songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

世の中は、そうでもしないと変化しないのか?東京都知事選挙

2024-07-01 00:09:18 | マスコミ関係
都知事選挙については、前回もあまりの不快さに、記事を書きました。

私は岐阜県民なので、無関係と言えばそれまでなのですが、前回の警告通りというか、想像以上の惨状に、何とも言えない絶望感があります。

ネットで見る限り、今回の台風の目のように感じられるのが、石丸さん
すごいたくさんの信者が拡散に拡散を重ねています。「君の名は。」のアニメを見た若い世代が盛大に布教活動をした時のような、私たちの世代では感じられない集団圧力を感じます。

とても頭の良い方と感じられます。そして、めったに見られない、新聞メディアを論破するという「既成権力に打ち勝てる人」のイメージを植え付けることができました。しかし、実際の市政での成果はどうだったのか?都政に関してどれぐらいの理解があるのか?彼に賛同し、ついてきてくれる「実務者」はどれぐらいいそうなのか?関東大震災にまつわる朝鮮人に関するイベントに軽々しく参加しようとする、こう言っちゃあなんだけど不勉強さ、…いろいろ時期尚早に感じます。もう少し学んでいただいてから、が適切だと感じています。
若くてエリートで力のありそうなところに金をかけ、いわゆる弱者はこっそり内緒で切り捨てていく。頑張っているものに正当なお金が行かないのはおかしい。お金はそういうところへ流す。動画や言動から、そう読み取られるにおいがあります。
ある意味非常に強力な政治家、一歩間違えば独裁者タイプであり、橋下さん時代の維新のやり方とそっくりです。
でも東京はリッチだから、こういうタイプが意外に合っているのかもしれません。だいたい東京都知事はその時代の与党の人が知事をやっていることが少ない。今の小池さん、青島さん、懐かしいところで美濃部さん…
ちょっと賢くて、「既成の権力には任せられない」という、意識高い系統の方が多い地域なのでしょう。
ただ、彼が切り捨てようとしているものが何か、見極めないといけません。

歯に衣着せぬ鋭い切り口で既成の権力の悪しき習慣に立ち向かう。ただ、最近では噂によると、一定の権力ある立場の方々から支援をいただき始めているらしい。それはありがたいことだけど、しがらみにどう対処していくのか。
みんなにさんざん言われた小泉進次郎氏ですら、若くてしがらみのなかった時代は、自分の党の批判も公然としていて「彼こそ次の首相」と若い世代、ネット民から絶大な支持を集めていた時代がありました。橋下さんが維新でいろんな既存政党の人たちをバッタバッタと論破していた時代もありました。その後、どうなりましたか?
しがらみに負けず、最高の判断力で、支持者を集め、実行していける人って、なかなか難しいですよね。すでに石丸さんは、「捕まってしまった」ように思えます。

一方で、「あなたは石丸氏のことが全く分かっていない。ネットの動画をくまなく見ればわかります」攻撃がすごいことも、逆に気になります。
これは、あの立花氏の戦略と同じです。で、結局見ると、彼らの再生数稼ぎになって終わるという。だから私は直接の動画は見ません。なんにせよ、若くて勢いのある支持者が爆発的に伸びているようですので、その波に乗ったほうが賢いのかどうか。私たち年寄りは迷うのです。なまじっか人生でいやな前例をいろいろ見ているので。

そして、今名前を挙げた立花氏の動き。
選挙ポスター掲示板ですよね。いろいろやっております。例の裸同然の「表現の自由を訴える」ポスターは彼らのものではありませんでしたが、あれもひどい。例の津田大介さんはあの件に関してなぜ何もコメントしなかったのか?
立花氏一派の大量ポスター、QRコードをたどって表れる意味不明なリンク先。三浦春馬さんへのわけのわからないメッセージ。
そうしたら、竹田恒泰さんがネットで解説していらっしゃいました。

