人間は他者と共存しながら生きている。それは家族を持たない個人であっても自分自身が生きていくために他者と関係していく人間社会の構造を意味する。労働をして賃金を得て生活をするシステムもその人間社会の構造である。現代の人間社会は、たとえ労働を失っても他者から援助されることで生きるという選択をしたようにも思える。一人でサバイバルに狩猟して生きるという選択を現代の人間はしなかったのである。
僕は、今のこの段階では、人間がどうして歩行を獲得し始めたか、諸説ある中、手で食料を持ち運搬するためである説を支持したい。鳥や他の哺乳動物でみられる口で運ぶよりも手で運ぶという手段は絶対的に効率がよい。つまり、運搬は手段であり、目的は生存である。これは自己の生存という視点だけでなく、他者の生存も含んだ種の保存のためである。
下等な哺乳動物では、獲物を得てその場で飢えをしのいでいた。しかし、高等な哺乳動物は獲物を得ても、その場かつ自分だけ餌にありつき飢えをしのぐという行為を選択しないように進化した。この選択は、食料は季節や天候に大きく左右されることを学習し、将来を予測し、その予測に基づいて現在進行形の行動を制御するといった脳のシミュレーション機能の発達だけでなく、食料を分け合い互いに生き延びるという意識が生まれたものによると考える。
すなわち、前者の未来展望は自己が生き延びるための利己的な意識、後者は自己のみならず、関係する他者の生存を意識した利他的な意識の生起である。労働し賃金を稼ぎ、その賃金を食料に変え生きるといった当たり前のこの行動ももとをたどればこの利己的意識と利他的意識から生まれたものである。
僕は、今のこの段階では、人間がどうして歩行を獲得し始めたか、諸説ある中、手で食料を持ち運搬するためである説を支持したい。鳥や他の哺乳動物でみられる口で運ぶよりも手で運ぶという手段は絶対的に効率がよい。つまり、運搬は手段であり、目的は生存である。これは自己の生存という視点だけでなく、他者の生存も含んだ種の保存のためである。
下等な哺乳動物では、獲物を得てその場で飢えをしのいでいた。しかし、高等な哺乳動物は獲物を得ても、その場かつ自分だけ餌にありつき飢えをしのぐという行為を選択しないように進化した。この選択は、食料は季節や天候に大きく左右されることを学習し、将来を予測し、その予測に基づいて現在進行形の行動を制御するといった脳のシミュレーション機能の発達だけでなく、食料を分け合い互いに生き延びるという意識が生まれたものによると考える。
すなわち、前者の未来展望は自己が生き延びるための利己的な意識、後者は自己のみならず、関係する他者の生存を意識した利他的な意識の生起である。労働し賃金を稼ぎ、その賃金を食料に変え生きるといった当たり前のこの行動ももとをたどればこの利己的意識と利他的意識から生まれたものである。