まもなく発売です。「リハビリテーションのための神経生物学入門」です。
ニューロリハビリテーションの基盤となる本という意識(もちろんそれはレビューしています)というよりも、「人間らしさとは何か」という視点から、リハビリテーションのあるべき姿を考える「作品」でもあります。
この原稿を修正、校正し本にはあとがきとして挿入しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/73/36ad3682c62ac79c974b6bdeee501524.jpg)
あとがき
2005年に「リハビリテーションのための脳・神経科学入門」、2006年に「リハビリテーションのための認知神経科学入門」を発刊してからしばらく経過した。本書はその続刊である。この間、特に休暇に入っていたわけでなく、リハビリテーション・セラピストに対して、脳科学を身近に感じてもらいたい意図で「脳を学ぶ」シリーズ(協同医書出版社)を刊行し続けた。さらには、ニューロサイエンスとリハビリテーションの接点を意識とした講演を全国で数多く展開し、それ相応の認知を得た。
それと時を同じくして、世界的に「ニューロリハビリテーション(Neurorehabilitation)」の潮流が起こりはじめた。ニューロリハビリテーションとは、Neuroscience-based rehabilitationの造語であり、文字通り、近年のニューロイメージング研究成果に代表されるニューロサイエンスに基づいた、あるいは連携したリハビリテーション介入を意味する。巷には旧体系な神経障害に対するリハビリテーションと間違って解釈されている面もあるが、そうではなく、ニューロリハビリテーションとは、ニューロサイエンスを基盤にリハビリテーション療法を考案あるいはそれを介入し、その効果を検証する手続きである。したがって、運動器疾患もその対象になることは言うまでもない。現に、運動器疾患や疼痛患者において、ネガティブにもポジティブにも脳の身体地図が変化することが多くの研究によって示されている。2005年当時から比べると、リハビリテーションに脳・神経科学の知見を取り込もうとする動きがかなり盛んになってきたように思える。
一方、脳科学は究極の目的は「人間(人間らしさ)とは何か」という命題を明らかにすることである。ブラックボックスと称された人間の脳。脳科学は少しずつではあるが、人間が持つ脳の機能を明らかにしはじめている。例えば、人間が特異的に持つ複雑な感情や道徳倫理観などといった機能について、ゆっくりではあるが根拠となる成果を脳科学は示してきた。そしてそれは、人間がどのように生まれ、どのように進化してきたかをという文化・人類学の様を時に示す。私たちの祖先が資源を交換し合い、環境の変化に基づく危機を目前にして、他者と協力し合い、そして命をつないできた「共存」という手段、そしてより良く共存するために不可欠であった「法律」の策定、未来永劫、安心に生きて行くための「農耕」の獲得、さらには、共存を効率化させるために生み出した分業システムに伴う「貨幣」の制度化、このような人間独自の文化の形成は、元をたどれば、社会的に種を保存(共存)しようとする「仲間を大切に思う心」がベースにあったわけである。
本質的なリハビリテーションとは、障害のある人間の傷ついた「人間らしく生きる権利」の全体的な回復(全人間的復権)を指し、それは人間としての「権利、資格、名誉の回復」を意味する。全人間的復権、すなわち人間らしさを取り戻す手段、そして一時的な過程がリハビリテーションというわけである。運動麻痺や感覚障害の改善、あるいは基本動作の獲得はその一部を示すにすぎない。本書で示したように、あくまでも一説ではあるが、人間にとっての歩行は、他者と食料を分かち合うために、得た食料を手で運搬するためにとった移動手段である。すなわち、歩行獲得=人間復権ではない。歩行は社会の中で他者と共存するための自らの意図に基づく最適化された移動手段であり、他者との共存を実現させるための一つの道具である。
リハビリテーションとは「人間らしさ」の復権・復興である。すなわち、それは社会の中で他者と共存し、生活を営むことである。「共存する」とは互いに役割を持つということでもあり、たとえ、それぞれの生活において身体的な不自由さがあったとしても、他者や社会にとって自らの役割があれば「人間らしさ」を100%失うことはない。しかしながら、身体的あるいは精神的に不自由が起これば、とたん社会的役割を失ってしまう。だからこそ、身体あるいは精神の機能回復は「人間らしさ」を取り戻すために必要なわけである。