もちろん立花氏の狙いは「選挙をおちょくること」。ばかばかしいと思わせて、「こんな制度、やめさせろ」と選挙制の無意味さを主張して変えさせたいのだと。特に今後の政見放送では、あれだけたくさん候補者がいるので、超長時間NHKの時間をジャックして法に触れないレベルで時間をジャックし、無意味な政見放送と、文字通りNHKをぶっ壊すことが目的である、とのこと
だから、(私のように)こんな選挙や政見放送、やめて改善しろよ、と思わせることができれば、彼の目論見通りだというのです。
でもこれって、暴力ですし、クーデターですよね?
そして、こんなことしなければ世の中が変わらないとすれば、この世はこんな人たちの暴挙で溢れるに決まっています。日本人の精神を崩壊させているのです。
絶対間違っていると思います。

さあ、私は4年前に警告しましたが、何も事態は変わらず、このような惨状となっています。さらに4年後、選挙はどうなっているのでしょう?
どんなに屁理屈こねようと、明らかに日本は今、世界中に醜い恥をさらし続けているのです。韓国が以前繰り広げていたろうそく集会とレベルは同じです。いや、まだあちらのほうがまともだったか
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「ゆうひが丘の総理大臣」から「セクシー田中さん」へ

2024-06-17 00:28:07 | マスコミ関係
今回、本題へのプロローグが馬鹿みたいに長いのでご容赦ください。

私の世代は、週刊少年チャンピオンの全盛期体験者です。以前記事にした「青い空を 白い雲がかけてった」の時代。
「ドカベン」「ブラックジャック」「がきデカ」「マカロニほうれん荘」「レース鳩0777」「750ライダー」…枚挙にいとまがない…
素晴らしい時代だと思っている一方で、「マカロニ」で代表されるように、伝説の編集長壁村さんについては、素直に肯定できないものを感じます。

その中に、望月あきら先生の「ゆうひが丘の総理大臣」という漫画があり、これも大好きでした。
ある号で、この漫画がドラマ化されるというお知らせがありました。私は狂喜しました。
キャストも、中村雅俊さん、神田正輝さん、京塚昌子さん、由美かおるさん、宍戸錠さんなど、そうそうたるメンバーと知らされ、中学生だった私は胸震わせてドラマを見始めたことを覚えています。

ドラマが始まって、私は、唖然、茫然としてしまいました。
キャストの役職、大岩先生(中村雅俊さん)が「ソーリ」と呼ばれるようになったこと…
以外は、ほとんどすべてが、原作とかけ離れていたからでした。原作は中学校、ドラマは高校。部活も、あんなんだったっけ?生徒のバカ騒ぎも、こんな感じではなかったはず…

数回見て、すぐに私は悟りました。「これは、ゆうひが丘の総理大臣という漫画の登場人物、人間関係、シチュエーションを借りた、まったく原作とは違う学園ドラマを描いているのだ」と。
出演者の皆様を非難する気など毛頭ありませんし、すばらしい俳優さんたちの熱演だったことは間違いないです。なんだかんだで私も結構な回数、このドラマをそれなりに楽しんで見ました。

でも、ずっとずうとその時から、私の心の中には変なくすぶりが残り続けるのでした。

これ、自分が好きな、あの漫画の「ゆうひが丘の総理大臣」ではない。
別にこういうドラマ作りたいなら、「ゆうひが丘」の舞台借りる必要ないじゃん。「我ら青春!」「俺は男だ!」とどこが違うんだよ?
なんだか、原作がどこかで小ばかにされているような気がして、くすぶっていたのだと思います。
制作は、日本テレビでした。

あれからもう45年以上の歳月がたったのですね。そんな時、「セクシー田中さん」の原作者が亡くなられたという、悲痛なニュースが届きました。
これに関して、多くの記事が出ましたし、多くのコメント、見解、報告を見ました。そして分かったことがいくつかあります。

