(1)きょうの柔道110㎏超の試合判定と処理は誤りと思います。
どういうことかといいますと、オリンピックのダイジェスト番組を見ていたところ、フランスのテディ・リネール選手とジョージアのグラム・トゥシシビリ選手の試合が始まりました。すると、リネールがトゥシシビリを足技で倒し、審判が1本勝ちを宣告しました。
ところが、その直後に、倒れていたトゥシシビリが、立ちあがったリネールの左足を掴んで同時に両足でけり上げました。これは写真画像ではっきり確認できます。
ニュースによると、トゥシシビリは暴言も吐いたそうです。
それを見た審判は、すでにリネールの一本勝ちを宣告したのに、さらにトゥシシビリ選手の反則負けを宣告しました。しかし、これではリネールの名誉を損うことになります。
リネールは、足技で勝ったのです。トゥシシビリのスポーツとしての柔道精神に反する行為は、その結果として起こりました。原因と結果がはっきりしています。結果が悪いことで、原因をなかったことにするわけにはいきません。
(2)確かに柔道は「礼で始まり、礼で終わり」ですから、勝負の決着後も厳密には試合中です。しかし、勝敗はすでに決着がついていて、その結果から発生したことです。しかも、勝者のリネールが引き起こしたことでなく、敗者のトゥシシビリが結果に不満をもって引き起こしたことです。
(3)もしこの例のように、はっきりと勝敗の宣告がなされた後に、敗者が結果に不満をもって何か事件を引き起こし、そのことをもって反則負けとしたら、勝者は自分の技量で勝ったにもかかわらず、その名誉を剥奪されるに等しいことになります。
これに対して、試合中に反則などがあった場合は、競技を成り立たなくした責任を問われて、同時にその相手を試合の勝者とします。その場合でも、「勝ちは勝ち、負けは負け」ですが、しかし、実質的には当座の措置、暫定的措置です。
とはいえ、そうだからといって、その試合をなかったことにわけにはいきません。なぜなら、もしそうすると、負けるのが嫌な人がいたとして、自分が負けそうなときにはいつも違反をする事態になりかねないからです。
(4)この件は、リネールの一本勝ち、そして、これとは別にトゥシシビリの処分を決める、とべきです。
トゥシシビリは、上記のほかに、畳を降りる前に柔道着を脱ぎだし、場内を上半身裸で闊歩しました。これは前代未聞ともいうべきことです。柔道家のこういう公然とした悪態を、私は初めて見ました。もはやトゥシシビリは柔道着を着る資格はないと思います。
柔道は格闘技です。ルールや柔道精神が欠落すれば、もはや相手を傷つける技です。そのことを逸脱した人は、この世界には居るべきではないと思います。
(5)同時に、ほかの競技の勝者と違って、格闘技である柔道の勝者は、少なくとも畳の上から離れるまでは、いわゆるガッツポーズなどするべきではないと思います。勝者としての風格が欲しい。
まあ、その点では、リネールにはだいぶ前にがっかりしたことがあります。私は、リネールを破って王者の風格を示せる選手が出て来ることを注目しています。彼がフランス人だからという言い方もできますが、尊大です。
また、これは敗者も同様で、敗けた無念さに打ちひしがれて我を忘れて取り乱すようでは、相手に対する敬意の精神に欠けている証拠で、唯我独尊の裏返しを示しているにすぎません。わが身の無念ばかり嘆くような見苦しい態度を示すべきでないと思います。
多摩川近くの木
【コレクション 37】
きょうは、『植木枝盛集』です。
植木枝盛といえば、下に掲載した写真ばかり見てきたように思うので、このパンフレットを見るまで、植木のこんな顔を知りませんでした。
ザンネンながら、私より格段に男前です。
このパンフレットは、B5判大、6㌻です。B5判3枚分の横長の用紙を3等分して、最初に左の3分の1を谷折りし、次に右の3分の1を谷折りするとできます。全体の構成は、
1㌻ 上掲
2㌻~4㌻ 上4分の1に推薦文
安岡章太郎 植木枝盛によせて
色川大吉 時宜を得た企画
岡田英里 実践に裏打ちされた思想
中段の4分の2に 内容紹介
下段4分の1に「植木枝盛略年譜」〔下に掲載〕
これが最大ですが、それでもちょっと読みにくいですね。
5㌻ 上4分の3に 家永三郎 編者のことば 〔抄です〕
「枝盛は、主権在民・人権保障・権利平等ばかりでなく、世界平和をめざす軍備全廃の理想を高く掲げた点で、日本国憲法の基本理念を先取りしたのであった。いな、日本国憲法制定の過程で、間接ながら枝盛の構想が取り入れられていることを思えば、枝盛の全生涯にいくばくかの問題があったとしても、彼の先駆者としての歴史的地位は軽視できないものがあるとされなければならない。」 う~ん、いいですねぇ。
下4分の1に 特色
6㌻ 実物大写真図
刊行案内 四六判 平均三四〇㌻ 1990年1月 岩波書店
植木は男女平等についても、今でも古くないない内容のことを言っています。紹介できなくて残念ですが、きょうは以上です。
きょうの多摩川の夕べ 右にシラサギが集結しています