森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

アンサンブルとしての日本

2011年04月01日 08時08分55秒 | 脳講座
年度が始まり,すがすがしい季節になりました.3月,4月は日本人にとって特別な季節のような気がします.欧米では学校は9月始まりのところが多く,彼ら彼女らと私たち日本人の持つこの3月,4月はおそらく違った一人称の感覚を持っているでしょう.いや,それは一人称ではなく,日本人固有のこの季節感覚だと思います.「春」という言葉に心晴れやかに,そして心すがすがしく,そして心飛び跳ねるような,と比喩表現がいくつも浮かんできます.それだけ,日本人にとって「春」は特別なものです.私は教職についていることから,この春はまた特別な存在です.先日,ある中学校の卒業式を見て,教師という仕事は実によい仕事だと思った次第です.別れがあり出会いがある,それが3月と4月に確実に.そして,教え育むという行為は,物理的・物質的関係でなく,人との関係でしかうまれないし,意図的な行為を介してでしか表現できないものです.我々の身体は物質でしかないのですが,身体と脳が関係しあうことで,物質を超えた生命になるのだと思います.それに息吹を送り込むのが,意図的な関係なのでしょう.この意図的な関係は,一方向の刺激システムでは生まれません.互いに求めあい協調し合い,そして,協調し合うことでエマージェンス現象が起こり,新しい関係性に導かれる,そんな連関性です.だからこそ,教師-学生・生徒の関係は特別なものなのかもしれません.恩師のことばが心に響くということは刺激でなく,自らがそれを求めていたから,そう感じるのです.

さて,私も3月31日で社会に出て20年が経過し,21年目に突入しました.親元を離れて20年が過ぎたといってもよいでしょう.一人立ちしているかはいささか疑問で,周囲に支えられて生きてきましたが,ここ最近,支えられるというよりは支える方が多くなり,自分の役割の変化を感じつつ,これからは,自分のために生きる,あるいは周囲だけのために生きるのではなく,社会に貢献していくべき年なのだと実感している次第です.反面,自分自身をさらなるステージに上げたいという欲求もまだ持っています.それは「地位」「名誉」ではなく,知的好奇心であり,ある程度「脳」について理解をしてきましたので,「もう少し」で光が見えそうなのです.何が見えるかはわかりませんが,なんかそうなのです.私にしかわかりえないこの感覚です.だからこそ,そのなにかをわかるために,一度,リセットし,旅に出てみたい気持ちにもなります.肉体的,精神的には45歳までかなと思いつつ,マズローの第6欲求の社会コミュニティ発展の欲求と自己実現の欲求が私の脳内で往来しているのです.

一方,書きたい脳と書けない脳もいつも往来しています.本年度5月には「脳を学ぶ(3)-音楽家との対談(協同医書出版社)」が出版されます.人の社会にとって,音楽は欠かせない道具です.音楽がなくても生物学的なヒトは生きていくことができますが,果たして,社会学的な人は存在しているでしょうか.そのようなことを考える本になっています.音楽家が音楽家として存在するという意味,そして,人にとってリズムを生み出すとは?そのようなことを考え,音楽(道具)と脳を関係を紐解きながら,人の生活を豊かにするためにはを考えるきっかけになる本になればと思います.毎回,このシリーズは文章だけでなく,他の媒体を通じて学ぶ手続きを施しています.1作目はクラフト工作,2作目は写真家による写真,そして本作は音楽家によるCDです.アンサンブルとは「~一緒に」「揃い,全体という意味です.この時世だからこそ,「~一緒に」という言葉がとても重要な意味を持つのかもしれません.日本国民が一緒になり,そしてアンサンブルし,この戦争以来の危機と表現される時世を前向きに歩んでいかなければならないのかもしれません.若い力には,そのエネルギーとなってもらいたいと思います.被災地に「音楽」が届き,鳴り響くようになるには,もうしばらくかかるかもしれませんが,その時には,心跳ねるような脳の来歴の変化が生まれるのかもしれません.