songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

マスコミの大きな3連敗 それでも責任を取らないならば雪崩が起きるのでは?

2024-11-18 01:21:10 | マスコミ関係
大きな選挙がたくさん行われた年でした。

はじめにお断りしておきますが、過去述べてきたとおり、私はトランプさんは好きになれないし、立花さんのやり方には憤りさえ感じますし、石丸さんについても半信半疑です。
ですが、

1.東京都知事選
 蓮舫さんの上をいく得票で石丸さんへの支持が集まったことにつて、マスコミはわかっていたはずなのに、選挙期間中に意図的に情報を遮断し続けた
 彼が準備と勉強不足で政策などに報道する価値を見出せなかったのならば(実際当時はそうだったと私はとらえている)、人気が異常に集まっている現場をとらえて、あえて報じる必要があったはず。
 若い人たちは集まっているけど、中身はどうなの?と
 「我々の報道によって人気に火がついてしまってはまずい。衆愚政治が生まれてしまう」がマスコミの本音だったはず。そこまで見越して、「本物の識者」が論説をすべきだったのです。
 もちろんテレビ番組のスポンサーの顔色など窺っている場合ではありません。

2.アメリカ大統領選挙
 マスコミは、なんとしてもトランプさんを当選させたくなかったのでしょうし、私だって好きではありません。
 でも彼にはお金があるので、アメリカ人にとっては、いろんなことを、彼のお金が、何とかしてかなえてくれます。
 アメリカの補助で日本はじめ世界中が助けられていますが、彼はそういうことにお金を使わず、自国民を豊かにさせたがっているし、そのお金もある。
 メキシコへの大きな壁なんて、他の国の人たちから見たら現代の万里の長城であり、「そんなことに金かけるぐらいなら」と思ってしまいますが、移民でほとほと参っているアメリカ国民からすれば、得策なのですね。
 それら、アメリカ国民の感情を読み切れず、リベラルこそ世界一の価値観と信じて疑っていないマスコミと評論家たちは、選挙結果を見て本物のお通夜になってしまった

 政治の理想論よりも、人の心が読めないマスコミ上層部の薄っぺらさがはっきり表れた選挙期間だったということです。

3.兵庫県知事選挙
 ここにきて、斉藤氏は濡れ衣だったのではないかという疑惑が真実味を帯びてきており、ほぼ間違いないところまで明るみになりつつあります。
 とすれば、マスコミ(特に朝日さん)の責任は重大です。どう申し開きするつもりでしょうか。
 斎藤さんは当選しました。兵庫県は大いに盛り上がっている模様です。
 残念ながら遅すぎましたが(ノミネート期間終わっちゃった)「斎藤さんごめんなさい」が流行語大賞になってもいい、という話も出ています。私もそれに賛成です。

 なんと今回は、マスコミが伝家の宝刀「放送しない自由」を行使してきました。
 そしてまたしても、自分たちの責任を一切語ろうとせず、それぞれもっともらしい理屈で切り抜けようとしている姿勢、ありありです。




もう、ネットの時代なんです。 それが象徴的に表れた選挙報道3連発だったではないですか。特に今回の兵庫県知事選は、決定的と言ってよいでしょう。
マスコミの、責任逃れ体制は、国会よりもはるかにひどい。直接的に国民をだますことにつながっているからです。
長年のそういうもやもやした横暴、責任逃れ、偏った思想による世論の扇動。これらへの怒りがいよいよ頂点に達しようとしているのではないでしょうか。

今回の兵庫県知事選挙の結果を受けてもなお、今まで通りの方法で責任逃れをするようならば、世論の怒りが雪崩現象を起こすのではないか、と私などは考えてしまいます。

きっちり謝る兵庫県民。こんなに罪が明らかでも決して謝罪しない、または謝罪のふりしかしないマスコミ。
今回の兵庫県の県では、全国民レベルで、マスコミによって「だまされた」状態になったといえます。
ほぼ有罪と決めつけて世論を誘導し、報じ続けたマスコミに、責任がないとは到底思えません。
オウム事件の河野さん以上の、非常に影響の大きいことをしてしまったのです。

「いや、我々も知らなかった」というスタンスを放送局は取るでしょう。で、矛先を別のところに向ける。
これ、先日NHKがやったジャニーさんに関する検証番組「らしきもの」じゃないですか。
知らなかったはずのないマスコミ各局。その責任を差し置いて、事務所の悪行みたいに報じ続ける姿勢。「我々も疑いながらも深入りしなかった責任が」と、口だけ。そこが一番の元凶であったことをごまかす劣悪な手口
その、「深入りしなかったことの罪深さ、利権にもの申せず最後は海外からの圧力に屈したジャーナリズムの欠如」を検証しないと何も真実は見えてこないというのに。
今回の知事選の結果問われる報道姿勢についても、同じことをしてくるのでしょう、マスコミは。

だから、若い世代はテレビから離れていきます。

ネットはまだまだ危険です。悪意ある情報、誤報、いっぱいあります。玉石混交です。
冒頭申しあげたとおり、私は個人的には立花氏のような方のやり方にはどうにも賛同できないところが多く、危険で嫌悪感を持つところもいっぱいあります。
しかし今回の兵庫県の件では、貴重な情報を、最も効果的な方法で提供してくれたと評価します。

情報へのリテラシーについては、どんどん学んでいかないと、これからの世を生きていくことはできません。
本来ならば、この膨大なネットの情報から、いろんなしがらみを受けない、本物の価値ある情報を見極め、提供する機関が同じくネット上に現れるべきだとは思いますが、まだまだ道のりは遠そうです。
いや、もっと本来ならば、マスコミこそが、その役割を担わなくてはならなかったはずです。

テレビや新聞には、今も優秀な記者が多数いて、すばらしい情報を提供してくれています。志高い人も多数いるはずです。
しかし、上層部に、偏った思想に染まった人、スポンサーとのしがらみで記事を選ぶ人などがいることにより、機関全体が腐っていく
戦中の新聞社と同じじゃないですか。何にも成長していない

そういう意味での世代交代が求められているのだと思います。古いものを否定すればよいというものじゃないです。捨てるべきものを見つけられる人が求められているのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南野陽子さんの「リバイバル・シネマに気をつけて」を歌う~アラカンの男性で失礼

