神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.58 阿仁鉱山行 6.帰京

2024-01-23 14:56:58 | 勝記日記

 
  オカトラノオ:大覚野峠

 神足は田沢湖を通過して一気に仙岩峠を越えましたが、私は田沢湖の近くの国民宿舎に泊まりました。
 夕食の時に、国民宿舎のご主人のお父さん(80歳くらい)に、旅行に来た目的と、この日の自分の行程をお話しして、神足が「田沢湖から生保内のどこを歩いて仙岩峠へ向かったと思われますか」を尋ねてみました。すると、しばらく考え込んで、「明日の朝、車で案内します」と。
 私は、その申し出に甘えてお世話になり、車中ずっと地図で道を追いましたが、昔の道だからといいつつ辿ってくれたその道筋は、藪をくぐることもある道で、最後はもう見当もつかなくなっていました。そして、「そこを上って行ってください旧道です」と促す言葉に送られて、「また歩きに来ます」と礼を言って別れました。
 それから、コロナ蔓延もあって、もう7年近くたっています。

 さて、神足は仙岩峠を越えました。
 ここからがまた実に詳しく書かれています。経路、風景、歴史など、毎日毎日の記述がA4判(40×40)で打ち出して2分の1~1ページはあります。しかし、全部どころか、1日分マルマルもを書けませんから、ここでは、昨日の続きの5月26日の冒頭のところだけを紹介しましょう。

 
  オオマツヨイグサ:旧道と新道の合流点で

 「雨 午前5時橋場駅発。河流を渡る数回。橋皆大水の為に破損す。直道修
 路甚た整へり。地亦平坦。7時頃雫石駅に着す。橋場より2里19丁52 
 間。岩手県管内に入りてより道路広美。山形県に譲らす。県令の心を運搬の
 便に用ゆる知るへし。
  昨日歩行12里余、且山路を昇降せし故か、脚足疲痛を感し、僅々2里半
 の路程頗る困苦。恰かも10里の程を行しか如し。当駅より乗車。道路平
 美。山上川に沿ふて下り、厨川を通り、2時盛岡に着す。雫石より4里18
 丁52間。
  頗る広大の市府。秋田に勝る一等。県庁・裁判所・師範学校・勧工場・病
 院・警視署等、建築美麗を極む。繁華も亦秋田等に比する大に優れり。」
 この日、神足は雫石―盛岡を通過して花巻まで行きました。

 この調子でずっと書かれていますから、歴史的描写・記述、紀行日誌としても興味を引くことでしょう。しかし、ここで書き続けるわけにもいきませんから、これ以降は行程だけとして、何とか公開の場所を見つけたいと思います。

 5月27日 花巻発ー水沢ーー中尊寺ー一ノ関ー金成泊。
 5月28日 金成発ー築館―古川―吉岡―仙台泊。
 5月29日 仙台発―岩沼―白石ー斎川泊。
 5月30日 斎川発ー桑折―福島―二本松―郡山泊。
 5月31日 郡山発ー須賀川―矢吹―白河―芦野泊。
 6月 1日 芦野発ー大田原―氏家―宇都宮泊。
 6月 2日 宇都宮発。9時浅草。9時過帰宅。
 この間、馬車・舟・人力車などのないところは徒歩です。
 
 神足は、阿仁鉱山まで20日余、帰京に8日かかっています。1日で往復できるような今の時代からすると想像を絶する事態です。
 
 神足は筆まめな人で、日々の日記のほか、この旅程についての長いまとめを書いています。
 行きはともかく、帰りもずいぶんいろいろなところを見ていますが、それでも「此回の巡回は、是只東山道の一路、且官用急忙なるを以て未た平生の素志を満着せしむる能はす。他日全国巡回の後、詳らかに論及するところあるへし」と述べています。
 こののちの神足の動向については、ぜひ『御料局測量課長 神足勝日記 ー林野地籍の礎を築く-』日本林業調査会(J-FIC) をご覧ください。

 それから、今回のこの「阿仁鉱山行」を書きながら日記を見直していて、「2週日の暇を得て京に帰省す」と書いていることがわかりました。結果として、上京して6月30日に工部省へ「少書記官長谷川嘉道を経て辞表を提出す」ることになりますが、母からの電報を受けた時点では、阿仁鉱山への復帰の予定はあったことになります。
 
 長くは書けませんでしたが、工部省関係では興味を持ってもらえたのではないかと思っています。
 全文公開の場所の提供いただける場合はお知らせいただければ幸いです。

 以上、阿仁鉱山行はここまでです。
 
 

コメント
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