今朝、ケアマネージャーが来て夫と天候の話などしていた。
「あの日は今日のような濃霧の日、僕は12歳・中学1年だった」
よほど印象深かったのだろう。私も紫雲丸の話は度々聞かされる。
1955年5月11日高松と宇野の連絡船の海難事故、私の記憶にもある。
その日の小豆島は午前中、汽笛が鳴りっぱなしだったそうだ。
168名の死者、数校の小学校の修学旅行生が大半を占めていた。
実際に死体を見たわけではないけれど島中大騒ぎだったとか。
「私の生前の話です」マネージャがヘェという顔で応じていた。
もう知らない人も多い昔の話。しかし夫にはつい昨日の事?
「あの日は今日のような濃霧の日、僕は12歳・中学1年だった」
よほど印象深かったのだろう。私も紫雲丸の話は度々聞かされる。
1955年5月11日高松と宇野の連絡船の海難事故、私の記憶にもある。
その日の小豆島は午前中、汽笛が鳴りっぱなしだったそうだ。
168名の死者、数校の小学校の修学旅行生が大半を占めていた。
実際に死体を見たわけではないけれど島中大騒ぎだったとか。
「私の生前の話です」マネージャがヘェという顔で応じていた。
もう知らない人も多い昔の話。しかし夫にはつい昨日の事?
悲惨な事故だったようですね。
いくつで亡くなっても家族にとっては悲しいですが、
小中学生となれば なおさら胸が痛みます。
それも楽しいはずの修学旅行中・・・本当に悲しい事故ですね。
旦那さんにとっては身近な場所で とても印象に残る大きな事故だったんでしょう。
昨日のことのように・・・というのがよくわかります。
でも夫とは立場が違うから記憶は薄らいでいました。
夫が毎年、今の時期になると当時の事を述べます。
思い出以上に色々と考えさせられます。
今は親の立場で悲しさ無念さ悔しさを感じています。
忘れてはならない事故でしょうね。
ももさんんもまだ生まれていなかったのでは?