神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.333 漫遊

2024-11-14 00:15:27 | あそび
(1)今日は、久しぶりに滝山丘陵を越えて、加住町〔かすみまち〕の方へ行ってきました。
 最初にコース概要です。右上に昭島市があります。上から流れて来るのが多摩川、左からくるのが秋川〔あきがわ〕、この2つが合流して多摩川となります。
 13:00 多摩川を右端にある拝島橋で渡って右下の左入町〔さにゅうまち〕に来ます。
 そこから、赤く塗られた滝山街道に入ります。滝山町・加住町・宮下町と自転車を転がして歩いて、左上の桂福寺の東脇を北に右折して黄色く塗られた道を北上。
 丘陵の尾根界からは自転車に乗り、グリーン・スポーツ公園のところを右折して秋川右岸〔青い線〕を高月の圓通寺脇まで下って、東秋川橋を渡って秋川の左岸に移り、少し下って小川東1・2丁目の境を少し北上し、〔そこからは少し地図が欠けていますが〕多摩川を睦橋〔むつみばし〕で渡って左岸に降りて拝島橋まで下り、17:00前に帰宅しました。
 下に少し途中のことを書きましょう。



(2)まず、左入町では左入会館に立ち寄りました。(下の写真)
    
 入っていって、正面にある白い2階建ての建物が見えるところです。
 詳しくはまた後日書きますが、ここは祖父の兄〔大伯父〕が昭和の初めに、まだ分教場といわれた頃ですが、10年刊ほど教鞭を取ったところです。
 ちなみに、地図の高月の圓通寺の近くに「高月分教場」が見えますが、大伯父は、左入町へ移る前の明治30年から大正年間までの30年間、ここで教鞭をとっていました。
 私が昭島市に住んで約40年ですが、そのほぼ同じ期間、大伯父は対岸の八王子市で教鞭をとっていたわけです。奇縁ですが、およその調べがつきましたから、順に書いておくことにしたいと思います。今日はその腹積もりで見直しに出たわけです。

(3)途中「八王子乗馬クラブ」の乗馬練習を見学して、宝印寺の「青木魯平翁碑」を見に寄りました。すでに2021年3月に碑文の読み取りはできましたが、久しぶりに寄ってみました。
 上の題額は貴族院長・公爵近衛篤麿、碑文の撰者は東宮侍講三島毅、碑文の書者は貴族院議員金井之恭、刻字は七世廣群鶴です。文も書体も刻字も相当なものです。
 
   

(4)加住町からは、谷地川〔やじがわ〕沿いの遊歩道が新しく整備されていましたから、宮下町まで歩きました。
 1.堰堤にカルガモが見えました。

    

 2.川縁は藪になっていましたが、何種類もの花や実が見えました。そのうちの一つです。
 見ていると、ちょうど出てきた八王子市役所加住事務所の職員らしき人が、「まゆみ」と教えてくれました。少し陽が翳っていましたが、晴れていたらもっと華やかだったと思います。

   

(5)ちょっと先を急ぎます。
 東秋川橋を渡って100mほど下った辺りへ来たとき、突然、水辺から鮮やかな青い羽の鳥が飛び立ち、少し向こうにとまりました。小さくてよく見えないので、方向の見当をつけて、ブレないようにシャッターを切って拡大してみたところカワセミでした。
 何枚も撮っているうちに、右の草のところからいちど小魚を捕獲して、ついで石の上に降りてしばらくじっとしていました。せっかくのシャッターチャンスでしたが、すでに16時を過ぎた暮色の中での押すだけのデジカメ撮影ではここまでが限界でした。
 しかし、大伯父が高月のこういう風景の中で30年近くを過ごしたのかと思うと、感慨も一入でした。

    
 
 きょうは、ここまでです。

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