2024-08-25 23:01:13 | 音楽
南野陽子さんの「リバイバル・シネマに気をつけて」を歌う~アラカンの男性で失礼


アルバム「ブルーム」は、私が買った唯一の南野陽子さんの1枚です。
特にこの「リバイバル・シネマに気をつけて」と、「話しかけたかった」、「花束を壊して」の序盤3曲は、神がかっているといえるほどの展開で、最高のサウンドなのです。
久保田早紀さんの「異邦人」をはじめとする名曲を数多く手掛けたアレンジャー、萩田光雄さんの、渾身のサウンドがキラキラと輝き、こういうオープニングで南野さんのコンサートを見られた人は、さぞ幸せだっただろうな、と思います。

南野さんはよく言う量産型のアイドルではなく、非常に頭の良い方で、音楽、サウンドに関してはマニアのレベルで造詣が深いことは、近年知りました。クリス松村さんとの対談を動画で見たことがありますが、信濃町ソニーのスタジオの音色のこと、アイドルの名曲のことなど、次から次へと楽しい話が飛びだしていました。

その中で、次のような話が印象的でした。
「パンドラの恋人」発売時、スタッフの方は「通常版」と「プレミア限定、下敷きジャケット版」の2種類を発売したそうです。今、ふつうに見る「限定プレミア版」の先駆けだそうです。
ところが南野さんご本人はあまり良い気持ちではなかったそうです。曰く、
「ファンの方には小学生、中学生の人も多かったんで、限られたお小遣いの中で2枚買うとか、どちらを買うか迷うとか、そういう思いをさせることが心苦しくて。スタッフの会議にも乗り込んでましたね。」
結局は南野さんが折れて発売になったようですが、

この話、今のアイドルの方々にも聞かせてあげたい言葉です。

AKB商法。かねがね言っておりますが私は、彼女たちの音楽の中に好きなものは多いですが、商売方法は大っ嫌いです。
商売だからきれいごとばかりはいっていられません。特に昭和と令和では時代が大きく違います。
でも、アイドルって、どういう気持ちでお客さんに接していくべきなのか。誠実さとは何か。
当時10代だった南野陽子さんにはわかっていたのでしょう。

本当にファンを大切にするって、こういうことだと思います。決してたくさん投げ銭させることだとは思いません。「推し活」なんて今は当たり前のように言われているけど、何か違うような気がしてなりません。

経済的に余裕がある人が多くのお金をつぎ込んで支えるのもアイドルへの愛の形の一つかもしれません。でも、本当の気持ちで応援するってどういうことか、今一度考えてもらいたいように思います。

あ、動画ですが、syuxz1さんがだいぶ昔にアップされていたカラオケ動画に声を入れてみたものです。粗品でございます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

毎日新聞さん、正気ですか??「昭和天皇が『退位しなかった』ことの影」

2024-07-14 09:29:48 | マスコミ関係
数日前の、検索サイトのトップページ、お勧め記事に紹介されていたのが、表題にある毎日新聞の記事です。

政治経済研究所研究員の冨永望さんとのインタビュー記事、有料なので最後までは読めませんでしたから、ここから述べることにはきっと誤解もあるかとは思いますが…

「大日本帝国憲法時代と同じ天皇が、日本国憲法のもとでも40年あまり続きました。昭和天皇が退位しなかったことは、その後の天皇制の運用面では、一番大きな分岐点でした。」(引用)
だそうです。
皇位継承、天皇退位については、皇室典範が影響しており、崩御されるまでは交代しないという例が明治、大正、昭和と続きました。
しかしご存じの通り、現上皇様がお気持ちを表明され、退位の考え方が変わろうとしております。

冨永望さんという方は大変博識な方のようで、たくさんの資料をまとめていらっしゃいますが
ただ、この記事を取材した毎日新聞の扱いは、次の文で分かります。

「敗戦をうけて昭和天皇が退位しなかったことは、今も影を落としています。」

という記事の出だし。
明らかに毎日新聞側は、(おそらく冨永さんもそうなのであろうが)終戦で退位しなかったからいわゆる変な右翼を増長させることになった、と言いたいのでしょう。

極端な右翼の変な人でなければ、昭和天皇に戦争の責任があることは認めているし、ご本人も重い十字架を背負ってその後の人生を歩まれたことを知っています。
若いころに、平和を望みながらも戦争開戦へのゴーサインを出したり、戦況によっては前向きな態度でいたことも、十分知られております。
でも、ヒトラーやムッソリーニのような野心と個人的な欲求、野望でそうしたのではない、ということぐらい、国民は理解しているはずです。
今でいえばここ数年のロシアのあの人、北朝鮮の歴代のあの人たち、中国のあの人たちみたいな
そんな人でないことは、少なくとも私たち以上の世代ならば理解していると思うのですが

終戦直後、昭和天皇や皇室を恨んだ人たちが一定数いたことは、よくわかります。
しかしその後、昭和天皇がたどった道を知ったり、皇室が日本の歴史でどういう役割を担っていたかを知ったり、戦時中に軍主導で行われていたことの真実を知ったり、
昭和天皇の終戦直後からの言動を見たりするにつけ、改めて日本人は学んだはずです。

あの時に退位し、現上皇様に皇位を継承していたら、日本はどうなっていたことか。

あまり詳しく述べることは、我慢いたしますが、怖ろしいことになっていたと思います。皇室は急激に危機にさらされていたであろうことは間違いありません。国内で戦争が起こっていた可能性が一番高いと思われます。

日本という国の歴史と文化を語るとき、天皇、皇室という存在は切っても切れない関係があります。
この皇室がもとで、血生臭いことや国民の多くが犠牲になるようなことも幾度となくありました。権力と権威とを勘違いなされた帝も多かったと思われます。
それでも、改善を試み続けた千数百年。いまだに日本の伝統文化、日本人の心のありように深くかかわり続けており、
日本人のアイデンティティーに、無意識レベルで根を張っていると、私は考えております。


皇室はなくなってもよいと考えられる方もいらっしゃいます。
私は歳をとれば歳をとるほど、「それは非常に危ないことになるのではないか」と考えるようになっています
日の丸、君が代とは関係ありませんが、
その時(皇室がなくなるとき)こそ、日本に独裁者が現れ、道徳のかけらもない血生臭い時代の訪れだと確信しております。

日本は全く、無宗教の国ではないのです。大きな秩序を持った国民です。それは何に支えられているのか。

毎日新聞の方々は、あの敗戦後に昭和天皇が退位していたらどうなっていたか、想像する能力すら持っていないのでしょうか?
時代背景、当時の国民感情、「国体」という当時の言葉に寄り添う気持ち、それぐらい学んでいないのでしょうか。正気を疑います。