人間とは何かの本質を探る意味でリハビリテーションの概念はとても深い。人間が人間たらしめるための脳機能とはどのようなものか。それを10 章にわたって記述してきたのが本書「リハビリテーションのための神経生物学入門」である。その目次は「私たちはどこから来たのか?」から始まり、「私たちはどこへ行くのか?」で終わる。このフレーズはもちろんポール・ゴーギャンの絵画からの引用である。ポール・ゴーギャンは「我々はどこから来たのか? 我々は何者か? 我々はどこへ行くのか?(D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?)」と名付けた1枚の絵画に人間の「誕生」「成熟」「終焉」の三様の人物群像を描いている。人間は生物である。だから、生まれ死に行く。人間は「身体-脳」を持った生物である。人間はいわゆる生身の肉体と脳をつなぐ神経を持つことで、発達・成熟し、自己意識を生み出す。そして、自己意識とともに情動をより社会的に発達させることで他者を理解する心を生み出す。そこから得た他者理解や共存の視点から、手を使い歩き、そして学習しようとする。さらには、より良く効率的に種を保存するために、学習した出来事を他者に伝える言語を獲得した。これによって社会的コミュニケーションは飛躍的に広がり、単に生物学的に共存するためだけでなく、文化的に共存する社会的集団を形成してきた。私たち人間は何者か。それは文化的かつ社会的に共存することを楽しむ「神経を持った生物」である。だからこそ、リハビリテーションの目的は、その対象者が文化的かつ社会的な営みを取り戻すことである。すなわち、社会の一員としての役割を持つよう人間を復権することである。
私の処女作とも言うべき「リハビリテーションのための脳・神経科学入門」を執筆してからのこの8年間の自分の履歴を振り返ってみると、自己意識が大きく変化してきた。まずは個人内意識においては、老いを感じはじめてきたというのか、「いずれこのペースで仕事はできないんだな」「いずれこの仲間とも離ればなれになるのかな」「いずれ自分は死を迎えるのかな」とゴーギャンの絵画では「成熟」を迎えたことによる「終焉」を意識しはじめたことも確かである。自分が人間であることを強く意識しはじめた。すなわち、「死」を意識しはじめたということになる。いずれ死にゆくまでに自分は社会にとってどのような役割を持ち、どのようにしてそれをつくり、そして演じなければならないかと強く意識しはじめてきたのである。だから、自己が承認されたり、実現されるという欲求よりも、社会的な人間として、属するコミュニティー発展を強く意識するようになったわけである。20代の時に思った「患者のために」という意識は今の自分から見れば浅はか極まりない。その一方で、個人間意識において、この8年の間、私が関係する環境は大きく広がった。数多くの方々と社会的な関係を結びコミュニケーションを楽しむことによって私の脳が実存化されてきた。まさにダンバーの言う「身体の大きさや行動範囲、何を食べているかといった生態学的な要因ではなく、その種がどれくらい大きな群れの中で生きているか、という社会的な要因と最も強く脳の進化は関連している」という社会脳仮説を自で行くような感じある。その一方で高知から奈良に移動して9年、この場所で出会い、様々な出来事を共に培った仲間との共同注意に基づく行動によって私の自己意識は変化し、脳は柔軟になってきた。それは自己の信念すらも変えさせる社会的絆の形成である。すなわち、「私らしさ」をつくりだすのも社会の中で自己と他者の脳が実存することで生み出されるものであることに気づいたわけである。現時点で、この本を書いた社会的役割としては、最初に述べたニューロリハビリテーションの発展の一助という意味もあるが、むしろ後半の本質的なリハビリテーションの方向性を考え直すことを意識しているわけである。
さて、本書は人類の進化から社会脳まで幅広い情報のレビューによって構成されている。この膨大な情報を一人でレビューすることはできない。私が所属する畿央大学では3年前から年に4回ニューロリハビリテーションセミナーを開催している。このセミナーでは基礎から臨床までニューロリハビリテーションに関連する科学的知見を全国から集うセラピストに対して紹介している。そしてこのセミナーは畿央大学ニューロリハビリテーショングループと称されるメンバーによって行われる。そのメンバーは古典から最新の論文まで科学的知見を拾い、リハビリテーションというフィルターを用いて取捨選択し、それをセラピスト達に機関銃のごとく紹介している。その取捨選択に基づく情報が本書の基盤を形成することになったことは言うまでもない。ここにそのメンバーである松尾 篤 氏、冷水 誠 氏、前岡 浩 氏、岡田洋平 氏、信迫悟志 氏に厚くお礼を申し上げたい。また、セミナー開催にあたり惜しみない協力をしていただいている畿央大学大学院健康科学研究科神経リハビリテーション学研究室の諸氏に感謝する。また、セミナー開催に快く協力していただいている畿央大学 学長 冬木智子先生、事務局長・企画局長 冬木美智子氏、そして企画部の皆様に深くお礼を申し上げたい。
最後に本書の執筆にあたり、企画に賛同し執筆の機会を与えていただいた協同医書出版社 代表取締役 木下 攝 氏、ならびに企画から編集まで具体的なご助言、そして構成上の詳細なご指導をいただき、出版まで導いていただいた出版部 編集長 中村三夫 氏に深く感謝を申し上げたい。
