早春 俳人永尾宋斤

祖父で「早春」を大正15年2月に主宰・創刊した永尾宋斤の俳句・俳語・俳画などからひもといています

宋斤の俳句「早春」昭和九年十月 第十八巻四号 近詠 俳句

2021-08-24 | 宋斤の俳句を大正十五年「早春」創刊〜昭和十九年休刊までひもとく
宋斤の俳句「早春」昭和九年十月 第十八巻四号 近詠 俳句

  近詠
街空を渡る聯鴉が秋の風

おとろふるさまに草莖のいと赤し

草わけて馬はたてがみ露の秋

霧のなか人来て話す山の窗

ひとり生江の白雛頭や子規忌月

朝寒や水底映る波のかげ

句座の燈をふりかへりゆく花野哉

雲の遠ちくろずむさまが秋の島

暮れてくるしゞま青栗仰ぎけり

蝶々も木の葉のたぐひ里夕

   大風大水害 (九年九月二十一日 近畿を襲った大風大水害) 
颱風の眼とか川空彼の時ぞ

風白魔矢を雨黒魔槍をたゞ面り

船が筏が颱風いまや川たらず

颱風や硝子をいのち支へ居し

観念に掻き込む飯や颱風なほ

颱風のはれて夢飛ぶ鷺しろし

  吟句座 
こゝらより蟲深くなり月の徑

石垣に耳を寄せゆく蟲の徑

蟲腫れて月の木の間をひろふかな

蟲の徑筧のもれに馴れて往く

耳に選る蟲いろいろと萩の下

馬追は木の中らしも闇に彳つ

溝流れこゝに音して蟲もまた

かんたんの音と言ひ合ひて立ちにけり

萩さやか夜目にも花の蟲時雨

ゆき馴れの戻り馴れなる蟲の夜

  干飯
白川や石のうへなる干飯笊

干飯ひろげて石臼の目もなかりけり

  萩の寺圓座
秋なれば萩こそ寺へみち親し

くれぐれや萩に芭蕉に雨の降る

松の下遠明かりして秋の天

  早春社九月本句會
芋畠の露に起きたる泊り哉

芋畑の風なるところ喜雨あり

芋畑のしどろ野露に風立ちて

冷じの野伏せびとの鼾かな

冷じの背負ふて帰る草の丈

  宋斤先生歓迎句會(郡山)
    於郡山赤膚山楽焼の窯元 尾西楽斎氏居
水團扇鵜飼どころの絵なりけり

陶床に露しめりなる團扇かな

夜の蝉や樹々ふかく来て露匂ふ








宋斤の俳句「早春」昭和九年九月 第十八巻三号 近詠 俳句

2021-08-24 | 宋斤の俳句を大正十五年「早春」創刊〜昭和十九年休刊までひもとく
宋斤の俳句「早春」昭和九年九月 第十八巻三号 近詠 俳句

   住吉神社社頭 (四句)
四社拝みめぐりて朝は露の秋

松に鷲の御絵扉も秋はじめ

朝露の土に薬草ひさぎけり

蟇の子は露の木肌を登らむと

   尼崎大物の舊盧を偲ぶ(二句)
蚊火うつる壁のむかしの大物よ

移し来し芭蕉と我れとの今宵哉

秋待ちし眼を病み居れば露待ちし

泉澄む秋立ちてけふ幾日かな

この壺のつめたさ秋は膝のうへ

大濤は夢にて醒めぬ秋の蟵

流星をたがひに知りて黙し居る

走馬燈按摩が犬がよく走る

草市にだゝ食ふ瓜を購ひぬ

裏町や鳴れる風鈴秋の風

盆燈籠往来廓のほとり哉

犬の耳地に秋雷を疑ひぬ

秋暑し川の明るさ天井に

草わけて来ていたゞきや秋の山

秋の蝶峡たかたかと雲をゆく

遠海の波こそ光る秋の暮

朝露や茶店女何を兜蟲とる

  我桟庭に竹と夾竹桃とを増す
みづみづと竹三四竿秋のかけ

夾竹桃秋に交りてそよぎけり

かんたんを買ふてせめての奢りかな

四十七歳眼に入る汗の残暑哉

   夜店にて碧悟桐、鉄幹二氏の句歌二葉の短冊を発見して買ふ、何も明治の物
   一つは明星派盛なりし頃歟一つは新傾向句も六朝書風もなかりし頃のものにてなつかし。
   稲妻のすさまじくなる夜半哉  碧悟
   くろ雲をほのほにやきて魔の手より人の子かくす神わざの歌 鉄幹

幾よるの露のしめりの古短冊

  身邉消息句物語
  夜
釣しのぶ川に夜更けの雫かな

夜が匂ふ鉢木ばかりの茂りにも

夜はしづか網の河鹿のとぶ音も

    宋斤「私は夜が来ると初めてその日が来た様に思ふ生活をしてゐます。夜になられば何も書く気がせぬ永年の習慣で遂に毎夜の如く夜更かし、否夜明かしになります。その三句ではありますが『夜が匂ふ』の句は私の家は裏がすぐ道頓堀の河で川上の方と違って静かですが庭といふものがなく全部が桟橋の上の鉢木です。夜半時にはそこに下りて立つと頭を冷やすのであります。

    青柿  
この里に来てなじみなる柿青し

青柿や山家も雨後の二三軒

    麦酒
一息のビール前山みどりかな

山にうたふてビールを捧ぐものありぬ

  早春社八月本句會
蕉林に立って空なる秋近し

秋近し雲ひろがってちりきたる

幾筋か海に入る水露臺かな

かたはらの落葉ぬれたりし露臺かな

露臺の夜同郷かたることながし

  早春社桜宮例會
雲往来たのみある夜の登山哉

霧ふんで登山のわらぢしめにけり

  若狭俳句研究會第三回
青嵐笠流れ来し水の上

青嵐鳥の病気を籠に見る

宵の内泉にあそぶ草泊り

鷺飛ぶを仰ぎ来りし泉哉

山中に何も寫らぬ泉かな

  五句壇互選
栗の花月夜の村に散りにけり

頂上へ往けぬ道らし栗の花

思はずも堂後谷なり栗の花

山小屋の廂々に栗の花

石のうへ散りたまりたる栗の花



宋斤の俳句「早春」昭和九年九月 第十八巻三号 俳語

2021-08-24 | 宋斤の俳語・句碑・俳画、書
宋斤の俳句「早春」昭和九年九月 第十八巻三号 俳語

   私
俳句は私を詠ふのである。

わたくしの生活味到である、よそよそしい眺めごとのいはゆる

新風流に安逸しゐては俳句はつまらなくなるばかりであろう

そして然も俳句は自然讃仰の詩である。

私の上へ私をのみ積み重ねてゆくのとは俳句は根本的に於いて違ふ。

私を大自然に放つのである。

大自然から私をとらへるのである。

                  宋斤