まあ新聞社さんたちが特に忌み嫌う、元首相の岸さんのように、「戦前の日本の考え方は間違っていなかった。もう一度あの時代のように」と匂わせるような思想に賛同する人はごく少数でしょうが、
それが天皇制から来るとする発想は、控えめに言って怖ろしいまでの不勉強です。権威と権力の違いも判らない人たちが、こういう記事を書いてよいものなのか
言論者としての資質が疑われます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世の中は、そうでもしないと変化しないのか?東京都知事選挙

2024-07-01 00:09:18 | マスコミ関係
都知事選挙については、前回もあまりの不快さに、記事を書きました。

私は岐阜県民なので、無関係と言えばそれまでなのですが、前回の警告通りというか、想像以上の惨状に、何とも言えない絶望感があります。

ネットで見る限り、今回の台風の目のように感じられるのが、石丸さん
すごいたくさんの信者が拡散に拡散を重ねています。「君の名は。」のアニメを見た若い世代が盛大に布教活動をした時のような、私たちの世代では感じられない集団圧力を感じます。

とても頭の良い方と感じられます。そして、めったに見られない、新聞メディアを論破するという「既成権力に打ち勝てる人」のイメージを植え付けることができました。しかし、実際の市政での成果はどうだったのか?都政に関してどれぐらいの理解があるのか?彼に賛同し、ついてきてくれる「実務者」はどれぐらいいそうなのか?関東大震災にまつわる朝鮮人に関するイベントに軽々しく参加しようとする、こう言っちゃあなんだけど不勉強さ、…いろいろ時期尚早に感じます。もう少し学んでいただいてから、が適切だと感じています。
若くてエリートで力のありそうなところに金をかけ、いわゆる弱者はこっそり内緒で切り捨てていく。頑張っているものに正当なお金が行かないのはおかしい。お金はそういうところへ流す。動画や言動から、そう読み取られるにおいがあります。
ある意味非常に強力な政治家、一歩間違えば独裁者タイプであり、橋下さん時代の維新のやり方とそっくりです。
でも東京はリッチだから、こういうタイプが意外に合っているのかもしれません。だいたい東京都知事はその時代の与党の人が知事をやっていることが少ない。今の小池さん、青島さん、懐かしいところで美濃部さん…
ちょっと賢くて、「既成の権力には任せられない」という、意識高い系統の方が多い地域なのでしょう。
ただ、彼が切り捨てようとしているものが何か、見極めないといけません。

歯に衣着せぬ鋭い切り口で既成の権力の悪しき習慣に立ち向かう。ただ、最近では噂によると、一定の権力ある立場の方々から支援をいただき始めているらしい。それはありがたいことだけど、しがらみにどう対処していくのか。
みんなにさんざん言われた小泉進次郎氏ですら、若くてしがらみのなかった時代は、自分の党の批判も公然としていて「彼こそ次の首相」と若い世代、ネット民から絶大な支持を集めていた時代がありました。橋下さんが維新でいろんな既存政党の人たちをバッタバッタと論破していた時代もありました。その後、どうなりましたか?
しがらみに負けず、最高の判断力で、支持者を集め、実行していける人って、なかなか難しいですよね。すでに石丸さんは、「捕まってしまった」ように思えます。

一方で、「あなたは石丸氏のことが全く分かっていない。ネットの動画をくまなく見ればわかります」攻撃がすごいことも、逆に気になります。
これは、あの立花氏の戦略と同じです。で、結局見ると、彼らの再生数稼ぎになって終わるという。だから私は直接の動画は見ません。なんにせよ、若くて勢いのある支持者が爆発的に伸びているようですので、その波に乗ったほうが賢いのかどうか。私たち年寄りは迷うのです。なまじっか人生でいやな前例をいろいろ見ているので。

そして、今名前を挙げた立花氏の動き。
選挙ポスター掲示板ですよね。いろいろやっております。例の裸同然の「表現の自由を訴える」ポスターは彼らのものではありませんでしたが、あれもひどい。例の津田大介さんはあの件に関してなぜ何もコメントしなかったのか?
立花氏一派の大量ポスター、QRコードをたどって表れる意味不明なリンク先。三浦春馬さんへのわけのわからないメッセージ。
そうしたら、竹田恒泰さんがネットで解説していらっしゃいました。

もちろん立花氏の狙いは「選挙をおちょくること」。ばかばかしいと思わせて、「こんな制度、やめさせろ」と選挙制の無意味さを主張して変えさせたいのだと。特に今後の政見放送では、あれだけたくさん候補者がいるので、超長時間NHKの時間をジャックして法に触れないレベルで時間をジャックし、無意味な政見放送と、文字通りNHKをぶっ壊すことが目的である、とのこと
だから、(私のように)こんな選挙や政見放送、やめて改善しろよ、と思わせることができれば、彼の目論見通りだというのです。
でもこれって、暴力ですし、クーデターですよね?
そして、こんなことしなければ世の中が変わらないとすれば、この世はこんな人たちの暴挙で溢れるに決まっています。日本人の精神を崩壊させているのです。
絶対間違っていると思います。

さあ、私は4年前に警告しましたが、何も事態は変わらず、このような惨状となっています。さらに4年後、選挙はどうなっているのでしょう?
どんなに屁理屈こねようと、明らかに日本は今、世界中に醜い恥をさらし続けているのです。韓国が以前繰り広げていたろうそく集会とレベルは同じです。いや、まだあちらのほうがまともだったか
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ゆうひが丘の総理大臣」から「セクシー田中さん」へ

2024-06-17 00:28:07 | マスコミ関係
今回、本題へのプロローグが馬鹿みたいに長いのでご容赦ください。

私の世代は、週刊少年チャンピオンの全盛期体験者です。以前記事にした「青い空を 白い雲がかけてった」の時代。
「ドカベン」「ブラックジャック」「がきデカ」「マカロニほうれん荘」「レース鳩0777」「750ライダー」…枚挙にいとまがない…
素晴らしい時代だと思っている一方で、「マカロニ」で代表されるように、伝説の編集長壁村さんについては、素直に肯定できないものを感じます。

その中に、望月あきら先生の「ゆうひが丘の総理大臣」という漫画があり、これも大好きでした。
ある号で、この漫画がドラマ化されるというお知らせがありました。私は狂喜しました。
キャストも、中村雅俊さん、神田正輝さん、京塚昌子さん、由美かおるさん、宍戸錠さんなど、そうそうたるメンバーと知らされ、中学生だった私は胸震わせてドラマを見始めたことを覚えています。

