下手の横好き

おやじが語る辻堂ソフトテニス事情
Where there's a will,there's a way!

軟式庭球部歌!

2006-06-16 20:09:03 | ソフトテニス
私の母校、宮城県立F川高等学校には、オフィシャルな歌が結構ありました。
校歌のほかに、第二校歌とも言われてた図南歌という歌があり、今の方々が聴いたら何とレトロな、と思うような、それでも僕らは、高下駄を履いて雪の中を通学した僕らは、旧制中学の流れを継承した男子校ならではのこのGAI歌が大好きでした。
http://www.furuko.myswan.ne.jp/kouka.html

そうそう、そして、その他にいくつかの運動部の歌があって、生徒手帳に記載されていたのですが、その中に、そう!軟式庭球部歌があったのですね~。
歌に恥じるほどの成績ではあったのですが、それでも誇りに思ってました。
かなりウロ覚えなんですが、ご紹介します。

大崎耕土に秋(とき)たけて
治乱の夢を越え行けば
高鳴る胸の紅の
若人の血は燃えにけり

熱球飛べば目にも見よ
音にも響く古高の
奮えや奮え我が選手
覇権を握る時は来(き)ぬ

補欠だったのですがとにかく軟庭が好きで好きで、親の期待はどこ吹く風で、当時は進学校だったのに朝から晩までテニスばかりやってた時代を、ついこの間のことのように思い出します。

コメント
高校で゛部歌゛とは!
初めて聞きましたよ!!
粋ですねぇ/

投稿者 ふくだ : 2006年06月16日 23:27

F高最高ですね!ちなみに年齢はおいくつですか?よかったら教えてください

投稿者 はいっ : 2006年06月17日 01:48

ボス、いいでしょっ?
でも弱小だったんですね。

"はいっ"さん、F高をご存知ですか?
いつの間にか共学になってるらしいですが。
年齢は50歳です。

投稿者 taka : 2006年06月17日 12:30

初めまして、F川高校と定期戦を行う間柄だった「T館」高校のOB30歳です。お互いを「山○」、「○○○り」と罵りあった(?)あの頃を懐かしく思い出します。F川高校とは違って、うちの高校には部歌っていうのは無かった気がします。
共学化の波を受けて、うちの高校も2年くらい前から共学になったみたいです。在学中にしてくれたらなあ、という思いは今もあります(笑)

投稿者 onodera : 2006年06月18日 13:06

onoderaさん、コメントをありがとうございます。
T館高校ですか、それは本当に懐かしいですねェ。
両校とも羽織、袴、鉢巻の応援団長が、声を張り上げて応援していましたよね。
そうですか、T館高校も共学ですか。
寂しい感じがするのは、やっぱりOBの身勝手なのでしょうね。
"在学中にしてくれたらなあ、という思い" は一緒です!

投稿者 taka : 2006年06月18日 17:32

takaさんへ。同い年のおっさんです。私の高校時代は学生運動の名残を引きずり学校がまだ落ち着きを取り戻しておらず、校歌にも愛着が無く、まったく覚えていません。部ごとに応援歌があるなんてすばらしいことです。わが息子もtakaさんの娘さんと同じで中学でソフトテニスに燃えています。昨年の新人戦では個人準優勝、団体戦優勝となり各方面より試合の招待があり忙しくしております。しかしながらここ最近の試合では、攻める姿勢が無く勝てる試合を落とすことが多い結果となっています。スポーツには、ほんとに強い気持ちが大切だと日本のサッカーと愚息の試合を見て思う今日この頃です。

投稿者 gandy : 2006年06月19日 15:45

gandyさん、コメントをありがとうございました。
同い年とは嬉しいことです!

