百歳に向かってもう一度歩いて世界一周

平成7年1月1日より歩いて世界一周に挑戦して居ますので引き続き続けますのでご照覧あれ!

嗚呼 2.26事件は忘却の彼方

2014年02月26日 18時03分20秒 | 随想

         百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 2月 26日(水) 晴れ 

 我が家を訪ねてきた二人の婦人に聞いてみた。「今日は2月26日。226事件を覚えていますか?」と。1人は私と同じ88歳、もう一人は81歳。老婦人だが、二人とも健康で、教養もあり、現在も所属する団体の役員を務めている人達だ。

 ところが私の質問した意味が判らない。確かに今日は2月26日だということは判るが、《2.26事件》については全く判らない。何が有ったのかさえ知らない。私はこれには驚いた。驚いたというより腹が立った。こんな大事件を日本人なら忘れてはならない筈だ。そこで話すことにした。

 いまから78年前の昭和11年2月26日、私は西神田小学校の5年生男組。その日は東京も雪が降っていた。学校へ登校すると教室には5~6名の生徒しか居ない。先生も来ない。すると,誰かが「内閣総理大臣が殺されたって・・・」と言う。「それで学校は休みだって」と言うことになって家に帰った。

 そもそも2.26事件は陸軍の中に《統帥派》と《皇道派》とがあって《皇道派》の影響を受けた青年将校の一部が「昭和維新」「尊皇討奸」のスローガンを掲げて、元老重臣を殺害して天皇親政を実現し、政治腐敗と農村の困窮からの脱却を目指して26日の未明、部下1400名を伴って決起した事件だ。

 その結果、岡田総理の身代わりとなって松尾大佐・内大臣の斎藤実・大蔵大臣高橋是清・教育総監の渡辺錠太郎が死亡、侍従長の鈴木貫太郎は重傷を負ったが一命を取り留めた。

 事件は26日から29日にわたったが、天皇陛下から反乱軍とみはなされたので、首謀者は決起した部隊を原隊に帰し、自らは自決または自首して終息した。

 首謀者の将校は軍事裁判の結果死刑となったが、天皇親政を目指して、国民の為にとの想いで決起した其の赤誠心は忘れられるものではない。

       百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 2月 26日(水)    

 

日数「日」

総歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩

今  日

    1        

16,986

11,890

 

今  月

26

471,631

330,142

18,140

今  年

57

1,035,201

724,641

18,161

2005年から

3,314

47,951,725

33,566,208

14,469

70歳の誕生から

6,846

129,901,856

90,931,299

18,975

北大西洋グリーンランド島からカナダに入国「 カートライト」に向かって後106,849