◇考えでなく「私」に意識を集中する◇
多くの方は、覚者たちも含めて、何か特定の考えに関して「こうだ」とか、「これが真実だ」等の主張をします。
中には、すべてオッケーだと言いながら、その一方で「こうだ」と何かを主張します。
そう言っているご本人には、その不自然さやひっかかりは何も感じないようです。
どうしてそれ程までに、不自然さや違和感を感じないで過ごせるのでしょう。
それは、そのような方々の意識のあり方に理由があります。
そのような方々は、考えに意識が向けられ、集中しているのです。
だから、自分が特定の考えを握り締めていることに違和感も感じないし、気づくこともできないのです。
考えではなく、「私」に意識を向け、集中して頂きたいと思います。
考えを握っていると、自ずとその考えを外に向けて主張したくなります。
主張しないまでも、心の中の「こうだ」という想いが繰り返し起こってきます。
また、それを誰かに否定されると、怒りも起こってきます。
「私」に意識を向け、考えを握り締めている自分、あるいは自分自身の姿に気づいて頂きたいと思います。
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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そう言っているご本人には、その不自然さやひっかかりは何も感じないようです。
どうしてそれ程までに、不自然さや違和感を感じないで過ごせるのでしょう。
それは、そのような方々の意識のあり方に理由があります。
そのような方々は、考えに意識が向けられ、集中しているのです。
だから、自分が特定の考えを握り締めていることに違和感も感じないし、気づくこともできないのです。
考えではなく、「私」に意識を向け、集中して頂きたいと思います。
考えを握っていると、自ずとその考えを外に向けて主張したくなります。
主張しないまでも、心の中の「こうだ」という想いが繰り返し起こってきます。
また、それを誰かに否定されると、怒りも起こってきます。
「私」に意識を向け、考えを握り締めている自分、あるいは自分自身の姿に気づいて頂きたいと思います。
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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