ドラマが始まって、私は、唖然、茫然としてしまいました。
キャストの役職、大岩先生(中村雅俊さん)が「ソーリ」と呼ばれるようになったこと…
以外は、ほとんどすべてが、原作とかけ離れていたからでした。原作は中学校、ドラマは高校。部活も、あんなんだったっけ?生徒のバカ騒ぎも、こんな感じではなかったはず…

数回見て、すぐに私は悟りました。「これは、ゆうひが丘の総理大臣という漫画の登場人物、人間関係、シチュエーションを借りた、まったく原作とは違う学園ドラマを描いているのだ」と。
出演者の皆様を非難する気など毛頭ありませんし、すばらしい俳優さんたちの熱演だったことは間違いないです。なんだかんだで私も結構な回数、このドラマをそれなりに楽しんで見ました。

でも、ずっとずうとその時から、私の心の中には変なくすぶりが残り続けるのでした。

これ、自分が好きな、あの漫画の「ゆうひが丘の総理大臣」ではない。
別にこういうドラマ作りたいなら、「ゆうひが丘」の舞台借りる必要ないじゃん。「我ら青春!」「俺は男だ!」とどこが違うんだよ?
なんだか、原作がどこかで小ばかにされているような気がして、くすぶっていたのだと思います。
制作は、日本テレビでした。

あれからもう45年以上の歳月がたったのですね。そんな時、「セクシー田中さん」の原作者が亡くなられたという、悲痛なニュースが届きました。
これに関して、多くの記事が出ましたし、多くのコメント、見解、報告を見ました。そして分かったことがいくつかあります。

最も感じたことは、「テレビ制作サイドの考え方は、ある意味正しいが、やはりそれはあくまで、テレビのプロの思考枠内だけの発想力」です。そのプロ意識だけで物事を判断してはいけないということを、想像したり考えたりする能力が決定的に欠けている、そこに今回の悲劇の根本があったと思えるのです。

①脚本家の方々、テレビ局側の主張はある意味正しい
「餅は餅屋」ということです。事件直後、脚本家連盟のような方々がSNSでお気持ちを表明されたそうで、それらには多分に「セクシー田中さん」脚本の方への擁護と受け止められるコメントが多かったらしく、世間から大バッシングを受けていました。ですが私は、ある意味この、叩かれた主張は正しいと思うのです。
漫画には、漫画でしか出せない演出や描き方があります。これをそのままテレビドラマで再現して、テレビで見ている人たちが漫画を読んでいるような感動に至るかというと、そうなるとは言い切れません。逆もまたしかりです。
実写ドラマでしか出せない展開や演出もあり、それを漫画で表現して同じような感動を呼べるかというと、答えは「否」です。
それぞれに得意分野、プロ意識が発揮できるところがあり、それを別の土俵でやって必ずしもうまくいくとは限りません。

今回は原作者さんが「原作通りの形でドラマにしてくれ」と頼んでいたとのことですが、本当に原作通りに放送して、視聴率の稼げるドラマにできたかどうか、というと、若干の疑問は残ります。
テレビ制作サイドや脚本家たちは、そういうことが十分わかっていて、おそらくは、「原作通りの形で」の要望を片耳に挟みながらも、とにかく視聴率が取れる形を考え、脚本を作っていったのではないかと思われます。

②その前に、最初に決まるものは何か?キャストです
テレビのドラマ制作って、中身云々の前に、「誰がキャストなのか」が非常に重要視されます。視聴率の取れるキャスティングこそ「命」ですから、
だいたいのドラマのコンセプトが決まったところで、「何はともあれキャストを押さえないと」と、俳優たちのスケジュールをゲットすることが最優先されているはずです。そういえば「セクシー田中さん」では、キャスティングされた女優さんが、撮影のだいぶ前からベリーダンスのレッスンに通い詰めたと聞きます。それぐらい前倒しで準備しないと、撮影に対応できないですからね。メディアミックスも大事ですし。
ごく大雑把に言うと、決まるのは、コンセプト→キャスト→脚本の順なのでしょう。当然脚本家には、その俳優が持つ魅力を十分に発揮できるような脚本作りが要求されてきて、そこに脚本家の力量が問われるのでしょう。

③テレビの事情も知らない原作者は、制作側にとってどんな存在か
ここまで述べれば自明だと思うのですが、脚本家含めたテレビスタッフにとって、原作者って、一番大切な人でありながら一番厄介な人になる可能性があるわけですよね。
全てが「テレビ脳」で動いているスタッフチームの中で、原作者は「部外者」になる恐れがある。上で述べたことなんて本当にごくごく一部のことで、テレビドラマ作りって、実に多方面の大人の事情でがんじがらめにされながら動いている。 だからこの「巨大な砂の城」を崩さないように進めていきたい。原作者には、この「テレビ的事情」を理解していただいた上で、できるだけ口を挟まないようにしていただくのがベスト。

テレビスタッフは、原作を尊重して扱い、原作の世界観に基づいて最高の作品に仕上げてもらいたい。そのためには原作者の意見も尊重して聞く。
原作者は、「一旦テレビに出てしまうものは、テレビを信用して任せる。基本口出しせずテレビ局の善意に任せる。ただ、言うべき時は言う」

そんな関係でいけるのが一番お互いにとって楽なのだとは思います。

しかし、今回の場合は、テレビ局の理論で洗脳されていたスタッフ、脚本家さんが、原作者の本気の思いを尊重していなかった。
全てはここのボタンの掛け違いだったのだと思います。

原作者「このドラマでは、一字一句、この漫画の通り忠実にしてください。お願いします」
スタッフ「わかりました」(空返事) がすべてということです。今回の場合、そこまで原作者が本気でそうしてほしいと願っていたことに、まったく正面から向き合おうとしていなかったのでしょう。
「そんなわけにはいかないところがあります。」と、最初に言っておけば多少は展開も違っていたでしょうに。
原作者の本気を見抜けなかった、または見て見ぬふりをした誰かの存在があり、「何とかなるだろう」と強引に引っ張っていった結果、取り返しのつかない事態になったという。

脚本家さんが一番叩かれていますが、彼女にしたところで、原作者がそこまで本気で言っていたということは見抜けていなかったのでしょうし、制作チームからも、そういう「原作通りでいきます」という命令は脚本家に行っていなかったと思われます。誰かがどこかで、「ああ、よくいる原作者が一番偉いんだから、私の言うとおりにしろ、という勘違いクレーマーね。まあスルーで」という解釈をしていて適当に脚本家に伝えていたと考えられます。

