森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

共同注意のあるべき姿

2012年09月10日 09時06分38秒 | 日記
昨日、一昨日と名古屋で日本ペインリハビリテーション学会を無事に開催することができました。
第17回ですが、学会としては第1回であり、正式な船出となりました。

会長の松原氏に始めてあったのは24歳、副会長の沖田氏と初めてあったのは25歳。
その出会いは現在の日本基礎理学療法学会。
当時は理学療法の医学的基礎研究会という名称でした。

理学療法の基盤となる学問体系ができていないということで、
発足した研究会です。
当時は四年制大学もなく、もちろん大学院教育もされていません。
全国から集まってききたメンバーは様々。

私は近森リハビリテーション病院に属していました。
その際、透析患者の運動負荷に関する研究をしており、
エリスロポエチンなどの製剤と運動療法のハイブリットな関係を血液所見から調べていました。
当時は内部障害の研究を推し進めると同時に、
透析専門の医師、看護師と連携のもと訪問にて透析の診療をも行っていました。
当時は、今の診療報酬体制でなく、1日40人以上診療していた合間をぬって、
研究しながらボランティアで患者さんの家まで訪問していました。
CAPD患者(携行型透析)の社会復帰を推し進める上で。
自らそういう体制を発足し、ボランティアとして関わっていた記憶があります。
話がそれてきましたので、またこの話は次回に(近森のメンバーとの関係を話します)。

当時の近森リハのトップは現日本理学療法士協会事務局長の森本栄さん。
彼は兵庫リハにいて、そこで当時、神戸で関係のあった名古屋大学の河上先生が新しい基礎の研究会を発足するから、四国で研究を進めている人間を探している、だからおまえやれ。といわれ、何が何だかわからないまま東京の会合に出た記憶があります。それが第30回の東京学会。
私は透析患者に関する演題を口頭で発表していました。
4年目のときでした。

そこで鮮烈な言葉を発していたのが松原氏です。
あまりの強烈な言葉なので、ここでは封印します。
そのとき、すぐには友達にならなかったのですが、周り回って、
今があります。

一方、沖田氏ともその研究会。
当時は二人とも今より長い髪をふりながら、
若手の勢い任せて発表をしまくっていました。
お互い、髪の長いやつがいるな、という意識でみてたにすぎませんが、
数回の学会を経て、
学会期間は毎晩飲むという仲間になりました。
その二人の関係は、広がり、
つねに飲み会は長崎組と高知組の大宴会になりました。
長崎の片岡、高知の片岡もそれを通じてお互いが意見を出し合う関係になっと記憶をしています。
彼らも今は思考の変化に伴い、お互いがお互いの人生を歩んでいます。

その後、神戸大学助手、長崎大学助手、高知医療学院講師となり、
下積みをしながら、将来は見えないけど、
自分のやるべき研究をやめずにずっとやってきました。
痛みの研究、関節の研究、脳の研究とそれぞれまったく接点を当時は感じていませんでしたが、研究を進め、討議する中で、それを10年ほど続けて、
痛みという現象を解読するためには、一人の個 Whole bodyで捉えないといけないということで、ペインリハビリテーションへと方向性が導き出され、
あの本を作成しました。

現象こそ、私たちが大切にしないといけない情報。
それにくるまで時間がお互いにかかりましたが、
このプロセス、つまり原著を中心にした業績は揺るぎないものになっています。
リサーチを続けてきたからこそ、現象、個人を大切にするという意識が重くなったように思えます。

お互い40代を超え、半ばになりつつあり、
全員大学教授となりました。
ここからがスタートです。
それぞれ自分の立場を活かして、
国を動かすという意識をもってこれから社会的貢献の名の下、仕事をしていくつもりです。

そのためには現在の医師-療法士の関係を変えていかないといけません。
私たちの実績が評価されるよう、社会脳を使いつつ、圧倒的なデータを示し、
そして、教育自体を変えていくことができれば、3人ともあの世で宴会ができると思います。

3人ともまだ夜中まで元気でむちゃくちゃに酒を飲んでますが、
互いに「死ぬなよ」と。
その理由は「困る」とか「まだまだ」でなく、
死んだら「寂しい」と。
その言葉を聞いて、これからの自分の人生を考えようと思いました。

僕にとって、この出会いを作ってくれた、
「森本栄」「河上敬介」両先生に感謝です。

そして、このペインリハ学会を通じて、僕らを介して、新たな出会いが起こりそしてエマ-ジェンスされるべく準備が起こっていると思います。

卒業校も違う、同僚でもない、先輩後輩の関係でもない、恩師-学生の関係でもない、治療メソッドでつながっているわけでない。
痛みをどうするという現象を理解しようとする点でつながっているこの関係が好きです。
大人としての共同注意のあるべき姿だと思っています。