4月8日という日は、いろいろある日なのですね。
お釈迦様の誕生日だし、AKBにとっても記念すべき日
でも忘れてならないのは、私たちの世代にとっては、故、岡田有希子さんです。
タイトル、意味不明ですよね?すみません。
麻生香太郎さん、作詞家(SEYMOURのセカンドネームを持つ)、作家、評論家。
先月亡くなられましたね。
私は図らずも学生時代、松田聖子さんなどというアイドルにドハマってしまったため、
音楽とアイドルについて、いつも考えさせられたものでした。
自分はなぜ、「アイドルなんて音楽を壊すだけのものだ」と、ルックスに惑わされず、音楽だけを追求しようとしていたのに
アイドルに(ほぼ聖子さん)滅茶苦茶はまってしまったのか
そんなころに出会った本が、麻生さんの本
『ガキ主役産業の手帖 芸能界の「発想」から「経済ヒント」まで』(情報センター出版局、1986年)
でした。
私の中の、もやもやとしていた思いを、いろいろすっきりさせてくれる、バイブルのような本でした。
10年ほど前に私がこのブログで聖子さんについていろいろ述べてきましたが、
麻生さんのこの本の理論でわかったことを基に書いているところがいくつもあります。
この(1986年)直後ですよ。テレビで、いかにも時代を先取りしたかのような「ギョーカイ君」を扱った、業界物のドラマが一世を風靡したのは。
麻生さんのこの本が起爆剤になったに違いないと私は確信しております。
本の中で、「業界の中で生きる作詞家の不健康な生活」が自虐的に述べられています。
わずか65歳のご生涯。ずいぶん無理をされてきたのではないかと思います。遅ればせながらご冥福をお祈りいたします。
さて
この本の終わりのあたりに、岡田有希子さんのことがわずかに述べられているのです。1986年刊行ですから。
私のかすかな記憶ですが、麻生さんは次のように述べられています。
岡田さんが亡くなったことに対し、いろんな憶測が流れている。
しばらくは大騒ぎだろう。残酷だが、いずれ騒ぎは収まり、また業界では同じようにアイドルが量産されていくのだろう
そして我々はこれからも粛々と作詞をしていく…
業界仲間と一杯やりながら、麻生さんは仲間からこう言われたのです。
「なあ。俺たちのせいだとは思わないか?」
ちなみに麻生さんは一切岡田さんとは仕事をしていなかったので、
「そんなもん誰のせいともいえない」と言いかけ麻生さんを制し、友人は、
「じゃあ、なぜ岡田は死んだんだ?〇〇さんはなぜ死んだ?(ほかにもこの時期、デビューを控えて自殺された方がいたのです)」
…という一節。でも実はこれ、本当は「友人側」の言葉を言ったのが麻生さんだったと思われるのです。
業界の事情を多少とも知っていて携わる者が、この事件に何も教訓を得ようとしていないことに激しい怒りをぶつけていらっしゃいました。
芸能界は汚いところだ
誰もが知ったかのように(私を含めて)言います。
でもそれは必要悪であったり、デマも含まれていたり
そしてお互いに、やばそうなところは本当に「見ないまま」お互いに生活をしている
麻生さんは、大真面目で一本気だった岡田さんの死に、「このままではいけない」と強い警鐘を鳴らしたくて、
この本の発行を決心されたように、この歳になると思います。
その、ある意味歴史の生き証人が、また一人亡くなられたのです。
申し訳ありませんが私はそれ以後の麻生さんの著書は読んでおりません。
でもその後の雑誌記事などを見るに付け、おそらく一貫して、主張しようとしていることは似ているたでしょう。
一方私ですが
私も有希子さんに近い世代の者として、彼女の事件の一報を聞いた時、不思議にも、「ありうる」と思ってしまったものです。
当時から私も、彼女の馬鹿真面目さ、一本気なところは知らされていました。
松田聖子さんのラジオ番組「夢で逢えたら」の、いくつか後の番組を岡田さんが受け持っていたように覚えています。(「ちょっとおあずけ」だったのかな?やっぱり)
数回しか聞いていないのですが、そのうちの1,2回
放送事故としか思えないようなトークがあったのです。
すごく憂鬱に思い詰めているような暗いトーク。言葉も絞り出すようにちょっとずつ。
確か投書に対してのコメントだったのに
尋常とは思えませんでしたが、その回は放送されました。
もう1回ほど、それに近いトーンの時があって、テレビで見るニコニコした彼女からは考えられないような瞬間を時々感じていました。
訃報は、そのだいぶ後のことだったのですが、「そういう人だったのかもしれない、ご両親が芸能界行きを反対していたのも、何かを感じていたからかもしれない」
と、私などは勘ぐってしまうのです。
もう、あんな悲しい出来事は、ごめんです。
そうでないと、有希子さんも浮かばれません。
あれから30年以上たちました。芸能界も少しは改善されたのでしょうか?