本来はディレクターも何人かいるべきで、各方面から来る声を調整するディレクターがいなくてはいけないのですが、経費削減で、そういう立場の人もいなかったとか。ひどい話です。

餅は餅屋。確かにそうです。

ですが、テレビ局のみなさん、あなたたちは忘れています。原作付きドラマを見る人の中には、原作が好きでドラマを見に来ている人が一定数いるということに。
原作の根っからのファンにとっては、たとえドラマが世間的には大うけで名作と言われようと、内容を捻じ曲げてテレビ的な演出に走ったものを見させられた場合には、「裏切られた」と悲しむ人たちが一定数いるということ
決して忘れないで下さい。

冒頭紹介した「ゆうひが丘の総理大臣」ドラマを見た時のショックと原作をつぶされ、尊重されていないと感じた時の悔しさ、私は四十数年経っても忘れられずにいます。せめて、「テレビでアレンジされたこのドラマを味わってください」ぐらいは欲しかった…
原作を扱うならば、もしもテレビ的な事情で何かを変更するとしても、原作へのリスペクトは忘れずに作っていただきたい。今回は日本テレビのテレビドラマに対して書きましたが、どの局の方にもお願いしたいと願うばかりです。
私の場合は「ゆうひが丘」でしたが、他のドラマで同じような思いをした人、きっといると思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

覚えていてくださったどころか…感涙です。石川さゆりさんとツービート

2024-03-20 12:36:51 | ライフ
自分のブログの、だいぶ前の記事
「あのステージを、さゆりさんは覚えているかしら…紅白のビートたけしさんから」
が、意外に多く読まれていることを不思議に思って、「もしかしたらお二方、本当に覚えているのかも」
と、検索をかけてみましたら…

あった!!

「石川さゆりの前座だったたけし、『紅白』で自ら挨拶に出向く」
smart FLASHさんの過去記事です。


ご本人たちにとっても、大事な記憶だった様子がうかがえて、その場を共有できた私には、感涙ものの記事です。
なんだかわけもわからず妙にうれしくて、胸が温かくなります。
あの1978年から2年後、テレビで受けまくっているツービートさんを見て、不思議な感覚になったことを覚えています。
自分の目の前でアウェイ状態での漫才をしていた人たちが、こんなに短期間の間にスーパーメジャーになるなんて、と。

あのコンサートが見られてよかった、と、今も懐かしく思い出します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忘れたころに君が代を蒸し返す方々へ

2024-03-18 02:25:40 | ライフ
すっかりご無沙汰いたしております。

世の中大きく動いているのに、私はなかなかブログが書けないままです。

さて、久々に蒸し返す質の悪い輩が出てきました。文部科学省に抗議に行った「君が代強制反対」の人たち 京都のキャロライン親子、ですか
まあ、名前を出したことに責任を負おうとしている覚悟は評価しますがね

この件に関しては、私がブログを立ち上げた大きな一つのきっかけとして一連の記事で語っております。「君が代問題」

ここから続く一連の記事をお読みいただき、それでも納得がいかないというのならば、どうぞ文部科学省を訴えてください。
わたしから言わせれば、まったく幼稚な理論と感覚で、ひどく罪深いことをしているとしか思えません。

強制という悪意ある言葉
日本音楽を全く受け止めようとしない傲慢さ
君が代成立までの道のりさえ知らない無学(あ、挽歌だったなどという苦し紛れの人はいたな)

最低のことぐらい学んでから訴えに行きなさいよ それとも、誰がこの親子を広告塔として、イデオロギーパフォーマンスさせようとしているの?
あ、マスコミか

無学にもほどがあります。この件については17年前に語りつくしました。政治家もマスコミも、この程度の情報は国民に与えておくのが義務のはずです。
それをあえて外しているところに悪意がある。
ほんと、いい加減にしてほしいですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なんだこの集団圧力の幼稚さ? 達郎さんの名前出せばみんな見に来るもんなあ

2023-07-15 01:09:08 | マスコミ関係
死ぬほど達郎さん関連のレス、記事が林立し、みんな幼稚な正義感と音楽をごっちゃまぜにして騒いでいます

まあ正直非常に気分が悪いのです
味方か敵かで牙向き合ってんじゃねえよってやつ

それじゃ私たちは今後一切ドガの美術品など見てはいけませんし、全部燃やしてしまわなければいけません
モーツアルトの音楽なんか聴いてはいけません 捨てなさい
マイケルジャクソンなんて未来永劫許してはいけません
大瀧さんが尊敬していた以上フィル・スペクターサウンドなど絶対に聞くべきではない。

達郎さんの語りで十分でないところもあったでしょうし、ある程度知っていたけど踏み込んでいなかったことは事実でしょうし、古い体制を引きずっている権威であることは否定しません。
達郎さん本人もある程度わかっていらっしゃると思います。

じゃあどうしろと?

達郎さんの口から、芸能界の性被害を撲滅するように声を上げてジャニーズ事務所を訴え、世間に広める運動をすべきだと?
それはどうかと思うのですけどね

批判的な意見の中でも、理性的な人達の意見の大半は、「やっぱりジャニーズ関係の仕事は今後、しばらく控えていただきたい」でしょうし、そうであってほしいとは思います
でも達郎さんと言う人は、「馬鹿言ってんじゃねえよ、作る縁があったらやるよ」でしょうけどね
ある程度彼のファンであった人ならば、そこまでわかっているはずです。これが山下達郎さんと言う人だと
美化するわけでもないし、普遍的な価値観とも思いませんし、私は肯定も否定もしません。いままでだって、購買者の私が気に入れば買い、気に入らなかった時は買っていなかった、それだけです。

ですが決して、「見損なった、もう買わない、捨てる」などの「宣戦布告&ネガキャン」を大声上げて偉そうに言うような愚かさは許すわけにはいきません

私自身若かった時、気に入っていた音楽家とか、ミュージシャンはたくさんいました。
そして、「よい音楽を作る人に悪い人はいない」とよく言われる言葉に薫陶を受け、そういうものだと信じていました。
ですからその分、尊敬していた音楽家の方にスキャンダル、犯罪があったりすると、自分のアイデンティティーは激しく揺さぶられ、ひどく裏切られた気分になったものです。1度や2度ではありません。
いまだに妻などはお気に入りのミュージシャンが、自信の最も嫌うたぐいの罪を犯したりすると、「もう二度と聴かない」というタイプです。
しかしそれを繰り返す中で私は学んだのです。「違う。」と。
いい音楽と、作ったり表現したりする人物の人格とは、必ずしも一致するばかりではないのです。