私もサッカーを見ていて、技術とか戦術などではなく、「何が何でも勝ってやる」みたいな強い気持ちを感じられないことが、物足りなさを覚える原因だろうと思います。
こんなことを云うと「また精神論か」という声も聞こえてきそうですが、そういうものを軽んじて、テクニカルな部分にのみ着目しても、底の浅い結果しか得られない、身体の奥底から湧き上がるような喜びを経験することはできないと思います。


投稿者 taka : 2006年06月20日 12:44

ガットが切れた

2006-06-14 15:11:10 | ソフトテニス
土曜日、ゲーム中の打球の際にガットが切れました。
懐かしい感触に年甲斐もなくはしゃいで、みんなに言い触らしてしまいました。
ガットが切れるなんて何年ぶりのことでしょうか。記憶にありません。

数年前、十数年ぶりにソフトテニスを再開した時には、ラケットもガットも様変わりしていて、ガットは数ヶ月、それも不定期に交換のために自分で鋏を入れることしかありませんでした。
ガット張りも、自分で張ってもきつく張れず、ショップに頼むしかないという状況に慣れるまで、幾許かかかった覚えはあります。
(そういえば、ガットって死語じゃないよね? よくストリングって聞くもので)

メインが鯨筋だった頃は、ガットは高価で切れやすく湿度にはメチャ弱かったので、購入する時は真剣勝負でした。
スポーツショップのガット売り場に行って、自分が変える価格帯のガットを全部、一つずつビニール袋をゆっくり回しながら、袋越しに丹念にキズはないか、空洞はないか、太さは均一かなどを見ていって、数十分後にやっとレジに持って行っていました。

それでも、何回かに1回は張っている途中で切れてしまう悲劇に遭わなくてはいけませんでした。

そう、縦はフレームの両端を足の裏で押さえて、中央から両手で2本ずつ外に向かって引っ張っていく。
それを数回繰り返すことできつく、フレーム全体が少し丸に近い状態になるまできつく張る。
横は、縦絃を交互にくぐらせて反対側に通し、巻き棒に巻きつけて引っ張り、千枚通しで止める。
交互に縦絃をくぐらす時には、縦糸が傷つかないように千枚通しや指で横絃を上下に動かしながら反対側に持っていく。
縦横共通なのは、中央部が幾分緩くなるように張っていくことでした。

縦がきれいに張れて、ふうっと安堵のため息をつく。
そうして、注意深く横を張っていく途中で、巻き棒でキリッキリッと引っ張っている途中で 「ブツッ!」
世の中にこれほど悲しい音があるかという、切ない音が一人っきりの部屋に響く。

ほとんど息を殺すようにして一本を張り上げた時の、えもいわれぬ達成感は、いまでも鮮明に思い出されます。
さぁ、今度の土曜日はガットを張って来よう!

コメント
私は、職場でバドミントンのガットをよく張っていたので(手張りや分銅)、娘のガットを張ってあげてました。
中央をやや緩めに張るのと張り終りで形が変形しないように気を使いました。
ペアのも張ってあげてそれが全小を取った時は非常に嬉しかったです。
今はみんなマシンで張ってます。むらが無くなりますから。
でも自分のガットはいまでも手張りです。

投稿者 埼玉のトレ―ナ― : 2006年06月14日 15:46

いBMの天城の研修所でのセミナーから帰ってきたばかりで、弱ってます。
コメントをありがとうございました。
本当は、ガットは自分で張るのが一番ですね。
因みに、私はいまだにグリップはレザーの奴を自分で巻いています。
この間練習やってたら、遠くにいた十代の男たちが、
「ほら、Tさんのさァ、生グリップだぜェ」

投稿者 taka : 2006年06月16日 21:02

生グリップとは(-o-;)なんとも言い得て妙ですね。
わたしは経験がほとんどないのですが、道具におもいっきりこだわる性格なので、子供達のラケットはおもいっきりこだわってます。
(子供達は何でもいいみたいですが)
スラセンジャ‐のレザ‐も使った事があります。

今のお気に入りはカワサキのナンバーワンです。あのしなりは他で味わえないですね。

投稿者 埼玉のトレ―ナ― : 2006年06月16日 21:32

埼玉のトレ―ナ―さん、シブ過ぎる!
私も手元に1本ありますが、もう重くて使えなくなってしまいました。
スラセンジャーのレザー!
下手くその癖にグリップには凝っていたので、学生の時に好きでよく使ってました。

投稿者 taka : 2006年06月17日 12:58

冬のアナタさん、その通り!