最も感じたことは、「テレビ制作サイドの考え方は、ある意味正しいが、やはりそれはあくまで、テレビのプロの思考枠内だけの発想力」です。そのプロ意識だけで物事を判断してはいけないということを、想像したり考えたりする能力が決定的に欠けている、そこに今回の悲劇の根本があったと思えるのです。

①脚本家の方々、テレビ局側の主張はある意味正しい
「餅は餅屋」ということです。事件直後、脚本家連盟のような方々がSNSでお気持ちを表明されたそうで、それらには多分に「セクシー田中さん」脚本の方への擁護と受け止められるコメントが多かったらしく、世間から大バッシングを受けていました。ですが私は、ある意味この、叩かれた主張は正しいと思うのです。
漫画には、漫画でしか出せない演出や描き方があります。これをそのままテレビドラマで再現して、テレビで見ている人たちが漫画を読んでいるような感動に至るかというと、そうなるとは言い切れません。逆もまたしかりです。
実写ドラマでしか出せない展開や演出もあり、それを漫画で表現して同じような感動を呼べるかというと、答えは「否」です。
それぞれに得意分野、プロ意識が発揮できるところがあり、それを別の土俵でやって必ずしもうまくいくとは限りません。

今回は原作者さんが「原作通りの形でドラマにしてくれ」と頼んでいたとのことですが、本当に原作通りに放送して、視聴率の稼げるドラマにできたかどうか、というと、若干の疑問は残ります。
テレビ制作サイドや脚本家たちは、そういうことが十分わかっていて、おそらくは、「原作通りの形で」の要望を片耳に挟みながらも、とにかく視聴率が取れる形を考え、脚本を作っていったのではないかと思われます。

②その前に、最初に決まるものは何か?キャストです
テレビのドラマ制作って、中身云々の前に、「誰がキャストなのか」が非常に重要視されます。視聴率の取れるキャスティングこそ「命」ですから、
だいたいのドラマのコンセプトが決まったところで、「何はともあれキャストを押さえないと」と、俳優たちのスケジュールをゲットすることが最優先されているはずです。そういえば「セクシー田中さん」では、キャスティングされた女優さんが、撮影のだいぶ前からベリーダンスのレッスンに通い詰めたと聞きます。それぐらい前倒しで準備しないと、撮影に対応できないですからね。メディアミックスも大事ですし。
ごく大雑把に言うと、決まるのは、コンセプト→キャスト→脚本の順なのでしょう。当然脚本家には、その俳優が持つ魅力を十分に発揮できるような脚本作りが要求されてきて、そこに脚本家の力量が問われるのでしょう。

③テレビの事情も知らない原作者は、制作側にとってどんな存在か
ここまで述べれば自明だと思うのですが、脚本家含めたテレビスタッフにとって、原作者って、一番大切な人でありながら一番厄介な人になる可能性があるわけですよね。
全てが「テレビ脳」で動いているスタッフチームの中で、原作者は「部外者」になる恐れがある。上で述べたことなんて本当にごくごく一部のことで、テレビドラマ作りって、実に多方面の大人の事情でがんじがらめにされながら動いている。 だからこの「巨大な砂の城」を崩さないように進めていきたい。原作者には、この「テレビ的事情」を理解していただいた上で、できるだけ口を挟まないようにしていただくのがベスト。

テレビスタッフは、原作を尊重して扱い、原作の世界観に基づいて最高の作品に仕上げてもらいたい。そのためには原作者の意見も尊重して聞く。
原作者は、「一旦テレビに出てしまうものは、テレビを信用して任せる。基本口出しせずテレビ局の善意に任せる。ただ、言うべき時は言う」

そんな関係でいけるのが一番お互いにとって楽なのだとは思います。

しかし、今回の場合は、テレビ局の理論で洗脳されていたスタッフ、脚本家さんが、原作者の本気の思いを尊重していなかった。
全てはここのボタンの掛け違いだったのだと思います。

