私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

意志を持って悟りの道を歩め

2015年09月28日 09時51分03秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇意志を持って悟りの道を歩め◇

今朝、久し振りにピンと来るものがありしたので、それについて書きたいと思います。
ピンとの来たのは、意志の力と悟りとの関係についてです。
これまで両者の間に関係は無いことは無いとは思っていたのですが、どう関係しているのかがいまひとつスッキリしていませんでした。
それが、今朝私なりにハッキリとしました。

おそらく、何らかの悟りに至る方のおそらく大半が積極的に悟りを意図することなく、それに至られるんだろうと思います。
私も、小悟(明け渡し)に至るときは、悟りのことなど全く意識してなかったのに、突然悟りの方からやってきたという感じでした。
そういうこともあって、悟りとは求めてもどうにかなるものではなく、求める心がむしろ邪魔になる等と言われるのだろうと思うのです。

確かに、悟りは意図するものではなく、訪れるものという部分はあるんだと思います。
しかし、意図して追求していくものであるという部分も確かにあるのです。
私自身、小悟については半分くらいは悟りの方から勝手にやってきたという感じではありましたが、小悟以降の悟りは、意志の力を持って積極的に追求した結果であると思っています。

前置きはこの辺にして、本題に入っていきたいと思います。

悟る、あるいは悟りの道を進んでいくということは、私という存在である自我が握り締めている囚われ(考え)に気づいてそれを手放していくことなのです。
どうして迷いや迷いの衝動が起こってくるのかというと、自我が握り締めている囚われが起こってくる現象に反応して、その迷いの衝動を引き起こしているのです。
そして、その囚われをわざわざ握り締めているのは、私という自我なのです。

繰り返します。
囚われを握るのは、「私」がわざわざやっていることなのです。

「私」がやっていることなら、囚われを手放すことだって、その気になれば「私」に出来ることなのです。

つまり、「自分はもう囚われを手放していくんだ」という強い意志があれば、手放していくんです。
これは、実に単純で簡単なことなのです。

そうなると、何かの考えを掴んで、外に向かって「これだ」か、「こうだ」と主張している、あるいはそう考えている自分自身に気づくようになるのです。
あるいは、思わず何かを求めて外側に彷徨い出そうとしている自分自身の衝動や姿に気づくようになるのです。


そして、もう一つ申し上げておきたいことは、悟りの意志と自覚との関係です。

自覚をやっていくときの要は、なんと言っても、意志の力なのです。

もう一度、ご自分の悟りへの意志について確かめてみて頂きたいと思います。


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。


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読んで頂いてありがとうございました。

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セッションの報告など

2015年09月28日 08時21分15秒 | その他
◇セッションの報告など◇

まず、先日19日(土)のスカイプ雑談会の報告を。
参加者は私を含めて5名でした。
前回に続いて、アドバイタ系の方がご参加くださったので、アドバイタ系の方と私(あるいは、私たち)との認識や理解の違い関連してお話しすることができました。
まあ、ぶっちゃけ、いくらお話しても平行線な訳なのですが、お話しできて楽しかったです。

次に、昨日17日(日)の雑談会について。
参加者は私を含めて9名でした(私の家内と息子も含まれています)。
お子さんを連れてこられた方がおられ、うちの息子を含めて、小学生の男の子が二名いました。
雑談会と言っても、どうしても悟りや自覚関連の話題がメインになってしまいました。(^o^)
講話形式よりも雑談会形式の方が、参加くださる方も気楽にいろんなことを話せていいのかも知れないなぁと思いました。
次回からは、講話はやめて、雑談だけ、あるいは雑談と個人セッションの組み合わせにしようかとも思っています。
お菓子は、みなさん余り食べないので無くてもいいのかなぁと思いました。
(うちの息子は、普段お菓子を制限されているので、ここぞとばかり、ずっと食べてましたが、(^o^))

次回の雑談会は、週末に開こうとすると、10月後半の週末が予定で塞がっているので、11月上旬になりそうな感じです。
日程等を決めたら、近日中にここに公表しますね。

私の日々の暮らしは、相変わらずです。
仕事も、福祉施設での仕事を続けています。
仕事がしんどいので職場に行くのは毎日嫌々行っている感じなのですが、職場にいくと、一生懸命仕事してしまい、クタクタになって帰ってくるという毎日です。
職場に行くのはしんどいので嫌なのですが、でも職場は好きなようで、よく分からない感じです。
施設を利用している利用者の方々に対しても、お世話がとても大変だったりするので、うっとうしい面倒な人たちだと思う反面(とっとと死ねと思うときもあります、(^o^))、涙が溢れるほどの愛おしさを感じていたり、とても複雑です。
ホント自分でも、なぜ自分がこの仕事をしているのかがよく分かりません。

こんな感じでやっています。
また報告しますね。


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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