2006-06-10 16:12:55 | ソフトテニス
週間ソフオンアンテナ 6月10日(土) 号に、「昔は『テニスマガジン』に硬式・軟式両方の情報が載っていた!」がありました。
BRIDGEの"冬のアナタ"さんが書かれたものです。
http://bridgeanata.blog10.fc2.com/blog-entry-76.html

懐かしい!!!!!
まさに私たちの時代です。
本当に数多くの有名選手たちの連続写真が、よく誌面を飾っていました。
いまのよりも、中身が濃かったような気がします。(ゴメンナサイ)
特集号だけではなく、毎号のように連続写真が掲載され、当時の私は、それを全部切り取ってファイリングしていたものでした。
感動のあまり、解説されていた柴田昌顕さんに、是非仕事を手伝わせてほしい旨の手紙を書いたら、諌める内容の返事と一緒に、サイン入りの著書を贈っていただき、またまた感動した記憶が蘇りました。

生憎、大学4年の時に県学連からの要請で某女子大のコーチをやったのですが、その時に、持っていたテニス関係の書籍数十冊(硬軟合わせてほとんど持ってました)と、高校から貯めたテニスマガジンの連続写真を、ああっ何てことをしたんだろうなと今でも思うのですが、「お前ら、練習だけじゃなくて、こういうのもあるから勉強しろ」とか言って、あの時、そうあの時は、惜しげもなく彼女らにあげてしまったのです!
因みに私のサービスは、テニスマガジンの連続写真に取り上げられた、相庭選手のサービスの華麗さに影響を受けたものです。
知らないよねぇ。

「読者にとっては載っている情報の半分は不必要なものであるため、不評を買ったのではないでしょうか。」
いえいえ、当時はWebもなく、GAORAもなく、テレビではテニスはマイナーで、情報源は書籍と雑誌だけでした。
ケン・ローズウォール、ロッド・レーバー、コート婦人、キング夫人、中尾和三 ん?
石黒修、渡辺康二、神和住純、坂井俊郎・・・

ニューリース。使ってました。オレンジ!
快活はニューリースだと確信してたなァ。

コメント
浜砂オンラインさま

このたびは私のブログを取り上げていただきありがとうございました。
私が中学に入学して軟式テニスを始めた頃にはすでに『軟式テニス』は発行されていましたので、それ以前のことにはあまり関心がありませんでしたが、「そういえばそれまではみんなどのように情報を収集していたんだろう?」と思ったのが今回の発見のきっかけでした。

現在は、GAORAやwebなど、新しいメディアによってソフトテニスに関する情報の露出が増えているのだろうとは思いますが、では連続写真のようなものがどれだけ流通しているかというと甚だ疑問です。
情報は「量」も大切ですがやはり「質」が決め手なのではないでしょうか。


余談ですが、私、1980年代後半の一時期、平塚市のSクラブという団体に所属していたことがありました。田村のコートで行われる大会に出ては負け出ては負けでしたが、いい思い出です。どこかでお会いしていたかもしれないですね。

投稿者 冬のアナタ : 2006年06月14日 01:01

冬のアナタさま。
コメントをありがとうございました。

「そういえばそれまではみんなどのように情報を収集していたんだろう?」と思う、その着想力に脱帽です。
玉石混交の情報が溢れて、探索と選択の困難さの中に存在する私たちは、時に、シンプルな疑問を素直に受け止められるように心がけることも必要だなァと、反省しきりです。

"情報は「量」も大切ですがやはり「質」が決め手"
おっしゃるとおりですね。
そこに辿りつくまでの努力を惜しんではいけないということを、あらためて考えさせられました。

Sクラブには、ずいぶん前ですが二、三度お邪魔したことがあります。
もしかしたら、何れも前衛ですが、中T氏(サウスポー)、Y形氏、また女性で旧姓S川さん、などもご存知かも知れませんね。後衛だとHヤシ君ぐらいしか知りません。

今後もブログを楽しみにしています!