原作者「このドラマでは、一字一句、この漫画の通り忠実にしてください。お願いします」
スタッフ「わかりました」(空返事) がすべてということです。今回の場合、そこまで原作者が本気でそうしてほしいと願っていたことに、まったく正面から向き合おうとしていなかったのでしょう。
「そんなわけにはいかないところがあります。」と、最初に言っておけば多少は展開も違っていたでしょうに。
原作者の本気を見抜けなかった、または見て見ぬふりをした誰かの存在があり、「何とかなるだろう」と強引に引っ張っていった結果、取り返しのつかない事態になったという。

脚本家さんが一番叩かれていますが、彼女にしたところで、原作者がそこまで本気で言っていたということは見抜けていなかったのでしょうし、制作チームからも、そういう「原作通りでいきます」という命令は脚本家に行っていなかったと思われます。誰かがどこかで、「ああ、よくいる原作者が一番偉いんだから、私の言うとおりにしろ、という勘違いクレーマーね。まあスルーで」という解釈をしていて適当に脚本家に伝えていたと考えられます。

本来はディレクターも何人かいるべきで、各方面から来る声を調整するディレクターがいなくてはいけないのですが、経費削減で、そういう立場の人もいなかったとか。ひどい話です。

餅は餅屋。確かにそうです。

ですが、テレビ局のみなさん、あなたたちは忘れています。原作付きドラマを見る人の中には、原作が好きでドラマを見に来ている人が一定数いるということに。
原作の根っからのファンにとっては、たとえドラマが世間的には大うけで名作と言われようと、内容を捻じ曲げてテレビ的な演出に走ったものを見させられた場合には、「裏切られた」と悲しむ人たちが一定数いるということ
決して忘れないで下さい。

冒頭紹介した「ゆうひが丘の総理大臣」ドラマを見た時のショックと原作をつぶされ、尊重されていないと感じた時の悔しさ、私は四十数年経っても忘れられずにいます。せめて、「テレビでアレンジされたこのドラマを味わってください」ぐらいは欲しかった…
原作を扱うならば、もしもテレビ的な事情で何かを変更するとしても、原作へのリスペクトは忘れずに作っていただきたい。今回は日本テレビのテレビドラマに対して書きましたが、どの局の方にもお願いしたいと願うばかりです。
私の場合は「ゆうひが丘」でしたが、他のドラマで同じような思いをした人、きっといると思います。
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なんだこの集団圧力の幼稚さ? 達郎さんの名前出せばみんな見に来るもんなあ

2023-07-15 01:09:08 | マスコミ関係
死ぬほど達郎さん関連のレス、記事が林立し、みんな幼稚な正義感と音楽をごっちゃまぜにして騒いでいます

まあ正直非常に気分が悪いのです
味方か敵かで牙向き合ってんじゃねえよってやつ

それじゃ私たちは今後一切ドガの美術品など見てはいけませんし、全部燃やしてしまわなければいけません
モーツアルトの音楽なんか聴いてはいけません 捨てなさい
マイケルジャクソンなんて未来永劫許してはいけません
大瀧さんが尊敬していた以上フィル・スペクターサウンドなど絶対に聞くべきではない。

達郎さんの語りで十分でないところもあったでしょうし、ある程度知っていたけど踏み込んでいなかったことは事実でしょうし、古い体制を引きずっている権威であることは否定しません。
達郎さん本人もある程度わかっていらっしゃると思います。

じゃあどうしろと?

