百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 2月 19日(水) 雪のち曇
妻は誕生日が過ぎて87歳となった。私は妻に「たまには映画を見に行こうか」と声をかけた。「悦んで」と返事が返ったので、「H女史も誘おう」と電話したが、大雪の雪片付けでヒトを頼んであるので留守にできない」と云う答に二人で出掛けた。映画館へ入る前に腹ごしらえに寄った店で「永遠の0という映画だ。特攻の映画だ」と言ったが妻は何でも良かった風だった。
久し振りの映画観賞。久し振りの戦争回帰。その巨大な画面から繰り出す空中戦のスリル、圧倒する爆音に暫し酔いしれた。そしてしばし平穏な世界から、嘗ての惨めな青春時代に逆戻りした。
物語が進行してゆく中で、私も感じていた軍隊の苛烈なまでの上官の命令や一方的な意思統一や言論弾圧それに加えて兵隊の自主性を失った付和雷同性に暗い部分を思い出した。
私はあの過酷な軍隊の中で、宮部久蔵が妻子の為、絶対生きて帰ろうという固い覚悟で戦場に臨んだ姿には敬意を感じた。これこそホントの立派な軍人精神だと思った。
頭の手術をしたせいか、物語の筋がよく飲み込めなくて、生き残りにすべてをかけていた主役の宮部久蔵が何故死を意識して特攻隊員に志願したのかがどうしても理解できなかった。行く末に敗戦を感じて夢を失ったからのだろうか?。愛する家族の後事を託するに足る青年を見出した事で死の決意が出来たからなのだろう?、
同じ帝国軍人だった私などは「一億玉砕」最後は万歳攻撃をして戦死する。それが必然の運命と考えていて何の抵抗も感傷も持って居なかった。19歳で現役兵として入隊し、妻子がある訳じゃないし、生死を意識する戦場に直面してない軍隊生活の中で、ただ戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けず」の観念しかなかった。この戦争では「勝ことは見込めないが、負けることはない。玉砕あるのみ」だった。「一億玉砕」のスローガンに酔いしれていた単純な男だったことを反省した。
百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 2月 19日(水)
日数「日」 |
総歩数(歩) |
総距離(m) |
平均歩数(歩 |
|
今 日 |
1 |
15,159 |
10,611 |
|
今 月 |
19 |
343,808 |
240,666 |
18,095 |
今 年 |
50 |
907,378 |
635,165 |
18,148 |
2005年から |
3,307 |
47,823,902 |
33,476,731 |
14,461 |
70歳の誕生から |
6,839 |
129,774,033 |
90,841,823 |
18,976 |
北大西洋グリーンランド島からカナダに入国「 カートライト」に向かって後196,325m