下手の横好き

おやじが語る辻堂ソフトテニス事情
Where there's a will,there's a way!

忘れない

2011-11-25 10:24:58 | ソフトテニス
君は学年で4つ下、僕が卒業するのと同時に入学してきた
僕たちの代までのそれと比べて、明らかに技術レベルが高かった
学生時代には通してきた高さとコースも、君には簡単に取られて落胆した
背が高くガタイも大きかったけど、人懐っこい君だった

まだ君が学生だった頃、六角橋のアパートの2階に39度の熱で仕事を休んで寝ていた僕を訪ねてきて、
「相談があります」
「いや、悪いけどこんな状態だから無理だよ」
「何言ってるんですか、呑めば治りますよ」
近くの居酒屋に連れて行かれて、たくさん話を聞かされたことがあった

君からもあの子からも、ほぼ同時期に同じような相談があり、そして後日、報告があった

昭和57年の横浜市選手権、君と組むはずだったペアが出られなくなり、君は代役で僕に出てほしいと電話をくれた
「でも、打てないよ」
「いいですよ。サービスを入れて、ボールをつないでくれれば」

当時はまだ出場者がたくさんいて、トーナメントで大会が成り立っていたな
1本だけクロスにサービスを入れたら
「全部、センターに入れてください」
「はい・・・」
僕は、ひたすら君の言うとおりセンターに入れて、ボールを拾いまくり、気がついたら16本
八面六臂の活躍で、すべて君のおかげだったね

8本決めの相手はT島君。僕が4年の時に横国大の1年生で、負けた記憶はなかったけれど、その時は、もう僕はヘトヘトで足が動かず、一方的に押しまくられて敗退
試合終了後、T島君は笑顔で一言、
「Tさん、疲れてましたね」

その後、横浜市選手権ベスト16のペアが横浜インドアに出場
眼もバウンドもインドアに慣れず、気持ちだけ舞い上がって、惨敗
君には本当に申し訳なかった

ある日、君のカミさんになる子から電話があった
酔っていた僕は電話口で、「花嫁になる君へ」を唄った

結婚式に招かれ、笑顔輝く二人を見て、本当によかったと心から感動した

転職を聞いて驚き、新潟赴任を聞いてため息をつき、東京帰任に胸をなでおろした

子供の誕生を喜び、年賀状の家族写真を見るたびに君の成長をうれしく感じた

君も僕も、それぞれが忙しく、いつの間にか顔を合わせることがなくなった

去年2月、品川で君たち夫婦や、奥さんのチームメイトや、僕の後輩と会食した。本当に久しぶりに君の顔を見て、声を聞いた
もうその時、君はビールも飲まなかったね

4月、久しぶりに母校のOB会に出て、久しぶりに懐かしいフォームを見た
ああ、最近練習していないんだな、と思った

その後、君が患っていることを知った

11月、君たちの代が白子に集まりテニスをするからと誘ってもらい、本当に楽しい時間を過ごした
君は、もうボールを打つこともせずに、笑顔でカメラをまわしているだけだった

そして今年9月下旬のある夜、君の先輩から、みんなで君に会ってきたと電話があった
君の先輩も君のチームメイトも、正体のないほど泥酔していて、早く君に会いに行ってくれと、口々に僕に繰り返した

すぐに会おうとした
でも、もう会える状態ではないと知らされ、僕はひたすら祈ることしかできなかった

入院、そしてホスピスへ

11月のある朝、携帯に着信があるのに気づいた
ずっと君の動向を知らせてくれていた、君のチームメイトからだった
もう、わかった
君が逝ったのだと

勤務先から折り返しの電話を入れた
不覚にも、自分の席に戻ってから涙をこらえられなかった

通夜に出かけた
会場までのアクセス方法や交通機関の時間など調べておいたのに、そのすべてを忘れて電車に乗っていた
持って行こうと思ってた、裏に第2回と刻印された横浜インドア出場記念メダルも、忘れてしまった

最寄り駅から15分ぐらいの場所だったのに、僕は、あちこち4、50分も歩き回っていて、なかなか会場に行き着けなかった
きっと君の顔を見るのが怖かったのだろう

幽冥の静謐に導かれた君は、穏やかでわずかに微笑んでいるかのようだった

僕よりずっと若い君が、先に逝くのは生意気だぜ
まっ、僕もそう長いことはないだろうけど

短すぎる51年を急ぐように全力で走りきった君よ
みんな君のことを忘れない

安らかに眠れ