現代の芸能界では、その人物の印象というタレント性と売り上げが密接に結びつきがちなので、特に今の40代以下の世代には難しいのかもしれません
だが我々の世代、音楽はもう少し独立性があり、「偉い」ものだったんです。
それはそれ、これはこれ、が、当たり前のものとして、音楽の価値は尊重されていたのです

私見を述べます

私の世代は達郎さんの音楽、サウンドに感銘を受け的人が多い世代です。
でもそのファンの中でも好みはいろいろ分かれているようです。私はアナログ最終期の録音が一番好きなので、特に2010年代以降では正直新曲はあまり聴いておりません。
かといって全然「見限った」「ファンをやめた」「もう聴かない」なんて気持ちにはなりません


現在問題で、犯罪級に悪質なのは、そういう宣言をする「壊し屋」がヒャッハー状態で荒らしまくっていることです。
これを達郎さんのせいにしてはいけません。彼の責任ではありません。「壊し行為」をすることに対して、責任を持っているのでしょうか?
私は聴きたいと思っています。でもこういう執拗な壊し行為により、聴くことが憚れるような風潮が作り出されたとしたら、これは達郎さん本人の責任範疇を超えたところまでの影響に思われます。
要するに、誹謗中傷、名誉棄損です。


次に、性犯罪について

今回は、日本一の権力を握っているジャニーズ事務所の創始者が起こしたとされる性犯罪です。30年以上前から騒がれていました。日本中のマスコミでかん口令が敷かれていたかのごとく、触れてきませんでした。
もう亡くなった方ではありますが、功績は功績、罪は罪。被害者の方の二次被害にならないことに慎重に配慮し、今度こそ「報道すべきところ、報道せずに守るところ」のガイドラインを明言し、
補償と再発防止に努めてほしいと願います。

今回は性的な嗜好がやや特殊に近かったこと、かかわった人物の知名度、影響力など重なり世間から注目を浴びました。

しかし、女性はどうですか?
年端もいかない少女たちが芸能活動のために性的被害にあっている事例をなんとなく想像するに、これは歴史も含めると天文学的な数の例が出てくるに違いありません
もう、今テレビで活躍していらっしゃる人のうち、ベテラン含めほとんどの方になにがしかあったと考えたほうが自然なぐらいの実態が疑われます
広告代理店の過去のいろんな話を聞くにつけ、そう思わざるを得ません。もちろんこれは憶測の域を出ません。
憶測ついでに。日本含め芸能界は、太古の昔から、そういう関係で結構な割合の芸能人が活動してきたと思われます。罪と言えば罪です。現在の価値観だと、許しがたいことは、絶対たくさんあったはずです。
先ほども少し書きましたが、美しいドガの絵など、舞台裏を知ったら悪寒でどうかなりそうな世界です。でも、当時はそれで成り立っていた。

「そういうご褒美でもなけりゃ、こんな仕事やってられっかよ!!」というぐらい理不尽な仕事である可能性も想像してしまいますが、繰り返しますがこれは悪しき昔の価値観
結局ジャニー氏も性的嗜好こそ違えど、そういうところがあったのかもしれません

で、それらを何百年にもわたって調べつくしていく、その覚悟はありますか?? まあ無理ですので、今は少なくとも現在芸能活動に携わっている人の中で、そういう方面のつらい思いで心に傷を負って、誰にも言えずにいる人たちの心の救済が大事かと思われます。
ここで厄介になってくるのが、いわゆる「枕営業」ですね。
チャンスのためならば自らを犯罪レベルの行為にさせてでも、つかみに行っている子たち。それと「泣き寝入り」のことの区別は難しい
かといって罪を「それに乗って手に賭けた大人」ばかりに着せていくのは、まったく根本的解決になりません

芸能関係の各社が、調査には真摯に応じ、予防対策をしっかりと示していく以外ないのかもしれません。広告代理店は、少しは健全になったのでしょうか?

ただね

もしかしたら今後、つまらない芸能界ができていくようになるのかもしれませんよ。
おそらく今唾棄されるレベルで批判されている「古い体制の」世代のお偉いさんも、その前のさらにとんでもない時代を知っているから、現代でも十分まともになっていると思っているはず
「清らかならば何でも優れていて、そしてすべてが許される」それが本当に良い時代なのかどうか

お気を付けください それがはびこるころには巨大な「闇」が暗躍するはずです
確か、「政府を動かせばいい」とか言っている方々がいらっしゃいましたよね
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どんぐり音楽会出演の思い出 その10 エピローグ CBCからまさかの…

2023-07-02 01:03:14 | 音楽
【出演後、学校では】
 テレビ番組に出られたということは貴重な経験だし、今でも「あの時、思い切って動いてよかった」と思える出来事なのですが、当時の自分にとっては微妙でした。
 私は、会場の多くの人たちに失笑を買うようなことをしてしまった。あれが放送されるのだ、と。
 やはり出演するときは我を忘れてうぬぼれてしまうもので、「自分はあの場で大喝采を受けてチャンピオンになり、ヒーローとして収録を終える」ぐらいの気持ちになってしまいます。もちろんそれを人に事前に宣言などしませんが。
 しかし少なくとも自分は思ってもみない失敗をしていて、全然かっこよくなかったのです。放映までの2週間、なんと言えばよいのかわからない気分でした。

 担任の先生は、社会が専門の先生でした。テレビ局の様子、収録の実際など、何かと詳しくみんなの前で発表させようと声をかけてきました。

 大人になるとわかります。今でも、「マスコミ、テレビ局の仕組み」は、5年生の社会の授業で取り扱う重要な単元。それを自分の学級の児童が生で体験してきたというのだから色めき立ちます。100の資料よりも1の生体験。ぜひ学級で披露してほしかったのでしょう。その気持ちは、今では痛いほどわかります。私が担任だったとしても、絶対にそうします。

 ですが、私はプチ傷心状態。そんな大人の事情など分かるわけがありません。おまけに、今調べてわかったのですが、おそらく当日のCBCは、著作権その他の関係から、放送局に入ったらもう写真の撮影は禁止。我が家には当日撮影した写真が1枚も残っておりません。2回前の歌っている写真は、出演後、CBCから郵送されたものです(後で述べます)。
 当日の出来事も、ここまで延々述べてきたほど複雑で、とても簡単にスピーチできるほどまとめることができません。一応学級で簡単に話しましたが、まったく的を射ない話しかできず、担任の先生も肩透かしだったことだと思います。

