オリンピックに向け、スタジアムに関しては、いまだにくすぶりが感じられるし、本当にこれでいいのかと疑問もまだまだあります。
でもこれは、各方面の意見を聞きながら、建設的に改善への余地があると思うのです。
エンブレム問題は、別の意味でいやーな気分にさせられます。
やれ盗作だの、権威との結びつきだの、結局はコネかよ、だの
今回白紙になった時の反応に、私はいささかびっくりしております。
「ネットの発達により、盗作かどうかなど、情報が明るみに出るようになった。これはよい傾向だ。」 はあ????
佐野氏のデザインの、膨大な数の実例が公開されました。剽窃と言ってよいものがいくつもあることも分かりました。
今回の一連の流れを見ている世界中のすべてのデザイナーの皆様は、これを見てどう思ったでしょうか?
私自身はデザインは全く疎く、非常に弱いジャンルです、が、想像はできます。
全てオリジナルのデザインなんて、一体どこに存在するのか
物を作る人たちには、独創性が求められます。しかし独創はすべて、真似から始まり、脱却という道をたどるもの
ピカソなどがそのよい例でしょう
そして、独創的ならば何でもよいというわけではない
よいか悪いかがすべてです
現在、当のネットでわめきまくっていた人たちに、わずかな困惑がうかがえます。「ネットの勝利?え?」と
だって、結局やっていた気持ちのベクトルは、単なるいじめに過ぎなかったこと、本人たちも自覚していたからでしょう
今回の件でネット書き込みの人たちが血眼になってやっていたことは、紛糾、なんて言いながらその実、集団いじめの快感に、人生で二度と得がたいほどのエクスタシーを求めている行為そのものだったのです
で、白紙になった後のインタビューに答える人たちは予想通り
「もう少し日本的な主張の見られるデザインに」
「絶対にパクリと言われないような、複雑なものに」
…
もう、みんなが納得するようなデザインなど、出てこないと、私は思います。
時には、「決まったのだから、はいはいとしたがう。盲目的に従う」
ことも大事だということも、私たちは学ばないといけません。
こんな日本の醜い実態を見ていながら、「いじめ撲滅」なんてよく言えたものだ
世界に冠たるいじめ大国日本。
いじめをなくしていこうと考えている人たちは、こういう自分たちの「さが」を踏まえたうえで、ものを語ってほしいです
でもこれは、各方面の意見を聞きながら、建設的に改善への余地があると思うのです。
エンブレム問題は、別の意味でいやーな気分にさせられます。
やれ盗作だの、権威との結びつきだの、結局はコネかよ、だの
今回白紙になった時の反応に、私はいささかびっくりしております。
「ネットの発達により、盗作かどうかなど、情報が明るみに出るようになった。これはよい傾向だ。」 はあ????
佐野氏のデザインの、膨大な数の実例が公開されました。剽窃と言ってよいものがいくつもあることも分かりました。
今回の一連の流れを見ている世界中のすべてのデザイナーの皆様は、これを見てどう思ったでしょうか?
私自身はデザインは全く疎く、非常に弱いジャンルです、が、想像はできます。
全てオリジナルのデザインなんて、一体どこに存在するのか
物を作る人たちには、独創性が求められます。しかし独創はすべて、真似から始まり、脱却という道をたどるもの
ピカソなどがそのよい例でしょう
そして、独創的ならば何でもよいというわけではない
よいか悪いかがすべてです
現在、当のネットでわめきまくっていた人たちに、わずかな困惑がうかがえます。「ネットの勝利?え?」と
だって、結局やっていた気持ちのベクトルは、単なるいじめに過ぎなかったこと、本人たちも自覚していたからでしょう
今回の件でネット書き込みの人たちが血眼になってやっていたことは、紛糾、なんて言いながらその実、集団いじめの快感に、人生で二度と得がたいほどのエクスタシーを求めている行為そのものだったのです
で、白紙になった後のインタビューに答える人たちは予想通り
「もう少し日本的な主張の見られるデザインに」
「絶対にパクリと言われないような、複雑なものに」
…
もう、みんなが納得するようなデザインなど、出てこないと、私は思います。
時には、「決まったのだから、はいはいとしたがう。盲目的に従う」
ことも大事だということも、私たちは学ばないといけません。
こんな日本の醜い実態を見ていながら、「いじめ撲滅」なんてよく言えたものだ
世界に冠たるいじめ大国日本。
いじめをなくしていこうと考えている人たちは、こういう自分たちの「さが」を踏まえたうえで、ものを語ってほしいです