◇「在る」という幻想◇
真我(空)に完全に覚醒した方の中に、真我について「それは在る」とか、「実存」などと言って、その考えを掴んでしまう方がおられます。
そのような方は、それこそが真理であり根源であり、絶対的で不変なものだなどと仰います。
そう仰る方に対し、私は敢えてお伝えしたいことがあります。
それは在ると考えているのは誰ですか?
それこそが真理であり、絶対的で不変だというのは、誰の考えですか?
それこそが実存であり、それ以外はみな幻だと考えいるのは誰ですか?
それこそが実存だと考えている自分をしっかり見てください。
そして、それこそが実存だという考えをつかんでいる自分に気づいてください。
あなたは、それは考え以前のものであり、考えとして捉えられないものだと仰るかもしれません。
そして、私(慧空)に対し、お前はまだそれを知らないのだと。
しかし、本当にそうなのでしょうかと、私は言いたいのです。
私たちが認識するものについて、考え以前のものなどあるのでしょうかと。
あなたは、それについて、考え以前のものだ等としながらも何らかの認識を持っているではありませんか。
それは紛れもなく、あなたに起こっている考えではありませんかと。
それが何であれ、私たちが認識するものはすべて考えであり幻ではありませんかと。
もう一度、ぜひそこを徹底的に洞察してみてくださいと。
そう私は言いたいのです。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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真我(空)に完全に覚醒した方の中に、真我について「それは在る」とか、「実存」などと言って、その考えを掴んでしまう方がおられます。
そのような方は、それこそが真理であり根源であり、絶対的で不変なものだなどと仰います。
そう仰る方に対し、私は敢えてお伝えしたいことがあります。
それは在ると考えているのは誰ですか?
それこそが真理であり、絶対的で不変だというのは、誰の考えですか?
それこそが実存であり、それ以外はみな幻だと考えいるのは誰ですか?
それこそが実存だと考えている自分をしっかり見てください。
そして、それこそが実存だという考えをつかんでいる自分に気づいてください。
あなたは、それは考え以前のものであり、考えとして捉えられないものだと仰るかもしれません。
そして、私(慧空)に対し、お前はまだそれを知らないのだと。
しかし、本当にそうなのでしょうかと、私は言いたいのです。
私たちが認識するものについて、考え以前のものなどあるのでしょうかと。
あなたは、それについて、考え以前のものだ等としながらも何らかの認識を持っているではありませんか。
それは紛れもなく、あなたに起こっている考えではありませんかと。
それが何であれ、私たちが認識するものはすべて考えであり幻ではありませんかと。
もう一度、ぜひそこを徹底的に洞察してみてくださいと。
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