私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

自我の二相性と主客の統合

2022年04月14日 21時37分04秒 | 私の成り立ち
◇自我の二相性と主客の統合◇

今回は、私という自我の二相性について書いてみたいと思います。

私という自我には、二つの相があります。

一つ目の相は、日常的に私たちが感じている自我の相です。
この相は、私という主体と、その主体の対象となる客体とが分離している相です。
つまり、音や光、感触と言った知覚の対象とは別に、それらを知覚する主体がある、正確にはあるように感じる相です。

二つ目の相は、私という主体と、その対象となる客体とが統合している、正確には統合しているように感じる相です。
この相は、悟りの行程を無常、無我を理解できる付近まで進むと経験するようになりますし、悟らずとも意識の集中が極まってくると経験することがあるのだろうと思います。
この相を経験すると、認識が無いとか、自我が無い等の誤解が生じやすいのですが、起こってきたことを認識しているのですから、認識も自我も消えずに残っています。
この相では、主体は起こってくること(客体)と一体化し、それそのものとなって起こってきます。
認識が無い等の誤解が生じやすいのは、この影響もあるかも知れません。

私がこのブログに書いている「私とは識の連鎖である」は、二つ目の相における観点によるものです。


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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私は無いという誤解と涅槃

2022年04月14日 11時05分14秒 | 悟り
◇私は無いという誤解と涅槃◇

悟りの行程をそれなりに進むと、あたかも私が無いと感じるポイントに至ります。
これにはあたかも認識が無くなる、あるいは起こらなくなるという現象、あるいはそのような感覚を伴います。
認識主体の欠落、あるいは欠落感を伴う場合もあると思います。

皆さんここで、私は無いという考えに嵌まりこみ、それを掴んでしまいます。

認識が無い、あるいは起こらないと言うには、それを認識している意識が微弱でも起こっているはずなのですが、なぜか皆さんそこに気づけないというか、そこから目を背けてしまいます。
そして、認識が無いとか、私は無いという考えに嵌まりこんでしまう。
それはどうてしなのか。

私(慧空)の場合、認識が無い等の考えに嵌まり込むことはありませんでした。
それはなぜなのか。

改めて考えてみました。

要因の一つは、自覚ではないかと考えています。
私の場合、明け渡し体験後に始めた自覚の取り組みにより、私に意識を向けることが身についていましたので、あたかも認識が起こっていないかのような体験のときにも、認識が起こっていることに気づけたのかも知れません。

もう一つの要因は、涅槃の体験ではないかと考えています。
ここでいう涅槃とは、完全な意識の途絶状態のことで、眠っているのとも違いますし、気を失っているのとも違います。
眠っているときは必ず何らかの夢を見ており、意識の展開は続いています。
気を失っているときも、夢を見るような形で意識の展開は続いています。

私は、大悟に至る前に、認識を含めて意識が完全に無くなるということがどういうことかを涅槃の体験から分かっていたのです。
このため、「観る者は観られるもの」の体験に伴って認識主体の欠落(正確には欠落感)が生じたときにも、それを認識している微弱な意識、つまり認識が残っていることに気づけたのかも知れません。

これまでは、悟りの行程の進展に涅槃の体験は余り関係無いと考えていました。
しかし、多くの方が私は無いという考えに嵌まり込んでしまう状況を見ると、涅槃の体験の有無が悟りの進展に関係している可能性があるかも知れません。


<補足(2022年4月15日)>

涅槃について、意識が途絶した状態を認識しているのなら意識が完全に無くなっているとは言えないのではないかとのご質問を頂きましたので、説明を補足します。
涅槃が起こっている間は、意識が完全に途絶してますので涅槃という現象を認識することはありません。
涅槃が終わって再び意識が起こった瞬間に、意識が途絶していたことに気づくのです。
最初はそれが何なのかよく分からないだろうと思います。
何度か経験するうちに、寝ていたのとも違うし、気を失っているのとも違し、それに息も止まっているしということで、完全に意識が途絶していたことがなんとなく分かってきます。


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