前史としてばかりでなく、神足の足跡として関心を持たれてきたところです。

 元の日記を、A4判の用紙に1行40字×40行で入力すると、13ページ分あります。それをここに再現することはできませんが、その一端を3回に分けて簡単に紹介することにします。

 まず、東京を出発して院内銀山町への行程を挙げておきます。
 明治12年
 4月5日 工部省に採用。品川〔弥二郎〕内務大書記官を問ひ要話*。
    *この「要話」ということと、『回顧録』に「メッゲルの通訳とし、
     傍ら鉱業修練の為め」とあることから、神足は院内到着後の適当な
     時期に工部省辞職を了解されていたのではないかとみています。
 
 4月 7日 工部省鉱山局でアドルフ・メッゲルと対面。
 4月14日 11時過、上野公園発ー千住―草加―粕壁泊。同行者:メッゲ
       ル・ライヘル・プファイヘル・丹羽維孝・宍戸〔不明〕
 4月15日 粕壁―越谷―幸手―栗橋―古河―小山ー小金井―石橋伯。
 4月16日 石橋―宇都宮ー鬼怒川―氏家―荒川―喜連川泊。
 4月17日 喜連川―佐久山ー大田原―那珂川―芦野ー白坂―白河泊。
 4月18日 白河―矢吹―鏡田ー須賀川―郡山―朝香山―本宮―二本松泊。
 4月19日 二本松―松川―清水―福島泊。
 4月20日 福島ー庭坂―舟越―李平ー板屋—大沢泊。
 4月21日 大沢ー米沢―赤湯ー上ノ山泊。
 4月22日 上ノ山ー山形―天童ー六田村―楯岡―尾花沢―芦沢泊。
 4月23日 芦沢ー舟形ー新庄―金山―及位〔のぞき〕
 4月24日 及位ー院内峠ー10時頃上院内着。

 14日昼に出発して24日着ですから、11日を要したことになります。
 この間の行程・距離・町の様子・景色なども日記には記されていますが、どう辿ったかだけにします。

 さて院内に着きました。
 この当時の院内銀山は明治天皇も立ち寄るほどの盛況を示していましたから、神足たちも27日に出発するまで、24日・25日・26日と約3日間滞在して鉱山・精錬所・坑道・鉱石などを調べています。
 当時の盛況を知るために、入手してきた冊子から次の写真を紹介します。
 写真に説明がついていますが、上半分が明治中期、下半分が現在の様子です。
 かつては立錐の余地がないほど建て込んでいましたが、私が訪れたコロナ前も、少々曇っていたせいもあり、一人では薄気味悪いくらいの雰囲気でした。
 
 現在のJR院内駅がそのまま「院内銀山異人館」になっていますから、そこを巡覧して、自転車を借りて約4km南下した林の中が写真の場所になります。
 何人かで行くのがおすすめです。一人なら、晴れている日がよいでしょう。
 ちなみに、駅を出て、正面の通りにある餃子店の中国式餃子が大きくて美味です。オット。

 
   『歴史を刻む 銀山と関所の町 院内』(2015年)52ページ

 ちょっと信じられないかと思われますが、本当です。細かい説明を省きます。ともかく、神足たちもここに立ち寄ってあちこち見ました。
 ネット検索か、『日本庶民生活資料修正第10巻』所収の「院内銀山記」をご覧ください。

とりあえずここまで。


 


 
 
 



 
 



 

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No.52  先生からの手紙

2024-01-18 01:52:17 | 勝記日記
 
  尖り石縄文考古館で

 1995年6月に『戦前期皇室財政統計』を法政大学日本統計研究所から刊行しました。〔この統計書は市販されていません。すでに絶版です。〕

 この統計書をある研究会で知り合ったK先生に差し上げました。
 K先生とは専門分野が全く異なっていて、なにか直接に教えを乞うというような関係はありませんでしたが、お贈りしたわけです。
 するとK先生は丁寧にご覧になり、手紙をくださいました。
 私は、通常の挨拶かなと思いながらおもむろに開けました。すると、なんと「前人未踏」と書かれていて、驚き、感動しました。
 
 「私淑」という言葉があります。
 上にも書いたように、K 先生とは専門分野が異なるので、直接何かの教えを乞う関係ではありません。しかし、この時以降、「私淑」するようになりました。
 同じ専門分野でなら多くの尊敬すべき方々がおられますが、異なる分野でありながら、自分の作業を高く評価してくださりました。これ以降、平たく言えば、なんとか納得できる成果を生み出して、K先生の評価をお願いしたいということが、作業に際して心がけることの一つとなりました。

 それが叶って、今回『御料局測量課長 神足勝記日記 ー林野地籍の礎を築くー』を12月15日に日本林業調査会(J-FIC)より刊行していただいてお送りしたところ、26日に次のお手紙をいただくことができました。

 「・・・老生、・・・高著を粗々拝見して、その生涯にわたる足跡を具に理
 解することができると確信致しました。
  それにしても、日記の詳細な読記、関連資料、人名録など、日記を読むに
 当って参考になる厖大な作業を完成されたことに心から敬意を表します。」

 私はこれを読んで嬉しく思いました。
 それは、褒められたところではなく、私が本書の冒頭に書いた「本書をお読みくださるみなさまへ」のことを的確に理解されたことがわかったからです。私は次のように書きました。

 「この日記は60年に及ぶ長大なものです。これは、日記の範囲を御料局測
 量課長の時代に狭めず、神足の全生涯や人となりを知っていただきたいとい 
 う思いで取捨したほか、その理解に役立つことを願って注記や関連資料も多
 く入れた結果です。」

 ご覧になるとわかりますが、『神足勝記日記』には膨大な記録や資料が入っています。どう利用するかは、みなさんまちまちといってよいでしょう。私の思いは「神足を知っていただきたい」ということですが、利用は無限でしょう。

 刊行して1ヶ月が経過しました。年末年始のほか、今年は年頭から大災害や大事件が続きましたから、新刊書どころではないのかもしれません。それもあってか、まだ大学や各図書館でも本書の意義に気が付いていないようです。
 必要とされる方に気がついてもらえればと願うばかりです。
 
 
 
 



 
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