お釈迦様の誕生日だし、AKBにとっても記念すべき日
でも忘れてならないのは、私たちの世代にとっては、故、岡田有希子さんです。
タイトル、意味不明ですよね?すみません。
麻生香太郎さん、作詞家(SEYMOURのセカンドネームを持つ)、作家、評論家。
先月亡くなられましたね。
私は図らずも学生時代、松田聖子さんなどというアイドルにドハマってしまったため、
音楽とアイドルについて、いつも考えさせられたものでした。
自分はなぜ、「アイドルなんて音楽を壊すだけのものだ」と、ルックスに惑わされず、音楽だけを追求しようとしていたのに
アイドルに(ほぼ聖子さん)滅茶苦茶はまってしまったのか
そんなころに出会った本が、麻生さんの本
『ガキ主役産業の手帖 芸能界の「発想」から「経済ヒント」まで』(情報センター出版局、1986年)
でした。
私の中の、もやもやとしていた思いを、いろいろすっきりさせてくれる、バイブルのような本でした。
10年ほど前に私がこのブログで聖子さんについていろいろ述べてきましたが、
麻生さんのこの本の理論でわかったことを基に書いているところがいくつもあります。
この(1986年)直後ですよ。テレビで、いかにも時代を先取りしたかのような「ギョーカイ君」を扱った、業界物のドラマが一世を風靡したのは。
麻生さんのこの本が起爆剤になったに違いないと私は確信しております。
本の中で、「業界の中で生きる作詞家の不健康な生活」が自虐的に述べられています。
わずか65歳のご生涯。ずいぶん無理をされてきたのではないかと思います。遅ればせながらご冥福をお祈りいたします。
さて
この本の終わりのあたりに、岡田有希子さんのことがわずかに述べられているのです。1986年刊行ですから。
私のかすかな記憶ですが、麻生さんは次のように述べられています。
岡田さんが亡くなったことに対し、いろんな憶測が流れている。
しばらくは大騒ぎだろう。残酷だが、いずれ騒ぎは収まり、また業界では同じようにアイドルが量産されていくのだろう
そして我々はこれからも粛々と作詞をしていく…
業界仲間と一杯やりながら、麻生さんは仲間からこう言われたのです。
「なあ。俺たちのせいだとは思わないか?」
ちなみに麻生さんは一切岡田さんとは仕事をしていなかったので、
「そんなもん誰のせいともいえない」と言いかけ麻生さんを制し、友人は、
「じゃあ、なぜ岡田は死んだんだ?〇〇さんはなぜ死んだ?(ほかにもこの時期、デビューを控えて自殺された方がいたのです)」
…という一節。でも実はこれ、本当は「友人側」の言葉を言ったのが麻生さんだったと思われるのです。
業界の事情を多少とも知っていて携わる者が、この事件に何も教訓を得ようとしていないことに激しい怒りをぶつけていらっしゃいました。
芸能界は汚いところだ
誰もが知ったかのように(私を含めて)言います。
でもそれは必要悪であったり、デマも含まれていたり
そしてお互いに、やばそうなところは本当に「見ないまま」お互いに生活をしている
麻生さんは、大真面目で一本気だった岡田さんの死に、「このままではいけない」と強い警鐘を鳴らしたくて、
この本の発行を決心されたように、この歳になると思います。
その、ある意味歴史の生き証人が、また一人亡くなられたのです。
申し訳ありませんが私はそれ以後の麻生さんの著書は読んでおりません。
でもその後の雑誌記事などを見るに付け、おそらく一貫して、主張しようとしていることは似ているたでしょう。
一方私ですが
私も有希子さんに近い世代の者として、彼女の事件の一報を聞いた時、不思議にも、「ありうる」と思ってしまったものです。
当時から私も、彼女の馬鹿真面目さ、一本気なところは知らされていました。
松田聖子さんのラジオ番組「夢で逢えたら」の、いくつか後の番組を岡田さんが受け持っていたように覚えています。(「ちょっとおあずけ」だったのかな?やっぱり)
数回しか聞いていないのですが、そのうちの1,2回
放送事故としか思えないようなトークがあったのです。
すごく憂鬱に思い詰めているような暗いトーク。言葉も絞り出すようにちょっとずつ。
確か投書に対してのコメントだったのに
尋常とは思えませんでしたが、その回は放送されました。
もう1回ほど、それに近いトーンの時があって、テレビで見るニコニコした彼女からは考えられないような瞬間を時々感じていました。
訃報は、そのだいぶ後のことだったのですが、「そういう人だったのかもしれない、ご両親が芸能界行きを反対していたのも、何かを感じていたからかもしれない」
と、私などは勘ぐってしまうのです。
もう、あんな悲しい出来事は、ごめんです。
そうでないと、有希子さんも浮かばれません。
あれから30年以上たちました。芸能界も少しは改善されたのでしょうか?