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朴
今日(3/13)、『朝日新聞』15面の原武史「象徴天皇制を問い直す」を読みました。
こういうインタビュー記事が出て来ることを嬉しく思いましたので紹介します。
内容は大きく前半と後半に分かれています。
前半では、憲法に定義のない「象徴」の務めについて、明仁天皇(当時)が、「退位」の意向を示した「おことば」で「宮中祭祀(国民の安寧と幸せを祈ること)」と「地方訪問(人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと)」と位置づけていたと読み取っています。
そして、とくに後者について、上皇夫妻は手を携えて被災地訪問などをおこなう中でそれを確立したこと、同時にそれが「象徴天皇制」の役割のハードルをひき上げたこと、だからその務めができなくなれば「退位」するしかなかった、といいます。
よく観察されていますね。
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釈迦堂遺跡博物館
後半は、まず、明治・大正・昭和の天皇それぞれが、前代のスタイルを事実上否定して新たな流儀を築こうとしてきたものであること、そもそも皇室の多くの制度も明治以降に「創られた伝統」であることを述べます。
そして、皇位継承について、2005年の有識者会議での女系の提言があったが、保守派は男系に固執したこと、ところが、悠仁親王だけとなった今、男系は難しくなって、元皇族11宮家の復帰がいうが、それはすべて南北朝時代に分かれた伏見宮家がルーツになっているものだといいます。
(そうです。私も調べたことがありますが、伏見宮は約20代前に分かれたものです。ふつうは5~6代前ならもう「他人」です。ところが、明治になって、皇族としていろいろな理由から名前が与えられ、宮が創立されたのです。なお、宮は一家でなく、個人の称号です。天皇家は一家ですから、皇族が一家をなすのは、臣籍降下して皇族でなくなった時です。その時、名字を名のることになります。)
では、女系ならどうか。女系でも、血統による世襲ならば、やはり結婚して子供を産むことが求められますし、未婚やLGBTQは認められないから、多様性の時代にはそぐわない。では、どうするかということにたいして、「そこまでして象徴天皇制を維持する必要性があるかを議論すべき段階です」といい、ところが、左派リベラルは存続が前提の議論ばかり・・・と。
そうです。忖度せず、本当はどうすべきかをいう時期と思います。
そして、「天皇制国家と呼ばれるものは、国家神道の整備と大規模行幸、学校教育によって、紆余曲折を経ながら形成されてきたものです」、これにはメディアが果たした機能が大きいと批判し、最後に次のように言っています。
「新聞もテレビも、皇位継承や政教分離の問題を扱うことはあっても、根源的な問題には踏み込まない。これでは、天皇のあり方を決めるべき国民の中に冷静な議論は育たず、タブーはいつまでも残ったままです。ジャーナリズムは本来の責任を果たすべきです。」
いいですねえ。賛成です。
以上は、私が注目したところです。詳しくは、新聞記事でご確認ください。
久しぶりに、良い象徴天皇制の議論を読みました。
といって、今日の本論を書くことができなくなりました。明日としましょう。
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