◇恐れについて◇
悟りの道を進むとき、その抵抗となる唯一の要素は恐れです。
まだ普通の感覚の意識で経験を続けたいからとか、まだ学びたいからとか、いろいろ理由を付ける方がおられますが、どんな理由を付けても、その抵抗となっている要素の根っ子には恐れがあります。
ですから、悟りの道を進む行程は恐怖心を克服していく行程でもあります。
恐怖心を克服し、私という存在の本質的な姿に向き合うことができれば、その克服した分だけ悟りの道を進めるようになっています。
まず最初に、病気になることや生活に困窮すること、そして死ぬこと等の一般的な恐怖心と向き合うようになります。
克服のやり方は、人それぞれですが、大凡のやり方は二通りです。
まず単純なやり方として、この現実世界で起こるすべての苦と死をただ受け入れてしまうことです。
もう一つは、死を含めたこの世界での出来事がすべて考えであり幻であることを理解し、その理解を通じてそれらを受け入れることです。
どちらのやり方でも大丈夫で、みなさん自分に合ったやり方で進んでいきます。
そうして恐れと向き合っているうち、私という存在が抱え込んでいる考えが徐々に剥がれ落ちていきます。
そして、いずれ虚無と向き合うようになります。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
スピリチュアル ブログランキングへ
悟りの道を進むとき、その抵抗となる唯一の要素は恐れです。
まだ普通の感覚の意識で経験を続けたいからとか、まだ学びたいからとか、いろいろ理由を付ける方がおられますが、どんな理由を付けても、その抵抗となっている要素の根っ子には恐れがあります。
ですから、悟りの道を進む行程は恐怖心を克服していく行程でもあります。
恐怖心を克服し、私という存在の本質的な姿に向き合うことができれば、その克服した分だけ悟りの道を進めるようになっています。
まず最初に、病気になることや生活に困窮すること、そして死ぬこと等の一般的な恐怖心と向き合うようになります。
克服のやり方は、人それぞれですが、大凡のやり方は二通りです。
まず単純なやり方として、この現実世界で起こるすべての苦と死をただ受け入れてしまうことです。
もう一つは、死を含めたこの世界での出来事がすべて考えであり幻であることを理解し、その理解を通じてそれらを受け入れることです。
どちらのやり方でも大丈夫で、みなさん自分に合ったやり方で進んでいきます。
そうして恐れと向き合っているうち、私という存在が抱え込んでいる考えが徐々に剥がれ落ちていきます。
そして、いずれ虚無と向き合うようになります。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
スピリチュアル ブログランキングへ