達郎さんの口から、芸能界の性被害を撲滅するように声を上げてジャニーズ事務所を訴え、世間に広める運動をすべきだと?
それはどうかと思うのですけどね

批判的な意見の中でも、理性的な人達の意見の大半は、「やっぱりジャニーズ関係の仕事は今後、しばらく控えていただきたい」でしょうし、そうであってほしいとは思います
でも達郎さんと言う人は、「馬鹿言ってんじゃねえよ、作る縁があったらやるよ」でしょうけどね
ある程度彼のファンであった人ならば、そこまでわかっているはずです。これが山下達郎さんと言う人だと
美化するわけでもないし、普遍的な価値観とも思いませんし、私は肯定も否定もしません。いままでだって、購買者の私が気に入れば買い、気に入らなかった時は買っていなかった、それだけです。

ですが決して、「見損なった、もう買わない、捨てる」などの「宣戦布告&ネガキャン」を大声上げて偉そうに言うような愚かさは許すわけにはいきません

私自身若かった時、気に入っていた音楽家とか、ミュージシャンはたくさんいました。
そして、「よい音楽を作る人に悪い人はいない」とよく言われる言葉に薫陶を受け、そういうものだと信じていました。
ですからその分、尊敬していた音楽家の方にスキャンダル、犯罪があったりすると、自分のアイデンティティーは激しく揺さぶられ、ひどく裏切られた気分になったものです。1度や2度ではありません。
いまだに妻などはお気に入りのミュージシャンが、自信の最も嫌うたぐいの罪を犯したりすると、「もう二度と聴かない」というタイプです。
しかしそれを繰り返す中で私は学んだのです。「違う。」と。
いい音楽と、作ったり表現したりする人物の人格とは、必ずしも一致するばかりではないのです。

現代の芸能界では、その人物の印象というタレント性と売り上げが密接に結びつきがちなので、特に今の40代以下の世代には難しいのかもしれません
だが我々の世代、音楽はもう少し独立性があり、「偉い」ものだったんです。
それはそれ、これはこれ、が、当たり前のものとして、音楽の価値は尊重されていたのです

私見を述べます

私の世代は達郎さんの音楽、サウンドに感銘を受け的人が多い世代です。
でもそのファンの中でも好みはいろいろ分かれているようです。私はアナログ最終期の録音が一番好きなので、特に2010年代以降では正直新曲はあまり聴いておりません。
かといって全然「見限った」「ファンをやめた」「もう聴かない」なんて気持ちにはなりません


現在問題で、犯罪級に悪質なのは、そういう宣言をする「壊し屋」がヒャッハー状態で荒らしまくっていることです。
これを達郎さんのせいにしてはいけません。彼の責任ではありません。「壊し行為」をすることに対して、責任を持っているのでしょうか?
私は聴きたいと思っています。でもこういう執拗な壊し行為により、聴くことが憚れるような風潮が作り出されたとしたら、これは達郎さん本人の責任範疇を超えたところまでの影響に思われます。
要するに、誹謗中傷、名誉棄損です。


次に、性犯罪について

今回は、日本一の権力を握っているジャニーズ事務所の創始者が起こしたとされる性犯罪です。30年以上前から騒がれていました。日本中のマスコミでかん口令が敷かれていたかのごとく、触れてきませんでした。
もう亡くなった方ではありますが、功績は功績、罪は罪。被害者の方の二次被害にならないことに慎重に配慮し、今度こそ「報道すべきところ、報道せずに守るところ」のガイドラインを明言し、
補償と再発防止に努めてほしいと願います。

今回は性的な嗜好がやや特殊に近かったこと、かかわった人物の知名度、影響力など重なり世間から注目を浴びました。

しかし、女性はどうですか?
年端もいかない少女たちが芸能活動のために性的被害にあっている事例をなんとなく想像するに、これは歴史も含めると天文学的な数の例が出てくるに違いありません
もう、今テレビで活躍していらっしゃる人のうち、ベテラン含めほとんどの方になにがしかあったと考えたほうが自然なぐらいの実態が疑われます
広告代理店の過去のいろんな話を聞くにつけ、そう思わざるを得ません。もちろんこれは憶測の域を出ません。
憶測ついでに。日本含め芸能界は、太古の昔から、そういう関係で結構な割合の芸能人が活動してきたと思われます。罪と言えば罪です。現在の価値観だと、許しがたいことは、絶対たくさんあったはずです。
先ほども少し書きましたが、美しいドガの絵など、舞台裏を知ったら悪寒でどうかなりそうな世界です。でも、当時はそれで成り立っていた。

