森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

Penfieldのホムンクルスの取り扱い

2007年11月04日 23時58分07秒 | 過去ログ


昨日の朝5時のバスで小倉から福岡空港へ。
福岡空港出発が20分ほど遅れ、トランジットの羽田では、1kmをダッシュ。
ダッシュしているときに、佐賀から北海道の学会まで、私の講演を聴講するという、セラピストの方に、呼び止められた。
何人かで、ダッシュした。
出発三分前に乗り込み、久しぶりに運動した自覚がわいた。
しかし、高齢者にはどうするのだろう。

学会場に行くと、森先生と大橋先生とご挨拶。
森先生とはオランダ・マーストリヒトでの国際姿勢歩行学会以来であるが、
覚えていただいていた。
歩行の神経機構の世界的な第一人者である。

先生のご講演は、Penfieldのホムンクルスの功罪からスタートした。
ホムンクルスが一人歩きし、きちんと原著が読まれていないことを指摘。
個人の注意機能によって、大きく神経活動が違っていたことを書かれているという。

これを無視したことによって、歩行運動には大脳皮質が関与しないとの解釈が生まれたという。
つまり、歩行はCPGのみで制御するという流れである。
これは大きな間違いであることを指摘し、歩行には高次脳機能が大きく関与することをまず報告された。
その際、歩行運動の制御や学習には注意の集中が極めて重要であることも付記された。

「脳がからだをつくるのか」
「からだが脳をつくるのか」

依然としてその回答は得られていないが、マクリーンの3層構造の意味について紹介された。

いずれにしても、環境との相互作用であると提言された。

類人猿から人類への進化は、多運動分節からの感覚情報を動環境に対抗する知性に変えてきた感覚運動情報の統合であり、言語と歩行の学習は同じであることを指摘され、からだの記憶(内的世界)と環境の記憶(外的世界)の統合が知を創発し、歩行の獲得もそうであると研究成果から根拠を示された。

環境-中枢神経系(脳)-筋骨格系(からだ)が双方向に相互作用し、それを媒介するのがエクササイズであり、セラピストであることを断言された。

リハの介入はその経験を作ることであり、そこから失われた機能の回復が起こるのだと仮説を述べられた。
そして、その内的世界は修正し、updateする、それが知になると。

私たちの介入理論とほぼマッチし、勇気をもらった。

人の一生は脳のなかに刻み込まれ、修正は生涯続くとし、エイジング研究の期待を付記された。

使わないところにも意味がある。
前頭葉だけでなく、辺縁系にも意味がある。
老いて賢くなる脳に関する仮説は、今の私の仮説とほぼ似ていた。

いずれにしても、ホムンクルスの呪縛から抜け出ないといけない。
いつまでたっても歩行分析・解析が、運動学、運動力学の視点だけでな足りない。
それは1980年代までの知識だと、強くおっしゃられた。

歩行運動と高次脳機能(SMAの機能を大変重視されていた)の因果関係の科学の進歩に見合った、セラピストの歩行分析に翻訳してもらいたいものだ。

今日はシンポで同じ壇上に上がったが、最後に森先生は今のEBMの方向性を痛烈に批判され、脳科学(経験の意味、経験科学の意味)の意味を伝えられた。

私も伊藤正男先生からいただいたEBMよりhypothesis guided researchの重要性を追記し、臨床(経験科学&思考過程)が科学の最前線であるといい、科学することは思考することであると言わせていただいた。

最先端と最前線は違う。
最前線の臨床家の知性がもっとも重要だし、それが科学を改変させる。
すなわち、最先端を変えるのである。

最後に昼食のとき、現在のノーベル医学・生理学賞の流れが分子神経科学一辺倒であることを残念がられたが、ご自身のご尽力などもあってか、システム神経科学(ヒト)が見直され、そちらに人材が多くなれば、また科学の方向も変わるであろうと、今後の期待を述べられた。

私の忙しさにも触れていただき(神経科学者に知っていただいているということはうれしい限りである)、 45年脳の研究をされてきたが、そのスポットがあたったのは、ほんのわずかであったといわれ、そのときを大切にしなさいと、励ましていただいた。

今は、高齢者の脳の構造・機能について探求されている。
前頭葉は大きく萎縮するが、海馬や扁桃体は高齢であっても、元気なものは萎縮していないことを、楽しそうに話された。

その傍ら、四国88箇所めぐりをされているという。
北海道に帰郷されたのは、ご自身の子どものころの体感した自然だという。
そのからだの記憶が、感情をつくる。
そして、絵画を見て、脳を科学するという視点は、文化をとても大事にしている。

神経科学者の多くは、文化と自然について、考えている。
それが自らの脳をはぐくみ、ゆたかにしてきたという、自分自身の経験から、そう考えているのだろう。

私の上司の金子学部長のPCの壁紙は、ラファエロの確か、ベルヴェデーレの聖母だったと思う。


私の講演は60点ぐらいだったが、森茂美先生と時間を共有できたことが、何よりも喜びだ。


この2年間、様々な有識者の方々とお話ができ、updateな自分に遭遇できる。
狭い枠組みの中だけで今もなお生きていたら、こんな自分には出会えていない。
いろんな出会いが人のこころを新たな水準へemergenceさせる。


札幌医大の小塚先生に冬用タイヤにはきかえた車で、わざわざ空港まで送っていただいた(感謝します)。

もう紅葉もすぎ、枯れ木な北海道であった。