勝浩氏が保存されていた大澤の手紙の表紙
今日は、夕方からずっと、「勝浩氏宛の自分の手紙」を読み込みました。
『御料局測量課長 神足勝記日記 -林野地籍の礎を築く―』日本林業調査会(J-FIC)の解題(4ページ)に書きましたが、私は毎年の『日記』を入力し終わると、勝浩氏に、打ち出したものに手紙とフロッピーをつけてお送りしました。
すると、勝浩氏は、すぐに『日記』に目を通し、お電話くださり、毎回、延々40~60分に亘ってお話しを伺うことができました。
解題に、このお電話をいただけたことが励みになって、60年に及ぶ『日記』と「回顧録」の入力作業ができたのだろうと思っている旨を書いたのですが、しかし、いったい何を話したのか、よく覚えていないのです。
じつは、上の「表紙」に「20.10.2」と日付が入っていますが、コロナが始まった年の秋2020年10月2日のことですが、ご子息の勝文氏より勝記関係の文書を10箱ほどお借りすることができました。
そこには、前に紹介した勝記の母伊喜さんの日記『清壽院殿御日記』、勝記のご子息の勝孝氏の日記ほか、勝記が引退後に調べてまとめた『神足家系録』などがすべて含まれていました。そこで、これらの目録を作るために調べると、わずかですが、勝浩氏のものも含まれていて、その中に、なんと私が日記と共にお送りした手紙(送り状)60年分のほか、参考文書などのすべてが整えられて、上の表紙を付けて袋に入れられていたのです。
このことに気が付いて、だいぶ前に一度読みましたが、なにせ自分の手紙なので気恥ずかしく、パラパラと拾い読みするのがせいぜいでした。しかし、今日、少し真剣に読み直してみて、勝浩氏がずいぶんとアンダーラインを引いたり、メモ書きをしていることに気付き驚きました。
電話で、勝浩氏が訳もなく話されていたという記憶はありませんから、私の質問や日記に関することをまず話され、それからその時々の世相・世情など話したのだと思います。
何回か「日記の内容について、知らなかった」と言われたことがあったのを思い出しました。
これらのことについては、自分も日記に何かを書いているだろうと思われますから、ちょっと時間を取って調べてみたいと思っています。後日、機会があればここに書きたいと思います。
この辺で。
山でのアリバイ作り
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