「そういうご褒美でもなけりゃ、こんな仕事やってられっかよ!!」というぐらい理不尽な仕事である可能性も想像してしまいますが、繰り返しますがこれは悪しき昔の価値観
結局ジャニー氏も性的嗜好こそ違えど、そういうところがあったのかもしれません

で、それらを何百年にもわたって調べつくしていく、その覚悟はありますか?? まあ無理ですので、今は少なくとも現在芸能活動に携わっている人の中で、そういう方面のつらい思いで心に傷を負って、誰にも言えずにいる人たちの心の救済が大事かと思われます。
ここで厄介になってくるのが、いわゆる「枕営業」ですね。
チャンスのためならば自らを犯罪レベルの行為にさせてでも、つかみに行っている子たち。それと「泣き寝入り」のことの区別は難しい
かといって罪を「それに乗って手に賭けた大人」ばかりに着せていくのは、まったく根本的解決になりません

芸能関係の各社が、調査には真摯に応じ、予防対策をしっかりと示していく以外ないのかもしれません。広告代理店は、少しは健全になったのでしょうか?

ただね

もしかしたら今後、つまらない芸能界ができていくようになるのかもしれませんよ。
おそらく今唾棄されるレベルで批判されている「古い体制の」世代のお偉いさんも、その前のさらにとんでもない時代を知っているから、現代でも十分まともになっていると思っているはず
「清らかならば何でも優れていて、そしてすべてが許される」それが本当に良い時代なのかどうか

お気を付けください それがはびこるころには巨大な「闇」が暗躍するはずです
確か、「政府を動かせばいい」とか言っている方々がいらっしゃいましたよね
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世の中の誰も異議を唱えないのですか?あまりにも図々しくヤクザな「徴用工問題韓国肩代わり」案

2023-03-19 03:08:34 | マスコミ関係
あまりに普通過ぎる疑問をだれも問わないのはなぜかを問いたいのです。徴用工問題

あちらの国で、こちらの言い分を一切聞かない裁判を起こし、
勝手に日本を有罪、賠償金を企業が払うような判決を下し
日本が難色を示す(普通ならばブチ切れます)と、「そうですか。払う金がありませんか。ま、突然のことで仕方ないでしょう。
どうです、ここはとりあえず我が国(韓国)がその金額を肩代わりいたします。」と、「拒否」を「支払い能力がなくて困窮」と、知っていて曲解し、
「この問題で前政権時、二国間で大きな溝を作ってしまったことは改善したいです。こういう案で手を打って、ともに前を向き、歩んでいきませんか?」

と、尹大統領

いや、確かに尹大統領が日韓関係を改善したいと考えていることは嘘ではないとは思っておりますが、認められるのはそこまで。
この論、ひどいでしょ?ヤクザでしょ?マフィアでしょ?この論法
過去にも述べてきたとおり、今回の徴用工問題に対する企業の賠償、もともと払う必要のないもの、と日本の立場では語ってきたし、あっちの国での裁判も全く話にならない信用性。
論理も客観性も歴史認識も何もない。

身に覚えのない借金を払えという。払わないと、「お金がないんですね。わかりました。一時的にこちらで支払いますよ。私どもが肩代わりします」←現在ここ
この後の流れはもちろんわかりますよね。
「…そろそろ払っていただきませんとなあ…。」「こっちもただで金出しているわけじゃないんですよ」「いつ払うんですか?借金というものには利子が付くものですからなあ」
「時代が変われば円の相場も変わりますよ。現在の円の価値に照らし合わせて、相応の金額を払っていただかないと」