ニューロリハビリテーションの基盤となる本という意識(もちろんそれはレビューしています)というよりも、「人間らしさとは何か」という視点から、リハビリテーションのあるべき姿を考える「作品」でもあります。
この原稿を修正、校正し本にはあとがきとして挿入しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/73/36ad3682c62ac79c974b6bdeee501524.jpg)
あとがき
2005年に「リハビリテーションのための脳・神経科学入門」、2006年に「リハビリテーションのための認知神経科学入門」を発刊してからしばらく経過した。本書はその続刊である。この間、特に休暇に入っていたわけでなく、リハビリテーション・セラピストに対して、脳科学を身近に感じてもらいたい意図で「脳を学ぶ」シリーズ(協同医書出版社)を刊行し続けた。さらには、ニューロサイエンスとリハビリテーションの接点を意識とした講演を全国で数多く展開し、それ相応の認知を得た。
それと時を同じくして、世界的に「ニューロリハビリテーション(Neurorehabilitation)」の潮流が起こりはじめた。ニューロリハビリテーションとは、Neuroscience-based rehabilitationの造語であり、文字通り、近年のニューロイメージング研究成果に代表されるニューロサイエンスに基づいた、あるいは連携したリハビリテーション介入を意味する。巷には旧体系な神経障害に対するリハビリテーションと間違って解釈されている面もあるが、そうではなく、ニューロリハビリテーションとは、ニューロサイエンスを基盤にリハビリテーション療法を考案あるいはそれを介入し、その効果を検証する手続きである。したがって、運動器疾患もその対象になることは言うまでもない。現に、運動器疾患や疼痛患者において、ネガティブにもポジティブにも脳の身体地図が変化することが多くの研究によって示されている。2005年当時から比べると、リハビリテーションに脳・神経科学の知見を取り込もうとする動きがかなり盛んになってきたように思える。
一方、脳科学は究極の目的は「人間(人間らしさ)とは何か」という命題を明らかにすることである。ブラックボックスと称された人間の脳。脳科学は少しずつではあるが、人間が持つ脳の機能を明らかにしはじめている。例えば、人間が特異的に持つ複雑な感情や道徳倫理観などといった機能について、ゆっくりではあるが根拠となる成果を脳科学は示してきた。そしてそれは、人間がどのように生まれ、どのように進化してきたかをという文化・人類学の様を時に示す。私たちの祖先が資源を交換し合い、環境の変化に基づく危機を目前にして、他者と協力し合い、そして命をつないできた「共存」という手段、そしてより良く共存するために不可欠であった「法律」の策定、未来永劫、安心に生きて行くための「農耕」の獲得、さらには、共存を効率化させるために生み出した分業システムに伴う「貨幣」の制度化、このような人間独自の文化の形成は、元をたどれば、社会的に種を保存(共存)しようとする「仲間を大切に思う心」がベースにあったわけである。
本質的なリハビリテーションとは、障害のある人間の傷ついた「人間らしく生きる権利」の全体的な回復(全人間的復権)を指し、それは人間としての「権利、資格、名誉の回復」を意味する。全人間的復権、すなわち人間らしさを取り戻す手段、そして一時的な過程がリハビリテーションというわけである。運動麻痺や感覚障害の改善、あるいは基本動作の獲得はその一部を示すにすぎない。本書で示したように、あくまでも一説ではあるが、人間にとっての歩行は、他者と食料を分かち合うために、得た食料を手で運搬するためにとった移動手段である。すなわち、歩行獲得=人間復権ではない。歩行は社会の中で他者と共存するための自らの意図に基づく最適化された移動手段であり、他者との共存を実現させるための一つの道具である。
リハビリテーションとは「人間らしさ」の復権・復興である。すなわち、それは社会の中で他者と共存し、生活を営むことである。「共存する」とは互いに役割を持つということでもあり、たとえ、それぞれの生活において身体的な不自由さがあったとしても、他者や社会にとって自らの役割があれば「人間らしさ」を100%失うことはない。しかしながら、身体的あるいは精神的に不自由が起これば、とたん社会的役割を失ってしまう。だからこそ、身体あるいは精神の機能回復は「人間らしさ」を取り戻すために必要なわけである。