投稿者 taka : 2006年06月14日 12:46

ライン引きとの惜別

2006-06-04 15:14:55 | ソフトテニス
浜砂ソフトテニスクラブのコートに、とうとうラインテープが貼られました。

会員手作りのクレーコートで、小まめにローラーをかけ、時折ニガリを撒き、と、長年にわたって丹精込めて整備されてきたコート。
天候やコートのコンディションに応じて濃さを調整しながら、石灰を水に溶く。
長いロープの両端を2人で引っ張って、そのロープに沿ってジョウロ式のライン引きで丁寧にラインを引いてゆく。
ラインを引き終わった直後のテニスコートは、キリリとその雄姿を誇るがごとくで、いつも、ため息が出るほど、歓声を上げたくなるほど綺麗でした。

ジョウロ式のライン引きはメーカーが製造を打ち切って久しく、また、溶いた石灰を含ませて手でラインを引く刷毛も既に見当たらず、本当のジョウロに、形状を自作で工夫した出口を取り付けて、この数年やって来ました。

しかし、しかし、とうとうラインテープが貼られました。
勿論、ラインテープは美しく、文字どおりラインを引く手間もなくなります。
ただ、その手間こそが、テニスそしてテニスコートに対する感謝とこの上ない愛情を表現する行為であったことを、いま、しみじみと振り返っています。

コメント
心して拝読。

同じような惜別の範疇に含めてよいのかわかりませんが、クレーコートがオムニコートに変わる、というのも同じような感情を抱かせます

毎日、朝早くからローラーをかけて、天塩にかけて、取り扱わせついただいたとあるテニスコート。
今ではオムニコートに変わりました。
手間は圧倒的に減ったと思います。多少の雨でも練習できます。

しかし・・
゛便利さ゛゛近代的合理性゛を得たと同時に、確実に本質的な゛何か゛が失われていくんでしょうね。

いい悪い論ではなくて。。

投稿者 ふくだ : 2006年06月04日 15:36

まさに同感です。

ほんの十数年前にはライン引きは当たり前のコート整備の一つだったのに、当時はテープになったりオムニに変わるとその便利さ楽さが前面に出て喜んでいたものです。当たり前の時代になって初めて昔の行為(コート整備)の大切さが解ってきます。しかしその時はもう『失われた過去』の遺物になってしまったものなんでしょうね。
私もふくだ君と同様に、便利さを得てコートへの『愛情』を確実に減らしていると感じています。『そんな感情はいらない』と言われてしまうでしょうが・・・。


投稿者 クッキーの父 : 2006年06月04日 18:18

ふくだボス、クッキーの父さん。
コメントをありがとうございました。
ちょっと胸一杯・・・

ジュニア教室に来ていた子供たちは、世代が大きく違っても、私たちと同じ『感情』を持ってくれていたと思います。
後は、私たちが何か別のカタチで、ついてくる世代に伝えていくべき、いや伝えていった方がいいと感じることをあらためて認識して、できる範囲で、できる限りのことをやっていく。
恐らくこれが、後輩たちへのささやかな贈り物となり、先人たちへの僅かばかりの恩返しになると信じています。
だって、『そんな感情』がいいなんて、思っていても胸を張っては言えない時代ですもの。

投稿者 taka : 2006年06月04日 19:40

ライン引きって懐かしいなと思いつつコメントしてます。
中学の時はそれをやってましたね。石灰溶かしてジョウロを使ってライン引いてました。
かなり下手っぴでしたが・・・

高校からはラインテープ、大学はオムニなのでこれはなくなりましたが。。。
今となってはいい思い出ですね(^.^)b

投稿者 まがた : 2006年06月11日 17:34