ヤクザでしょ?マフィアでしょ?身に覚えのない借金を背負わされ、放っておくと利子が利子を呼び、脅迫してくる
異を唱えれば、もちろん即裁判で、同じように有罪にしてくる 金で雇った国際裁判にまで持ち込もうとする

私の論のどこかに、間違いはあるでしょうか?この疑念は、私があのニュースを聞いた5秒後には頭に浮かんだ筋書きです

相当多くの国民が、私と同じように感じたと思うのですが、メディアでそういう面の意見が一切出てこない不自然さ
考えられることは一つです。「下手なところをつついて、『国際関係を正常化したいと言っている韓国』を刺激したくない」「たかがマスコミが国際問題に火を付けたくない」
…すみません。ずいぶん善人ぶった書き方しました。ふつうに見れば、「韓国にしっぽを振っている」です。

それ以外にありますか?

マスコミはこぞって、「この問題については各国で意見の相違はあったが、これを最善策と考え、前進と解釈したい」というコメント。
「ちょっと待て」と皆さん思いませんでしたか?


こちらも何度も書いてきたことですが、韓国、中国の方々が戦時中に日本から不当な環境で労働させられた話は聞いていますし、私の生まれ故郷にも生き証人がおりますから、絶対にウソではありません。
ただ、日本がシベリア抑留などで受けてきた仕打ちも散々聞かされましたから、「戦争時における不条理な人権侵害」はどの国にもあったことだと思っております。
もちろんそれを良しとするつもりはありません。

1965年の「最終的」に行った補償も事実です。
その時に疑われるのは、その時日本が払ったお金が、確実にその当時の徴用工の方々に渡ったかどうかということ。これについては一切の報告がありません。
この段階ですでに私は相当頭に来ています。

言うに事欠いて、「国からの補償はあっても、個人的な心の傷は一生で、それは別問題。それなりの補償を企業にも」

悪いけどね、そんなことが通っていたら、世界中のすべての戦争体験国が破産しますよ
新しい世界大戦の種をまいていることと同じです
日本は韓国以外の国にもとんでもない金を払わなくてはならないだろうし、アメリカやロシアなんか、何十回国が破綻しても足りないぐらいの金を支払わなくてはならない

私の地元でひどい仕打ちを受けた化石山の、拉致されて日本に連れられてきた皆さんは、
「それでも今は平和になったのだから」と、恨みを飲み込んで生活してくださいました。シベリア抑留から生還した人たちも同じです。
ロシア兵から辱めを受け続けた日本の女性の皆さんも、80歳をとおに越えてから、初めてその思いをカミングアウトしてくださいました。

良いことでないことは当たり前です
でも、韓国の、そういう解決の仕方は絶対に間違っているのです
なぜ日本のマスコミ、ジャーナリストは、わかっていて放送しない?報道しない自由なんて、許されるものですか!国民への教育に、非常に悪い行動です

わたくし、最近、女性弱者に対する、とある(一部では有名と思われる)団体さんのことが気になっておりまして、それについて書こうと思っていたのですが、今回の表題のことのほうが、黙っていられなくてしたためました。
参考意見を、私の過去の投稿でも述べておりますので、よかったらご覧ください
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そりゃないでしょ東京(中日)新聞さん ~書評『唱歌「蛍の光」と帝国日本』大日方(おびなた)純夫 著~とコラムへ

2022-10-30 17:03:45 | マスコミ関係
私がこのブログを立ち上げたきっかけの一つに、「君が代」に対する恐ろしいほどの幼児性を伴った批判が幅を利かせていると感じ、どうしても言わずにはいられなかったから、というものがあったのですが、
まさか東京(中日)新聞さん、ここでもやってしまうというのはひどい、と感じたのが、今朝10月30日の書評とコラムです。
今度は「蛍の光」ですか。

