神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.54 阿仁鉱山行 2.院内にて

2024-01-19 22:50:01 | 勝記日記
 
 「350年の歴史と人の営みを刻む銀山史跡」(院内で収集)より。
 1~4番坑は記載がありますが、神足たちが入った5番坑は不明。

 神足たち一行は、院内鉱山に24日~26日の間滞在しました。
 今日は、神足日記から院内での様子を少し紹介します。

 まず、4月24日、鉱山を歩いて銀の製法を聞きました。
 「・・・二時過よりライヘル、プファイフェルと坑口を一見し、製銀の法を
 問ふ。初めに坑中より鉱石を運ひ出し、之を小分し、上下の鉱を分ち、一は 
 直に之を精錬所に送る。或は之を粉にするあり。再〔両か〕なから精錬所に
 て鉛及木炭と混し熔解す。其得たる銀鉛を再ひ熔解して銀を得る。上鉱は百
 斤に付三斤。次は二斤、次は一斤を含有す。」

 つぎは、こうして得る鉱石の所有権限〔採掘と買上げ〕についてです。  
 「坑中より鉱を掘り、純金を得るに至る迄は土人の所有にして、其権内にあ
 り。此純金を政府にて買上く。価、正銀30目に付9銭5厘と云ふ。万事旧 
 慣法を以てするか故、純金を失ふ少からす。誠に惜むへし。」
 
 そして、この分離のために鉱石の取り扱いに齟齬が生じているといいます。
 「其他、坑中に巨多の鉱石を捨てをき、坑より持出せし者と雖へとも、千分
 の9銀を含有するは捨てヽ顧みす。是蓋し政府と共有するの姿あるを以て深く損益を看みさるの致す所ならん。」

 さらに、捨ててしまう「千分の9の銀含有量」を持つ鉱石について、フライブルク〔フライベルクか〕鉱山では「最上の鉱なり」といい、それによる損失について「其徒費に属する幾千なるを知らす。其弊矯めさる可らす」と述べています。

 4月25日は雨でした。このため院内に滞留し、午後2時よりライヘル・プファイフェルと5番坑中に入りました。つぎのように書いています。(なお、上の地図のほか、院内を紹介した書籍にもありませんでした。)
 「衣服を借用。蒿〔わら〕靴を穿ち、恰も印土人の如し。行く凡十八丁、屈
 曲、安兵衛砒〔ひ=切羽を表すと見られる〕に至る。進むに従て、坑中益々
 狭隘。終に匍伏して掘鉤〔くっこう〕の場に達す。温気猛烈。空気亦甚悪
 し。温熱の為汗背をひたす。夫より諸砒を巡見。或は頭をうち、或
 は水中を歩し、五時頃出坑す。気佳ならす。」

 そして、坑夫の状況について「此悪気を吸ふか為に、齢30に至れは皆黄泉の客となる。愍然〔びんぜん=あわれなさま〕の極なり」と同情しています。

 26日はメッゲルと精錬所に行き、案内人に従って巡検しました。ほかの人の行動はわかりませんが、丹羽維孝〔これたか〕は先を急いだようで、12時過に阿仁鉱山に出発します。
 神足たちは、27日に別コースで阿仁鉱山へ向かいます。そこは明日にしましょう。

 なお、昨日の写真にあるように、上の地図にあるものが今日ではほとんど何もなくなっています。石でできたものや説明板など、意識して保存措置が取られたもののほかは、ほとんど自然に帰ってしまっています。

 
 
 





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