【2月19日放映当日とその後】
 我が家には、その頃購入したばかりのカセットテープレコーダー(ラジカセではない)があり、それに録音しようということになりました。全部を録っても仕方がないので(?)、自分の歌った部分など一部にしようとしました。ライン録音の機能はありませんでしたので、「生録」です。ですから、録音中は家族みんな、黙って見ていなくてはならず、ちょっとしたストレスでした。(もう残っていないかな…?この時の録音)
 祖母も見てくれて、喜んでくれたように記憶しております。

 ビデオ録画は、当時は一部のお金持ちだけの道楽でした。まだVHSもベータもない、Uマチックと言われる規格のテープと機械で録っていた時代です。クラスに一人だけ持っていた家庭があって、録画をしてくれていました。
 それを学校で見せてくれたかもしれません(そのあたり覚えていないです)。「あげようか?」と言ってくれたようにも覚えています。ですが、うちに「録画できるような機械」を買う財力もなく、確かテープも高価なはず。そんなこんなで、ありがたい申し出ではありましたがお断りしました。VHSテープが一般的になって、我が家でもビデオの機械が買えたのはその6年後のことでした。
 放映翌日、私は少し気まずい思いで学校に行きました。かっこ悪い姿をひけらかしてしまったな、と。
 でも、クラスメイト達はみんなそんなこと気にせず、「よかった。面白かった。狩人と一緒だったね」と、温かい言葉をかけてくれました。
 考えてみれば、自分たちも小学校卒業間近。お互い少しずつ大人な会話ができるようになりつつありました。みんなのねぎらいや温かさが、本当にありがたく、ほっとしたことを覚えています。


【最後に、CBCからまさかの…】
 賞品で頂いたハンバーグの素やカステラなどは、本当にありがたく、どれも美味しかったため、しばらくの間我が家の食卓やおやつの時間を充実させてくれました。以前の予選の時は記念の鉛筆もいただいたように覚えています。また、出演の時にはめていた「どんぐり音楽会」のバッジもそのままいただきました。

 放映されたころでしたか、CBCから封書が届きました。
 ご出演ありがとうございました、という内容のお礼状でした。律儀でこれもありがたく思いました。2回前のところにある写真はこの時同封されていたものです。当日写真撮影は禁止されていたようで、あの写真は局の方から、記念に、ということで頂いたものです。先日実家でアルバムを見ていたら、その写真が挟んであったので、ブログで使わせていただきました。

 そして、そこに、もう1枚の手紙が…
 45年も昔ですのでうろ覚えですが、このような内容でした。

「どんぐり音楽会、出演おめでとうございます。司会の石川進です。あなたの活躍、素晴らしかったですよ(活字なので全員に同じ文書を出したと思われる)。これからの頑張りにも大いに期待します。
 さて、私、キューピーちゃんこと石川進、実は、タレントや司会もしていますが、実はプロの歌手でもあるんですよ(知ってた)。私も歌手として頑張っていますが、みなさんのような新しい時代を背負っていく子たちを、音楽の面でサポートしていきたいという夢も持っているんです。
 もしも、これからも歌の世界で頑張っていきたい、という夢をお持ちならば、私と一緒に夢をつかんでいきませんか?私は今、名古屋を拠点にスクールを開いていて…(事実この4年後に岡崎市に音楽学校を設立なされます)

以下にある案内状を保護者様と一緒にお読みいただき、よろしければご連絡ください。云々…」


 そうです。これは、石川さんの個人的な「スカウト」なのです。

 私も一瞬ミーハーな夢に揺り動かされそうになりましたが、家族は冷静でしたし、自分も声変わりを控えていたし、そんなことのために名古屋に通う気などさらさらないし、どうせこういう通知は出演者全員に送っているし。
 でも正直罪なことをなされる方だと思いました。中学校進学を控えている子どもの不安定な心情のところに、こういう誘惑をかましてくるのは、いかがなものかと。

今までにも述べてきましたが、自分は猛烈な音楽好きだったと思います。音楽を学ぶような環境はほとんど家にはなかったけれど、「もしも歌って生きていくことができるなら」と思うことさえ、少なからずあった少年時代です。そんなところにこんな通知が来れば、やっぱり心はざわつきます。

でもいろんな現実も分かりかけてきていたこの時期。お誘いはありがたかったですが、返信はせず、どんぐり音楽会を含めたこの件は、幕を引きました。


今だったら、どうなのでしょう?
放送局からの郵便に、出演タレントによる個人的な芸能事務所の入所案内なんて、同封することが許されているのでしょうか?しかも、番組ぐるみでやっている感、ありありでした。
あの番組の提供会社の中に、「石川進音楽学校」でも入っているのならばわからなくもない話ですが…おそらく現在こういうことをやったら、コンプライアンス的にアウトだったのでしょうね。

どんぐり音楽会は、その数年後、司会がマイク真木さんに代わって1983年まで続きました。
小学生が歌謡曲を歌うばかりの番組、メディアへの登竜門っぽい印象がどんどん強くなり、番組としての使命を終えたのでしょう。


長々と、すみませんでした。全く自分の記憶を失わないようにするためだけに書いたようなシリーズですので、客観性を欠き、寄り道だらけの駄文となったことをお詫び申し上げます。
でも、こうやって書き残していると、やはり思い出は甘酸っぱく、温かいものだと感じます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どんぐり音楽会出演の思い出 その9 収録のその他、その後へ

2023-06-24 22:01:58 | 音楽
風がはこぶもの【本田路津子さんの曲を 五十路後半男性だけど歌います】


【本番中あれこれ】
①本番中のおしゃべり
 これは放映後、同級生に言われたことでしたが、
「ねえ、〇〇君(私のことです)、控えの席のところで、他の出番の女の子としゃべっていたじゃん。どうしたの?もう仲良くなっちゃったの?」
普通、出演者が歌っていたり、話していたりする番組の進行中に、私語などもってのほか。自分でもその指摘を受けるまでは覚えていませんでした。が、言われて少し思い出しました。
どの時間帯だったかは忘れましたが、確かに収録中、控えの席で隣の女の子に何かしゃべりかけられました。私も何も考えておらず、気が緩んでいたのでしょう。(とすると歌った後だったのかも)普通に受け答えをしていたのです。そんなことが一瞬あったことは思い出しました。しかしそれが、はっきりと何らかのアングルで映り込んでいたらしい。ビデオがほとんどない時代で録画がないからわかりませんが、多くの子がその場面を見ていたらしく、「仲良くなっちゃった?」とか詮索してきて私も慌てました。話しかけるほうも話しかけるほうですが、受けて答えていた私も大概ですね。