私も、音楽に携わる者の端くれとして、蛍の光に3番、4番があることは知っていますし、「われは海の子」も元々7番まであったことなども常識として学んでおります。
蛍の光の3,4番、われは海の子の4番以降などは、戦後国の考え方が変わり、このまま歌っていくのはいかがなものかという配慮で削除されていった経緯も知っております。

書評『唱歌「蛍の光」と帝国日本』
(すみませんが本まで読む気にはなかなか…なので書評より)なるほど興味深いところはありました。
スコットランド民謡でありながら日本の心の歌のように定着していた「蛍の光」も、戦時下の内地では、敵性音楽だとして、追放の憂き目にあっていたとか(まるで「埴生の宿」ですね)
「千島の奥も沖縄も」で始まった四番は、やがて「台湾の果ても樺太も」と書き換えられた、とか(無理があって語呂が悪いですよね)。
数奇な運命をたどっている歌なのですね。確かに研究すると面白いかもしれません。戦時下のご都合主義に辟易することも確かにあります。

ただ、もともとの歌詞が生まれた時代背景、作詞の稲垣千穎さんの文学性の高さ、曲の美しさ、元の民謡の「いい味」など、そちら方面をあえて無視して書評しているのにはどうにも「フェアではない」と感じてしまいました
それを決定づける書きぶりが、
『「帝国」日本の領土拡張の野心を反映した』
です。

???

そうなんですか??

いや、まあ確かに、著者の大日方(おびなた)純夫さんは、そういう視点から、この本を書いているのかもしれませんが、(重ね重ねすみません、本まで読む気にはなかなか)
ずいぶん「蛍の光」が、平和を脅かす悪者のような扱いを受けているような気がして、心外でなりません。
一時期日本で、軍部による悪意により、悪用されたことは間違いありません。歌詞を変えたり、追放したり。
でもその歌詞の内容は、「国土を守ろう」であるにすぎず、どこかの国のように、「ここは俺の国だ、宣言したのだからこちらのものだ」と意図したものではないことぐらい、わかるでしょ?
スポーツのイベントまで使って、勝ったときに自分の国旗をマウンドに立てながら、「〇〇は我が国の領土だ」などとパフォーマンスするようなレベルの歌ではありませんよ!!
大日方先生も、そこまでの偏った思想を押し付ける意図で書いたのではないと思いますよ。

中日新聞上の編集日誌が、これまたひどいんです。(一部引用)
「蛍の光に、三番、四番の歌詞があったとは。日本の領土拡大の野望を映していたそうです。」
「戦後77年、徴用工起訴を2面に載せました。改めて戦争の罪深さを思います。」

これ読んだ人、「蛍の光」にどんな印象を抱くでしょう?こんなの読んだら、
「蛍の光とは、日本の領土拡大の野望をうたったものであった」
と、普通は読み取りません??
そりゃないでしょ

あまりにも多くの人に失礼です。

蛍の光3番、4番、で検索してみてください。
どの記事を見ても、冷静に、この曲と歌詞の優れたところを語っています。
「君が代」のところでも述べましたが、この曲歌って、「海外に領土を広げ、侵略することが素晴らしい、戦争を進めるべきだ」
と思う人がいると思いますか?

元々の4番までの歌詞を読んだって、帝国主義、軍国主義で他国を侵略していこう、とする含みは、曲解でしかありません。
その時代の国の領土があるのならば、その国土を守ろうとする心を抱くのは至極当然のことで、その領土の主張の仕方が正当かどうか、とかいうのは全くの別問題です。
そこを飛ばして記事を書いてはいけません。

特に私は、音楽を愛するものとして、君が代の時と同じく、こういう記事を書いて妙な思想に持っていこうとする浅学の主張が、許せないのです。
蛍の光は何百年と生き残った優れた音楽です。歌詞について学ぶのは良いが、その良さをぜひ知ってもらい、愛する値打ちのある音楽を1曲でも多くしていただきたいのです。
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