私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

どこに逃げようと言うのか

2015年06月06日 08時53分43秒 | 悟り
◇どこに逃げようと言うのか◇

あなたは、すべてが考えであり幻であるということが分かっておられるのかもしれない。
しかし、あなたの心の衝動はまだ止まっていないようです。
いまもあなたの心は忙しく何かを求めて彷徨っている。

そうやって、あなたが彷徨ってしまうのは私にもよく分かります。
あなたの身体、否、あなたそのものが苦しみの炎で燃えているからです。
その苦しみの炎をどうにかしようと必死になるのは無理もありません。

しかし、一度冷静になって、周りをよく見渡してみてください。

どこに逃げようというのですか?

本当にどこかに逃げ場はあると思いますか?

その苦しみの炎ですが、それはどうにかなるようなものですか?

それは常にあるものではないですか?


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。

※次回の講話セッション、個人セッションは6月28日(日)です(上のリンクを参照ください)

コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

哲学・思想 ブログランキングへ
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

否定と肯定と悟りの階梯

2015年06月06日 08時20分59秒 | 悟り
◇否定と肯定と悟りの階梯◇

否定と肯定について改めて書いてみようと思いました。

否定と肯定は、意識の使い方がまるっきり異なります。
悟りの階梯のそれが有効に作用する段階もまるっきり違っています。

肯定が最も有効に作用するのは、小悟(明け渡し)を得る段階やその直ぐ後の段階です。
この段階では、受け入れ、特に外側に向けた受け入れが有効に作用しますから、それにはすべてを肯定していくという意識の使い方がとても有効になります。
これを徹底することで、小悟のゲートを超えて、小悟階層の大凡中間点であるすべてはニュートラルであるということを理解する段階まで至ることができます。

しかし、肯定が有効に作用するのはこのあたりまでなのだろうと思っています。
肯定は、受け入れや意識を拡大させる方向に作用します。
このため、肯定の意識の使い方では、どうしても意識が緩慢になり、私という自我の足下の細かな囚われや意識の動き(迷い)になかなか気付けないのです。

一方、否定はそれを徹底することで、必然的に意識を「私」の内面に振り向けさせ、引き締める作用があります。
あらゆる対象を徹底的に否定することにより、「私」の意識は中心に向けて凝縮されていくとともに、自分自身の足場や拠り所も崩れ去っていきます。
小悟階層の途中からは、肯定よりもこのような否定が有効に作用するようになっていきます。

私という自我は、自我が握り締めた考えである幻(囚われ)や、その囚われから誘発される感情や思考等の考えでできた幻の雲のようなものですから、それらが考えであり雲であるということを見破っていくためには、肯定よりも否定が有効なのです。

否定を使った具体的なやり方としては、自覚がそれです。
自覚は、五感を使って経験することや、内面に起こってくる感情や思考等のすべてのことを「私の考え」として自覚しますから、本質的に否定を含んでいるのです。

大凡すべてのことがらを考え(幻)だとして否定できたときに、自分自身も含めて、すべては考えだという理解が附に落ちます。

そうしたら、あとはそれでも残りかすのように残っているいくつかの囚われに対して、それに気づくことで手放していきます。
そして最後は、私という存在の根本である苦と向き合うことになります。


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。

※次回の講話セッション、個人セッションは6月28日(日)です(上のリンクを参照ください)

コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

哲学・思想 ブログランキングへ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする