年越しで、韓国のことを述べてきました。
慰安婦政策の汚さは腹立たしいばかりですが、早く韓国が政治家と癒着したマスコミの罠に気付き、国民が数十年にわたって教科書という形で洗脳されていたことに気付いてほしい限りです。
北朝鮮も大変なことになっています。
もう最近、きな臭い話ばかりで本当に辟易してしまいそうです。
日本では相変わらず、やれ9条を守れ、憲法改悪反対と騒ぐ左派と、
「ネトウヨ」と呼ばれる、まあ言ってみれば幸福の科学がマニュフェスト(もうこれも死語か)で言っていることをそのまま主張しているような
いかれた極端な「言葉アレルギー」たちの罵り合いが続いています。
かつて私は「君が代」についてかなり述べてきたつもりですが、最近では大学にまで歌うことを義務付けようとしたり、幼稚園でも指導しましょうとか
(あんなもん指導といったって、歌を聴かせるぐらいで十分です、今の西洋化された幼稚園児の耳には)
そうこうするうちに森友学園みたいな極端なことやるところも出てきたり。
教育勅語 悪くないけど、現状では唱えさせるべきものではないと私は感じています。
私が育った時代、社会の教科書には、日本国憲法、大日本帝国憲法の両方が社会の教科書や資料集に載っていました。両方を比べ、それぞれの時代の考え方を知りましょう、ということで、よい資料だったと思います。
大日本帝国憲法にも、その時目指すべき国の指針が示されていました。その当時、悪意などなかったのです。
教育勅語も、そういう扱いで教材化するのならば、問題はないと思います。ただし最低限その程度の教養がある教師が扱わなければなりませんけどね。
私は、今、日本が結構危険なところにさらされようとしているのではないかと心配しています。
幕末に似ているのではないか、と。
こう言っちゃあなんだが、ちまちましたことで声を荒げ合っているような場合なのか、小さい問題ももちろん大事だが、
問題の大きさ、扱いの重要さを見失っては、国は滅びる。
今回、論も整頓できないのに記事を立ち上げたのは、薬丸さんの「怒り」が、思いもかけず心に響いてしまったからです。
「薬丸裕英 北朝鮮の脅威をめぐり政治家に怒り「まず国民を守れ」」
http://news.livedoor.com/article/detail/12783805/
薬丸さんも、決して右派でも左派でもないということは、皆さん周知のことだと思います。
もしかして諸外国では一触即発かもしれないのに、日本は本当にこれでいいのか
そういう「大局」を、政治家の皆さんは見据えているのですか?ということです。
政治家の方々は、「今後は避難訓練も視野に入れて云々」と言葉を濁していましたが、何じゃそりゃ?です。
それは戦時中、空襲が続いているというのに「今度飛行機が来たらですな、皆さん、このように竹やりをついて…」と全く同じじゃありませんか?
70年以上たって、何の進歩もしていない。
日本は、平和な国です。
それがこの憲法9条によって守られてきたからだということは間違いありません。
何世代にもわたり、「戦争を起こさない平和主義で、私たちは安心して生きている。願わくば世界中の人々が、武力によらないつながりの中で、わかりあい、分かち合い、真の幸せを求めあって生きていきたい。日本人は、その思いを広めるために世界中に発信し、努力していこうではないか。」の理念でやってきました。
間違っていないと思います。
私は父母から戦争の体験を生々しく聞いて育ちました。
父は空襲から逃げる際、隣を走っていた同級生が爆弾を受けて砕け散っていくのを目の当たりにしながら逃げたと聞きます。
もう二度とあんなのは嫌だ、と、時代の愚かさとともに語ってくれたものです。
私たちは、戦争を知らない子供たち でもすぐ前の世代が戦争体験世代
9条のありがたみを知らないはずないじゃありませんか。
だけど、そればかり言っていれば平和か、というのは、まったく別の議論でしょ?そんなこと中学生でもわかる話なのに。
250年以上続いた江戸幕府末期。日本は、鎖国政策によって海外の影響を最小限にして、身分制度、宗教弾圧などの課題は抱えたものの、太平の世の中のシステムを作り出しました。
それ以前の150年以上にわたる荒れ果てた戦国の世の中がついに終わり、徳川幕府は、平和な世の中を作り出しました。
人々も、いつ終わるとも知れない殺伐とした世からようやく解放され、平和な暮らしに感謝しながら生きてきたのです。
黒船がやってきて国交を迫った時、日本中が抱いた不安は計り知れません。
「これは非常にやばいんじゃないのか」
「国交を迫っているだと」
「何を言っている?鎖国をしているからこそ我が国は平和なのだ。250年以上この政権が維持していることがその証明」
「何があろうが、国の政策を変えてはなりませんぞ」
「そうだそうだ。また戦国の、あの地獄の時代を迎えろというのか。おんな子どもをいくさに巻き込まない。それが幕藩体制の宝であろうが。」
しかし大局は、世界は、そういう情勢では対応しきれないところに来ていたわけで、国内でいろんな藩が小さいことでもめる中
坂本龍馬のような人たちが、そんなことしている場合ではない、と動き、また、時代は前後しますが、井伊直弼のような人が、「私が動かなければ国は亡びる」と動き、
日本は大きな危機をとりあえず乗り切ったという過去があります。
なんか、似てるでしょ?
薬丸さんではないですが、私たちの将来にわたるくらしのために、また、未来の日本人のために、
私たちはとりあえず、国を守るべきです。
話し合い、もちろん大事です。
しかし、隣の韓国でさえ、話し合いのばかばかしさを露呈して日本を挑発しているご時世です。
国のトップの人たちが、本当に国を愛するのならば、まずは古い言葉ですが、「国体の維持」をもう一度真剣に議論すべきだと思います。
ものすごくつらい話ではありますが、将来、私たち、または私たちの子孫が、再び戦場に駆り出される時代やってくる可能性を
考えなければなりません。しかしその頃は、いわゆる私たちが見ている、武器で敵陣に突っ込むような、
そういうたぐいの「戦争」ではなくなっている可能性があります。
「第三次世界大戦?もう始まっているよ。日本も十分参加しているじゃないか」という人もいます。
最後は取り留めもなくなってしまいました。すみません。
私には家族があり、戦場になど出したくありません。しかしその方法が、「日本には9条がある」と叫んでいればよいとはどうしても思えないのです。
また、海外の人から見れば、「自分の家族さえ戦場に出なければよい」という主張にしか聞こえないと思います。
そうです。世界的な説得力に欠けているのです。
慰安婦政策の汚さは腹立たしいばかりですが、早く韓国が政治家と癒着したマスコミの罠に気付き、国民が数十年にわたって教科書という形で洗脳されていたことに気付いてほしい限りです。
北朝鮮も大変なことになっています。
もう最近、きな臭い話ばかりで本当に辟易してしまいそうです。
日本では相変わらず、やれ9条を守れ、憲法改悪反対と騒ぐ左派と、
「ネトウヨ」と呼ばれる、まあ言ってみれば幸福の科学がマニュフェスト(もうこれも死語か)で言っていることをそのまま主張しているような
いかれた極端な「言葉アレルギー」たちの罵り合いが続いています。
かつて私は「君が代」についてかなり述べてきたつもりですが、最近では大学にまで歌うことを義務付けようとしたり、幼稚園でも指導しましょうとか
(あんなもん指導といったって、歌を聴かせるぐらいで十分です、今の西洋化された幼稚園児の耳には)
そうこうするうちに森友学園みたいな極端なことやるところも出てきたり。
教育勅語 悪くないけど、現状では唱えさせるべきものではないと私は感じています。
私が育った時代、社会の教科書には、日本国憲法、大日本帝国憲法の両方が社会の教科書や資料集に載っていました。両方を比べ、それぞれの時代の考え方を知りましょう、ということで、よい資料だったと思います。
大日本帝国憲法にも、その時目指すべき国の指針が示されていました。その当時、悪意などなかったのです。
教育勅語も、そういう扱いで教材化するのならば、問題はないと思います。ただし最低限その程度の教養がある教師が扱わなければなりませんけどね。
私は、今、日本が結構危険なところにさらされようとしているのではないかと心配しています。
幕末に似ているのではないか、と。
こう言っちゃあなんだが、ちまちましたことで声を荒げ合っているような場合なのか、小さい問題ももちろん大事だが、
問題の大きさ、扱いの重要さを見失っては、国は滅びる。
今回、論も整頓できないのに記事を立ち上げたのは、薬丸さんの「怒り」が、思いもかけず心に響いてしまったからです。
「薬丸裕英 北朝鮮の脅威をめぐり政治家に怒り「まず国民を守れ」」
http://news.livedoor.com/article/detail/12783805/
薬丸さんも、決して右派でも左派でもないということは、皆さん周知のことだと思います。
もしかして諸外国では一触即発かもしれないのに、日本は本当にこれでいいのか
そういう「大局」を、政治家の皆さんは見据えているのですか?ということです。
政治家の方々は、「今後は避難訓練も視野に入れて云々」と言葉を濁していましたが、何じゃそりゃ?です。
それは戦時中、空襲が続いているというのに「今度飛行機が来たらですな、皆さん、このように竹やりをついて…」と全く同じじゃありませんか?