②あわて床屋
 確か本番前の最後のリハで(この時は全員歌う場面は省略させられました)、番組の最後にみんなで一曲歌うという流れがありました。この週のラストの曲は「あわて床屋」でした。
 しかし、出演者ほぼ全員がまともに歌えないという事態が発覚!私もかすかな記憶しかなかったので、歌いながらおぼろげな記憶を引っ張り出し、「ああ、こういう曲だった」と、でも気持ちよく歌わせていただきました。自分としては、出番で歌った「落ち葉」よりも、こちらのほうが、伸び伸びと気持ちよく歌えていた記憶があります。
 でも、私の世代でも、もう誰も知らない曲になっているということも自覚した瞬間でした。父からはずっと言われておりました。「テレビで流れるような流行歌ばかり歌うような人間になるな。日本には、唱歌、童謡という立派な文化がある。そこに歌の基礎があるのだから」と、
 だからと言ってエリート教育的に童謡ばかりを子どもに聴かせるようなことをされた覚えはないのですが、身の回りで歌われていた童謡は普通に聴いていたし、まだ私の世代では、ぎりぎり、子どもたちの遊びの中で自然に童謡を口ずさみ合うような生活、文化が残っていました。ですから「あわて床屋」もすぐに記憶のかけらを呼び出して歌うことができたのですが、ほかの出演者たちにとってはさっぱりだったようです。

 おそらく審査員に水谷俊二先生がいらっしゃったこともあり、あの「最後の歌」のコーナーは、子どもたちに、唱歌や童謡を大切にしてほしいという願いで設けられた時間枠だったのではないかと、あの時にも思っていたし、今もそう信じております。石川進:キューピーちゃんの歌もお見事でした。

③狩人「若き旅人」
 狩人のお二人にとっては凱旋出演だったのかもしれませんね。国民的大ヒット曲「あずさ2号」から、「コスモス街道」、そして1977年末に発売した3枚目のシングル「若き旅人」と、ヒット曲を連発していらっしゃいました。
 「どんぐり音楽会」では、この「若き旅人」を歌われておりました。そしてその時初めて、私は「カラオケ」という言葉が業界にあることを知ったのです。
 
私たち出演者は、みんな、生のバンドをバックに歌いましたが、ゲストの狩人さんが歌うときには、そのバンドの皆さんは演奏されていませんでした。その代わり、モニタースピーカーから、豪華な演奏が聴こえ、それをバックに狩人さんは歌っていらっしゃいました。世に言う「カラオケ」です。

そんな仕組みがあるとは知らず、少なからず私はカルチャーショックを覚えました。1970年代は、まだそういう時代だったのです。その「カラオケ」という言葉が世の中で普通に使われるようになり、国民がみんなマイク片手に歌うようになったのは、その数年後のことでした。

私たち出演者は残念ながら狩人のお二人と直接会話やコンタクトを取ることはできませんでしたが、以前述べさせていただいたような経緯で、私は(おそらく)特別に、狩人さんのサイン色紙をいただくことができました。
収録終了後、提供各社からの参加賞としていろいろお土産をいただいて両親のいる客席に戻っていく私は、どうやっていただいたのか覚えておりませんが、こっそり狩人さんのサイン色紙も持っておりました(おそらくほかの出場者の方は頂いていないと思います)。
すると、目ざとい狩人ファンのお姉さんたちがそれを見つけたようで、私に話しかけてきました。

「あー、サイン持ってる!いいなー!」「ねえ、お願いだから譲ってくれないかなー…
なーんて嘘だよ。おめでとう。大事にしてね。」と、本気とも冗談とも取れない言葉をかけられました。私はいきなり話しかけられて思わず身構えてしまいましたが、この言葉に、「ああ、狩人さんはいいファンをたくさん獲得しているんだな」と(今の私の言葉でいうと)、やけに心が温かくなった記憶があります。

前回の写真にも少し載っていますが、この時の出演者に送られた参加賞は、
・(例の)オリエンタルハンバーグの素、マースカレーもあったと思う
・ハワイの飲み物、グアバ
・長崎堂のカステーラ
・サンビシ醤油詰め合わせ
・納谷橋饅頭  だったと思うのですが、写真を見るに、すでに納谷橋饅頭は提供を撤退していたのかもしれません。私はことのほかあの納谷橋饅頭が大好きだったので、親が遠出した時は必ずお土産にお願いしていたぐらいでした。ですからこの時ももらっていたような気もするのですが…わかりません。

「どんぐり賞」(その週のチャンピオン)は取れませんでした。もしもとっていたとしたら、それこそ中学生になって、チャンピオン大会に出なくてはならなかったのかもしれませんが、まあ、そこまで上手ではなかったということだったのだろうと思います。

かくして収録は終わりました。この夜は親子3人で名古屋駅の飲食店エリア「廣寿司」に行き、食べた「江戸」というメニュー(まぐろと鉄火だけ)のおいしさに驚いたことを覚えています。ねぎらいの言葉ももらいました。今でも名店ですが、「廣寿司」は当時テレビCMも流していたほど有名で、父母も昔名古屋住まいだったこともあり、きっと精いっぱいのご馳走を考えてくれたのだろう、と、今更ながら有難い思いです。父母亡き今、あの夜の食事の時間を思うとぐっと胸に来るものがあります。

④おまけ
で… この日の「どんぐり賞」を取った人
後々じわじわ来た名前の人なので覚えています。「中島美雪」さんと言いました。ただしこちらの地方ですので、「なかしま みゆき」と読みます。シンガーソングライター中島みゆきさんの名前を耳にしたとき、どこかで聞いたことのある名前だよな…と考えていた時に、思い出したのです。「あ、あの時のどんぐり賞の人だ」

そして彼女が歌っていた歌が、本田路津子さんの「風がはこぶもの」


今回動画投稿させていただいたいきさつは、ここからなのです。もちろん大好きな曲です。歌いながら、ずっとどんぐり音楽会のことを思い出していたので、自分の記憶、記録用に、連続して投稿させていただきました。


で、あと少しだけ追記させていただきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする