Thierry Lang - Guide Me Home
最近の人々の
車の運転を見ると
何に急いでいるのか
やたらに
スピードを出し
車間距離も近すぎです。
つまり
心に落ち着きがなく
あしゃあしゃしています。
あしゃあしゃしていた
ぼくも
様々な探究、思索により
静謐にして
簡素質朴たる境地を好むようになりました。
明鏡止水
只管打坐
侘び、さび、しほり
控えめな美が
これからの日本に必要です。
高橋(和敬静寂)
先般
BBTテレビで
判子屋の婦人が
お父さんに提案する場合は
2か月後に
おもむろに自説を述べると
良いと言われていた。
また
聖ホセマリア・エスクリバー神父も
上司には
気になる事を紙に書いて渡し
あとの判断を上司に委ねればよいとされていた(「道」という著作)。
そして
ぼくは
それを試してみた。
掃除のやり方等につき
上司に
アイデアを紙に書いて渡した。
正式なビジネス文書の形式は
敢えて採らず
メモのような手書きの紙にした。
結果は
すこぶる塩梅が良かった。
アイデアの採否は
どちらでも良いので
角が立たずに
いい感じであった。
やはり
口頭より
ソフトになったのだ。
これで
部下の責務を果たし
気が楽になった。
人生の先達に学び
上下の別
長幼の序を遵守することは
大切であった。
やはり
朱子学の如き
縦社会の人間関係が
正しいと思った次第であります。
高橋(尊敬する儒者:新井白石)
古代ギリシャの哲人と
近代哲学を導いたデカルトやロックの
学問動機は
根本的に異なる。
ソクラテス氏や
プラトン氏は
基本的に純粋に学問を究めていた。
が
デカルトやロック
モンテスキューやルソーの著作は
無神論ないし理神論を
政治的に吹聴する
不純で放埒な意図がみられる。
したがって
近代哲学に
理性の透徹はない。
無意味に長たらしい文章
内容が意味不明で自己満足な
単なる暇人の日記が
近代哲学の著作である。
近代観念論や経験論の本質は
神からの逃避であり
私はナザレのヨシュアという方を知らないと述べたぺテロ氏の頑なな否認のリピートである。
ギリシャの論理学を持ち出し
その三段論法が
あたかもギリシャの認識論と存在論であるかのように都合良く抽出し
論理学で筋が通らないことは
存在しないとしたのだ。
あるいは
感覚的な経験が知識と真理の源泉だとしたのも、その経験にはモーゼやエゼキエルの経験は含まれておらず
単に
ロック自身が
神を観たことがないから
神はいないという主張である。
同様に
カントの純粋理性批判は
全く純粋ではない。
権力への意志を唱えながら
何ら権力が得られなかった
ニーチェは愚か者である。
是に於て
稚拙で愚鈍な
近代主義者の真実を露わにせねばならない。
昔のOECDの調査報告書には
日本にはマルクス主義者と近代主義者しかいないという指摘があった。
上記の指摘は
誉め言葉ではなく
外人さんが日本の学者をだらにしていることすら
日本の学者は気付いていない。
つまり
明治以降の日本の社会科学は
全く深化していないのだ。
いまでもなく
私は前近代主義者であり
超保守主義者
原始共同社会を志向するものである。
高橋(ウルトラコンサバ)
日本の現状は
リアルな実感として
戦国時代に似ている。
ぼく属する業界や
身近なところの業界情報は
ほとんど
下剋上や群雄割拠
実力時代の到来である。
このような危機的状況にあってもなお
安閑たる貴族的世界観に逍遙したる人々がいる。
マリー・アントワネット
ルイ16世
末期の江戸幕府の空気に包まれた一群のセレブ的な人士である。
あるいは
真田丸の世界が
現代そのものであり
汎用性のある戦略と懐柔、出世のメソッドがあることを等閑に付し
単なる懐古主義に耽るオタク的なメンタリティーが残存している。
セレブ的な貴族趣味や
オタク的なメンタリティー
すなわち
自己完結し
自己批判を忘れ
同類の同意に安易に逃避する
独善と排除の論理は
もう終わりにせねばならない。
本会は
天下に恥さらしな日記である。
しかし
家康公も頼朝公も
どん底から這い上がった成り上がりである。
すなわち
不幸と忍従と忍耐は
むしろ
人生と事業に不可欠な要素である。
仕事を通じて人間を練り上げること
一般的な修行(寒修行・早起き・断食・祈り)は
何を為すにせよ必要な前提である。
昔の偉人は
なべて修行して
眼力と人間力をアップしたのである。
高橋記(毎日が朝起き会)
近代経済システム
資本主義とも
貨幣経済とも称される社会経済制度は
破綻寸前である。
介護、保育、教育、
産業と雇用、地域共同体、家族は壊れて
おかしな事案が頻発している。
だが
マルクスは
資本主義を発展段階として容認している。
国独資も
帝国主義も
列強の世界分割も
マルクスとレーニンは善しとしたのだ。
マルクス・レーニン主義の密教は
国民国家を無くし
世界帝国と奴隷社会を目指している。
つまり
共産主義は
人類の救いの教義ではない。
マルエン全集は
悪の教典である。
では
何を社会の軸とするか。
それは
小さな商売と会社、公益法人を作り
スローなスモールな事業を行うことだ。
家族で経営する商店
家族で経営する果樹園
自給農家
小さい会計事務所
小さい清掃業者。
そうした企業や働きかたを
推進するには
税金等により
自営業者を優遇せねばならない。
今はなぜか
厚生年金を優遇し
国民年金の自営業者には厳しい施策である。
子育てや介護を家族で循環させるには
8時間労働のサラリーマンを基準にした
働き方では
物理的に実行できない。
つまり
パートやフレックスな働き方を
スタンダードにし
最低賃金を時給1000円以上にせねばならない。
職業に貴賤なしを証明し
1億総活躍社会を実現するには
まず政府が最低賃金を上げ
5時間労働をスタンダードにすべきである。
高橋記(日本の下層社会)
gooさまの
ブログを始めて良かったこととの問いはたいへん意義あることでございます。
すなわち
ぼく個人のしょぼくれ人生に生き甲斐が生まれ
しょぼいNPO活動が活性化し
芸術文化活動も
活発になりました。
gooさまの日々の努力と忍耐の賜物でございます。
この場を借りまして
深く感謝申し上げ候。
高橋(やわしいおんじゃ)