森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

新年の起動

2014年01月07日 18時47分51秒 | 日記
昨日は法人全体(大学、高校、幼稚園)の仕事始め式を終え、急ぎ本年度修了予定の修士課程の院生の修士論文6編を校閲しました。中野、大住、植田、大松の研究室のすばらしい面々の校閲が第1関門でしたので、いずれも体裁がちゃんと整えられています。彼らに感謝するわけです。

製本する修士論文は少々回りくどい表現の仕方になっていますが、提出後、急ぎ改変し、しかるべき雑誌への投稿準備をさせるようにします。だいたいここで放置すると結局のところは投稿せずに、その情報が闇に葬られるのです。鉄は熱きうちに打て。これ論文を書くための鉄則です。放置すれば、そのものに対する愛着や欲求がさめてしまうのです。人間の興味とは移り気なわけです。

私の方は外部から委嘱されていたお仕事を年末年始コツコツと励んだことで、無事に90%終了(あとは微調整)し、明日からの授業体制にのぞみます(本日よりカリキュラムはスタート)。そしてPTジャーナルの今月〆切の依頼原稿をすませ、脳を学ぶ(改訂版)の原稿を済ませ、原著に向かう訳です。平行で授業だけでなく、講演、そして研究センター開設に向けての備品などをメンバーで検討し、年度内予算を執行するわけです。

ちなみに今週末の土曜日は実習指導者会議ですが、翌日は関西のリウマチ医の会「ロイマ会」で講演します。「ロイマrheuma」とは古代ギリシャの言葉で「リウマチ」の語源のようです。ニューロリハビリテーションのことについて話してほしいとのご要望がありましたので、神経科学を出来る限り少なくして、その手続きについて「疼痛に対するニューロリハビリテーション」と題して、1時間、整形外科医やリウマチ医の諸先輩の方々に話題提供させていただきます。少し前まではあまり興味を持っていただけなかった整形外科の医師に興味をもってもらえること、少しずつですが、動いている実感がわくわけです。


さて,新年の初授業は人間発達学でした.今日は乳幼児~児童に至るまでの言語の発達でした.

少々遅れているため,厳格なムードを装ってスタートしましたが,最後にはやはり脱線脱線で壊れてしまいました.けれど,最終的な着地はさせています.これを授業のハンドリングといいます.スライドは使わず,板書も限られれた中で,1時間半注意を集中されるテクニックです.たまにはゆらぎを与え,ドリフト走行にようにしないといけない時も大いにあります.この感覚と情動を揺さぶられる時間と空間を与えることが,のちの記憶の引き出しにおいて,彼ら自身に活かされてくると思っています.記憶や概念形成にとっては意味知識だけでなく,その時のエピソードも引き出しとして活かさないといけませんから.

とはいうものの国家試験にも対応させないといけないため,月齢と能力(クーイング,喃語,共同注意,文法形成,他者理解,修飾語,語彙,比喩の理解等まで)を教えないといけないけど,言語は身体(五感・行為)と共同注意(環境)を通じて発達するという視点を発達神経科学(脳機能連関)から話しました.なぜ日本語が私たちにとってネイティブか,この身体性を理解すればわかると思います.

間もなくこの科目の終着点.神経系,そして情緒からスタートしたこの科目,知覚,イメージ,知能,セルフ・アイデンティティの発達でフィニッシュします.

あとは彼ら自身の言語の発達にも期待します.微妙なニュアンスを細分化するために,これだけの「語彙数」を獲得してきました.それがすべて「やばい」の一言で片づけられるようでは,脳機能を守るためにも良くないわけです.

言語はうつりゆくもの,だからどんどん変化して構いません。新しい言葉もつくられるべきです.文化なわけですから,その一方で,母国語を大切にすることも文化的側面からも意味があります.人間の発達は多様性なわけですから.

これネイティブとしての種の保存です.日本人の心の発達と言語の発達は密接に関わるわけです.心‐身体‐言語というわけです.

形ばかりのグローバリゼーションによって細分化・多様化を失ってしまえば,人間は進化でなく,退化していっていると表現しても良いのではないでしょうか.これからの英語教育の本質を問っていきたいですね.