70年以上たって、何の進歩もしていない。
日本は、平和な国です。
それがこの憲法9条によって守られてきたからだということは間違いありません。
何世代にもわたり、「戦争を起こさない平和主義で、私たちは安心して生きている。願わくば世界中の人々が、武力によらないつながりの中で、わかりあい、分かち合い、真の幸せを求めあって生きていきたい。日本人は、その思いを広めるために世界中に発信し、努力していこうではないか。」の理念でやってきました。
間違っていないと思います。
私は父母から戦争の体験を生々しく聞いて育ちました。
父は空襲から逃げる際、隣を走っていた同級生が爆弾を受けて砕け散っていくのを目の当たりにしながら逃げたと聞きます。
もう二度とあんなのは嫌だ、と、時代の愚かさとともに語ってくれたものです。
私たちは、戦争を知らない子供たち でもすぐ前の世代が戦争体験世代
9条のありがたみを知らないはずないじゃありませんか。
だけど、そればかり言っていれば平和か、というのは、まったく別の議論でしょ?そんなこと中学生でもわかる話なのに。
250年以上続いた江戸幕府末期。日本は、鎖国政策によって海外の影響を最小限にして、身分制度、宗教弾圧などの課題は抱えたものの、太平の世の中のシステムを作り出しました。
それ以前の150年以上にわたる荒れ果てた戦国の世の中がついに終わり、徳川幕府は、平和な世の中を作り出しました。
人々も、いつ終わるとも知れない殺伐とした世からようやく解放され、平和な暮らしに感謝しながら生きてきたのです。
黒船がやってきて国交を迫った時、日本中が抱いた不安は計り知れません。
「これは非常にやばいんじゃないのか」
「国交を迫っているだと」
「何を言っている?鎖国をしているからこそ我が国は平和なのだ。250年以上この政権が維持していることがその証明」
「何があろうが、国の政策を変えてはなりませんぞ」
「そうだそうだ。また戦国の、あの地獄の時代を迎えろというのか。おんな子どもをいくさに巻き込まない。それが幕藩体制の宝であろうが。」
しかし大局は、世界は、そういう情勢では対応しきれないところに来ていたわけで、国内でいろんな藩が小さいことでもめる中
坂本龍馬のような人たちが、そんなことしている場合ではない、と動き、また、時代は前後しますが、井伊直弼のような人が、「私が動かなければ国は亡びる」と動き、
日本は大きな危機をとりあえず乗り切ったという過去があります。
なんか、似てるでしょ?
薬丸さんではないですが、私たちの将来にわたるくらしのために、また、未来の日本人のために、
私たちはとりあえず、国を守るべきです。
話し合い、もちろん大事です。
しかし、隣の韓国でさえ、話し合いのばかばかしさを露呈して日本を挑発しているご時世です。
国のトップの人たちが、本当に国を愛するのならば、まずは古い言葉ですが、「国体の維持」をもう一度真剣に議論すべきだと思います。
ものすごくつらい話ではありますが、将来、私たち、または私たちの子孫が、再び戦場に駆り出される時代やってくる可能性を
考えなければなりません。しかしその頃は、いわゆる私たちが見ている、武器で敵陣に突っ込むような、
そういうたぐいの「戦争」ではなくなっている可能性があります。
「第三次世界大戦?もう始まっているよ。日本も十分参加しているじゃないか」という人もいます。
最後は取り留めもなくなってしまいました。すみません。
私には家族があり、戦場になど出したくありません。しかしその方法が、「日本には9条がある」と叫んでいればよいとはどうしても思えないのです。
また、海外の人から見れば、「自分の家族さえ戦場に出なければよい」という主張にしか聞こえないと思います。
そうです。世界的な説得力に欠けているのです。