現勤務先では毎朝、交代で3分間スピーチが行われます。
3分といっても、話し好きの人もいるし、話がとっ散らかってしまう人もいるし、まっ、そんなことはどうでもいいのですが。
私は口下手で話も上手くないので、あらかじめ原稿を書いて準備していたのですが、順番が回って来る直前に、救急車に乗ったこともあり、当日のスピーチはお詫びから入る破目に。
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私は、毎週土日の午後、4,5時間、ソフトテニスをやっています。
昔風に言うと、軟式庭球、軟式テニスです。
中学から始めて、間17,8年のブランクがありましたが、この10年は天気が悪いか用事がないかぎりは、欠かさずボールを打っています。
大学では体育会にクラブに在籍し、4年間テニスばっかりやっていました。
でも、実は中学3年間、高校3年間、そして大学の2年までイレギュラー、いわゆる補欠で、大学3年になって初めてレギュラーになれました。
下手くそで補欠でも長いことやれたのは、他でもなく、このスポーツが大好きだったということです。
そんな私は、大学の最終シーズンである4年の秋の関東リーグで母校はリーグ優勝を果たし、入れ替え戦で勝って上位リーグに昇格することができました。
私は、リーグ戦では5戦全勝でリーグ優勝に貢献できましたが、入れ替え戦で負けてしまい昇格には貢献できず、悔しい思いをしたことを今でも忘れません。
若いうちから個人では、大会で優勝経験どころか上位入賞の経験もありませんでした。
ところが、3年前に藤沢というローカルな大会でしたが、生まれて初めて優勝し、賞状とトロフィーを手にすることができました。
ああ、長いことやっていると、こんなこともあるんだな、というのが実感でした。
とにかく好きで、好きこそ物の上手なれ、というよりは、下手の横好きですが、若い頃はもちろんのこと、このような年齢になっても、昨日よりきょう、今日より明日は、少しでもうまくなりたい、という気持ちでボールを打っています。
私がやっているのはソフトテニスですが、硬式のテニス界で有名な言葉があります。
往年の名プレーヤーだった福田雅之助氏が、母校である早稲田大学の庭球部に贈った言葉です。
福田氏は、1922年第一回全日本選手権大会で優勝。1923年~25年の間デ杯代表選手となり、1924年にはウィンブルドン大会とオリンピック・パリ大会に出場しています。
早稲田の選手のみならず幾多のテニスプレーヤーがこの言葉に感銘を受け勇気付けられました。
早稲田の選手ではない松岡修造選手もウィンブルドンでマッチポイントを握った場面で「この一球は絶対無二の一球なり」と叫んでサービスを放ちベスト8進出を決めた、というエピソードがあります。
では、その全文をご紹介します。
この一球は絶対無二の一球なり
されば身心を挙げて一打すべし
この一球一打に技を磨き体力を鍛へ
精神力を養ふべきなり
この一打に今の自己を発揮すべし
これを庭球する心といふ
現在の私は、体力を鍛えるどころか、年中、怪我や故障に悩まされていますが、テニスばかりではなく、自身の生き方にも大きな影響を及ぼしているような気がします。
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中学生の時には既に、これを暗記していたことを思い出しました。
ホントにテニスが好きだったんだな。
さて、次回のスピーチは何を話そうか。
3分といっても、話し好きの人もいるし、話がとっ散らかってしまう人もいるし、まっ、そんなことはどうでもいいのですが。
私は口下手で話も上手くないので、あらかじめ原稿を書いて準備していたのですが、順番が回って来る直前に、救急車に乗ったこともあり、当日のスピーチはお詫びから入る破目に。
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私は、毎週土日の午後、4,5時間、ソフトテニスをやっています。
昔風に言うと、軟式庭球、軟式テニスです。
中学から始めて、間17,8年のブランクがありましたが、この10年は天気が悪いか用事がないかぎりは、欠かさずボールを打っています。
大学では体育会にクラブに在籍し、4年間テニスばっかりやっていました。
でも、実は中学3年間、高校3年間、そして大学の2年までイレギュラー、いわゆる補欠で、大学3年になって初めてレギュラーになれました。
下手くそで補欠でも長いことやれたのは、他でもなく、このスポーツが大好きだったということです。
そんな私は、大学の最終シーズンである4年の秋の関東リーグで母校はリーグ優勝を果たし、入れ替え戦で勝って上位リーグに昇格することができました。
私は、リーグ戦では5戦全勝でリーグ優勝に貢献できましたが、入れ替え戦で負けてしまい昇格には貢献できず、悔しい思いをしたことを今でも忘れません。
若いうちから個人では、大会で優勝経験どころか上位入賞の経験もありませんでした。
ところが、3年前に藤沢というローカルな大会でしたが、生まれて初めて優勝し、賞状とトロフィーを手にすることができました。
ああ、長いことやっていると、こんなこともあるんだな、というのが実感でした。
とにかく好きで、好きこそ物の上手なれ、というよりは、下手の横好きですが、若い頃はもちろんのこと、このような年齢になっても、昨日よりきょう、今日より明日は、少しでもうまくなりたい、という気持ちでボールを打っています。
私がやっているのはソフトテニスですが、硬式のテニス界で有名な言葉があります。
往年の名プレーヤーだった福田雅之助氏が、母校である早稲田大学の庭球部に贈った言葉です。
福田氏は、1922年第一回全日本選手権大会で優勝。1923年~25年の間デ杯代表選手となり、1924年にはウィンブルドン大会とオリンピック・パリ大会に出場しています。
早稲田の選手のみならず幾多のテニスプレーヤーがこの言葉に感銘を受け勇気付けられました。
早稲田の選手ではない松岡修造選手もウィンブルドンでマッチポイントを握った場面で「この一球は絶対無二の一球なり」と叫んでサービスを放ちベスト8進出を決めた、というエピソードがあります。
では、その全文をご紹介します。
この一球は絶対無二の一球なり
されば身心を挙げて一打すべし
この一球一打に技を磨き体力を鍛へ
精神力を養ふべきなり
この一打に今の自己を発揮すべし
これを庭球する心といふ
現在の私は、体力を鍛えるどころか、年中、怪我や故障に悩まされていますが、テニスばかりではなく、自身の生き方にも大きな影響を及ぼしているような気がします。
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中学生の時には既に、これを暗記していたことを思い出しました。
ホントにテニスが好きだったんだな。
さて、次回のスピーチは何を話そうか。