先日、とある資格試験があり、出張会場が母校の大学だったので、久しぶりになつかしい街に行きました。
試験は13:30からで、少し早めに出かけたので、学校近くのコンビニで昼食を買って母校へ。
正門のような通用門から中に入ったあたりに、腰を掛けられる手ごろな場所があったので、そこにすわって食事。
日差しは強く、でも風が心地よく、
・・・・・卒業して34年、この場所で風に吹かれて、周りの木々を見ながらサンドイッチを食べるなんて・・・・・
感慨深いひと時だった。
ホントにきれいになったキャンパス、でも右手にあった3号館はなくなっていて、ちょっと寂しくもありました。
試験会場は8号館。
その後ろには、まったく変わらない中庭があって、10号館(?)もそのまま。
当時、この辺で、体育会が自治会に吊し上げられたようなこともあったかな。
試験問題は過去問と少し出方が違っていて、予定に反して少し手こずる。
合否はギリギリか。
試験時間は3時間もあって、1時間を経過しないと退席できない規則。
30分程度で解答を終えてしまい、わからないものは時間をかける意味もなく、残り30分をひたすら耐えて待ちました。
やっと会場の教室から外へ出て、一旦は通用門からそのまま駅の方へ向かおうとしましたが、気持ちがそうはさせず、体はグラウンドの方へ。
グラウンド奥の左上のテニスコートからは、ボールを打つ音と声が聞こえてきます。
短パンに白のウェアと、受験する格好ではなかった(おまけにテニスシューズだったろ!)ためか、コートの外に立つと、すぐに学生が来て、現在の主将ですと挨拶してくれました。
「C葉さんはいないよね?」
「そうですね、C葉監督はきょう来られていません。」
「そうだよね、この暑さは酒飲みの体にこたえるからね。」
はずかしながら遠い昔のOBです、よかったら中で練習をみさせてくださいと、申し出たら、快く中にいれてくれました。
ひどい暑さの中、学生たちは一所懸命に声を出して、練習していました。
ボレー練習の上げボール。
台にボールカゴがあり、ボールを出す幹部が自分でボールを取って打つ。
ま、当たり前かな。
僕らの頃は、ボールを出す幹部から見て、前方やや右にカゴをかかえた学生が一人しゃがみ、その学生が1球ずつボールを出す幹部の左手にトスし、ボールを出す幹部は左手でそれをキャッチして打つ、キャッチして打つ、みたいなことをしていました。
ストレートの時は、時折、ボレーが当たって痛かった。
少し見ていると急に「ピピピピッ、ピピピピッ」と電子音が。
すると近くにいた学生が、ゆっくり大きな声で
「ジカンデ~ス!」
主将が、これもゆっくり
「ラストォ~!」
「3本目決め上がりで!」
僕らの頃は、幹部が時計を見ていて、自ら声をかけたものでした。
しばらくすると学生が来て
「これからアルバイトなので失礼します。」
これが何回かありました。
昔は、関東リーグ後から東日本やインカレの前までに集中的にバイトしていました。
16時頃、これで合同練習は終わるとアナウンスがあり、学生は円陣を組みました。
(こっ、これはエールじゃないか!)
私はこのエールが大好きで、現役の時も、声があまり出ないくせに「自分にやらせてくれ」と幹部に申し出て担当になった記憶があります。
エールが始まりましたが、昔と全く違うのに驚きと寂しさを感じずにはいられませんでした。
「フレーーーーー」と、尻すぼみにフェードアウト。
「フレーーーーー」と、これも同じ。
「ジ、ン、ダ、イーーーーー」と、これも右肩下がりにフェードアウト。
「フレッ、フレッ」(全員)
いつからこんなに変わってしまったんだろう?
「フレェーーーーーーエ(ここから更に声を張って音量も大きくなって、そして)エイーーーィーーー」と息が続く限り伸ばす。
「フレェーーーーーーエエイーーーィーーー」と息が続く限り伸ばす。
「ジ(チとジの間のような発音ではじくように)~ン~ダァーーーーーーア(ここから更に声を張って音量も大きくなって、そして)アアイーーーィーーー」と息が続く限り伸ばす。
「フレッ!フレッ!」(全員大きな声で歯切れよく)
いろんなことが昔と違っていて、それはそれでいいんだけど、エールのような伝統の象徴といえるものまで変わってしまうと、気持ちのやり場に困ります。
途中、どこかで最近見た奴と似てるな、と思っていたら、前の週の土曜日に、D居ちゃんが連れてきた高校の同期のK邊君でした。
「まさか、体育会の後輩とは思わなかったよ。」
「僕も、まさか“OBさん”だとは思いませんでした、」
“OBさん”という言葉に違和感を覚えながらも、共通の話題であるC葉さんが、どれだけ酒に呑まれるかということについて、会話が盛り上がり(?)ました。
後輩の皆さん、これからも頑張ってください!