人間とは何かの本質を探る意味でリハビリテーションの概念はとても深い。人間が人間たらしめるための脳機能とはどのようなものか。それを10 章にわたって記述してきたのが本書「リハビリテーションのための神経生物学入門」である。その目次は「私たちはどこから来たのか?」から始まり、「私たちはどこへ行くのか?」で終わる。このフレーズはもちろんポール・ゴーギャンの絵画からの引用である。ポール・ゴーギャンは「我々はどこから来たのか? 我々は何者か? 我々はどこへ行くのか?(D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?)」と名付けた1枚の絵画に人間の「誕生」「成熟」「終焉」の三様の人物群像を描いている。人間は生物である。だから、生まれ死に行く。人間は「身体-脳」を持った生物である。人間はいわゆる生身の肉体と脳をつなぐ神経を持つことで、発達・成熟し、自己意識を生み出す。そして、自己意識とともに情動をより社会的に発達させることで他者を理解する心を生み出す。そこから得た他者理解や共存の視点から、手を使い歩き、そして学習しようとする。さらには、より良く効率的に種を保存するために、学習した出来事を他者に伝える言語を獲得した。これによって社会的コミュニケーションは飛躍的に広がり、単に生物学的に共存するためだけでなく、文化的に共存する社会的集団を形成してきた。私たち人間は何者か。それは文化的かつ社会的に共存することを楽しむ「神経を持った生物」である。だからこそ、リハビリテーションの目的は、その対象者が文化的かつ社会的な営みを取り戻すことである。すなわち、社会の一員としての役割を持つよう人間を復権することである。
私の処女作とも言うべき「リハビリテーションのための脳・神経科学入門」を執筆してからのこの8年間の自分の履歴を振り返ってみると、自己意識が大きく変化してきた。まずは個人内意識においては、老いを感じはじめてきたというのか、「いずれこのペースで仕事はできないんだな」「いずれこの仲間とも離ればなれになるのかな」「いずれ自分は死を迎えるのかな」とゴーギャンの絵画では「成熟」を迎えたことによる「終焉」を意識しはじめたことも確かである。自分が人間であることを強く意識しはじめた。すなわち、「死」を意識しはじめたということになる。いずれ死にゆくまでに自分は社会にとってどのような役割を持ち、どのようにしてそれをつくり、そして演じなければならないかと強く意識しはじめてきたのである。だから、自己が承認されたり、実現されるという欲求よりも、社会的な人間として、属するコミュニティー発展を強く意識するようになったわけである。20代の時に思った「患者のために」という意識は今の自分から見れば浅はか極まりない。その一方で、個人間意識において、この8年の間、私が関係する環境は大きく広がった。数多くの方々と社会的な関係を結びコミュニケーションを楽しむことによって私の脳が実存化されてきた。まさにダンバーの言う「身体の大きさや行動範囲、何を食べているかといった生態学的な要因ではなく、その種がどれくらい大きな群れの中で生きているか、という社会的な要因と最も強く脳の進化は関連している」という社会脳仮説を自で行くような感じある。その一方で高知から奈良に移動して9年、この場所で出会い、様々な出来事を共に培った仲間との共同注意に基づく行動によって私の自己意識は変化し、脳は柔軟になってきた。それは自己の信念すらも変えさせる社会的絆の形成である。すなわち、「私らしさ」をつくりだすのも社会の中で自己と他者の脳が実存することで生み出されるものであることに気づいたわけである。現時点で、この本を書いた社会的役割としては、最初に述べたニューロリハビリテーションの発展の一助という意味もあるが、むしろ後半の本質的なリハビリテーションの方向性を考え直すことを意識しているわけである。
さて、本書は人類の進化から社会脳まで幅広い情報のレビューによって構成されている。この膨大な情報を一人でレビューすることはできない。私が所属する畿央大学では3年前から年に4回ニューロリハビリテーションセミナーを開催している。このセミナーでは基礎から臨床までニューロリハビリテーションに関連する科学的知見を全国から集うセラピストに対して紹介している。そしてこのセミナーは畿央大学ニューロリハビリテーショングループと称されるメンバーによって行われる。そのメンバーは古典から最新の論文まで科学的知見を拾い、リハビリテーションというフィルターを用いて取捨選択し、それをセラピスト達に機関銃のごとく紹介している。その取捨選択に基づく情報が本書の基盤を形成することになったことは言うまでもない。ここにそのメンバーである松尾 篤 氏、冷水 誠 氏、前岡 浩 氏、岡田洋平 氏、信迫悟志 氏に厚くお礼を申し上げたい。また、セミナー開催にあたり惜しみない協力をしていただいている畿央大学大学院健康科学研究科神経リハビリテーション学研究室の諸氏に感謝する。また、セミナー開催に快く協力していただいている畿央大学 学長 冬木智子先生、事務局長・企画局長 冬木美智子氏、そして企画部の皆様に深くお礼を申し上げたい。
最後に本書の執筆にあたり、企画に賛同し執筆の機会を与えていただいた協同医書出版社 代表取締役 木下 攝 氏、ならびに企画から編集まで具体的なご助言、そして構成上の詳細なご指導をいただき、出版まで導いていただいた出版部 編集長 中村三夫 氏に深く感謝を申し上げたい。