C葉さんのお世話もよろしくネ!
試験は13:30からで、少し早めに出かけたので、学校近くのコンビニで昼食を買って母校へ。
正門のような通用門から中に入ったあたりに、腰を掛けられる手ごろな場所があったので、そこにすわって食事。
日差しは強く、でも風が心地よく、
・・・・・卒業して34年、この場所で風に吹かれて、周りの木々を見ながらサンドイッチを食べるなんて・・・・・
感慨深いひと時だった。
ホントにきれいになったキャンパス、でも右手にあった3号館はなくなっていて、ちょっと寂しくもありました。
試験会場は8号館。
その後ろには、まったく変わらない中庭があって、10号館(?)もそのまま。
当時、この辺で、体育会が自治会に吊し上げられたようなこともあったかな。
試験問題は過去問と少し出方が違っていて、予定に反して少し手こずる。
合否はギリギリか。
試験時間は3時間もあって、1時間を経過しないと退席できない規則。
30分程度で解答を終えてしまい、わからないものは時間をかける意味もなく、残り30分をひたすら耐えて待ちました。
やっと会場の教室から外へ出て、一旦は通用門からそのまま駅の方へ向かおうとしましたが、気持ちがそうはさせず、体はグラウンドの方へ。
グラウンド奥の左上のテニスコートからは、ボールを打つ音と声が聞こえてきます。
短パンに白のウェアと、受験する格好ではなかった(おまけにテニスシューズだったろ!)ためか、コートの外に立つと、すぐに学生が来て、現在の主将ですと挨拶してくれました。
「C葉さんはいないよね?」
「そうですね、C葉監督はきょう来られていません。」
「そうだよね、この暑さは酒飲みの体にこたえるからね。」
はずかしながら遠い昔のOBです、よかったら中で練習をみさせてくださいと、申し出たら、快く中にいれてくれました。
ひどい暑さの中、学生たちは一所懸命に声を出して、練習していました。
ボレー練習の上げボール。
台にボールカゴがあり、ボールを出す幹部が自分でボールを取って打つ。
ま、当たり前かな。
僕らの頃は、ボールを出す幹部から見て、前方やや右にカゴをかかえた学生が一人しゃがみ、その学生が1球ずつボールを出す幹部の左手にトスし、ボールを出す幹部は左手でそれをキャッチして打つ、キャッチして打つ、みたいなことをしていました。
ストレートの時は、時折、ボレーが当たって痛かった。
少し見ていると急に「ピピピピッ、ピピピピッ」と電子音が。
すると近くにいた学生が、ゆっくり大きな声で
「ジカンデ~ス!」
主将が、これもゆっくり
「ラストォ~!」
「3本目決め上がりで!」
僕らの頃は、幹部が時計を見ていて、自ら声をかけたものでした。
しばらくすると学生が来て
「これからアルバイトなので失礼します。」
これが何回かありました。
昔は、関東リーグ後から東日本やインカレの前までに集中的にバイトしていました。
16時頃、これで合同練習は終わるとアナウンスがあり、学生は円陣を組みました。
(こっ、これはエールじゃないか!)
私はこのエールが大好きで、現役の時も、声があまり出ないくせに「自分にやらせてくれ」と幹部に申し出て担当になった記憶があります。
エールが始まりましたが、昔と全く違うのに驚きと寂しさを感じずにはいられませんでした。
「フレーーーーー」と、尻すぼみにフェードアウト。
「フレーーーーー」と、これも同じ。
「ジ、ン、ダ、イーーーーー」と、これも右肩下がりにフェードアウト。
「フレッ、フレッ」(全員)
いつからこんなに変わってしまったんだろう?
「フレェーーーーーーエ(ここから更に声を張って音量も大きくなって、そして)エイーーーィーーー」と息が続く限り伸ばす。
「フレェーーーーーーエエイーーーィーーー」と息が続く限り伸ばす。
「ジ(チとジの間のような発音ではじくように)~ン~ダァーーーーーーア(ここから更に声を張って音量も大きくなって、そして)アアイーーーィーーー」と息が続く限り伸ばす。
「フレッ!フレッ!」(全員大きな声で歯切れよく)
いろんなことが昔と違っていて、それはそれでいいんだけど、エールのような伝統の象徴といえるものまで変わってしまうと、気持ちのやり場に困ります。
途中、どこかで最近見た奴と似てるな、と思っていたら、前の週の土曜日に、D居ちゃんが連れてきた高校の同期のK邊君でした。
「まさか、体育会の後輩とは思わなかったよ。」
「僕も、まさか“OBさん”だとは思いませんでした、」
“OBさん”という言葉に違和感を覚えながらも、共通の話題であるC葉さんが、どれだけ酒に呑まれるかということについて、会話が盛り上がり(?)ました。
後輩の皆さん、これからも頑張ってください!
C葉さんのお世話もよろしくネ!
高校3年生時の県選手権3位でしたね。