◇自閉症の息子に自覚を伝える◇
私には、今年二十歳になる自閉症の息子がいます。
自閉症の障害は非常に重く、重い知的障害、情緒障害、自傷他害等の問題行動、こだわり等があります。
自傷は、自分の頭を拳で殴る、壁や窓ガラスに頭突きする、手を机等に打ち付ける、膝を床に打ち付ける等があります。
他害は、他者の服や髪に掴みかかる、爪を立てる、殴る等があります。
会話は、例えば「昼ご飯の後、散歩に行きます」等のごく簡単な声かけは通じます。
自分からの発語は、「おやつ」、「散歩」等のごく簡単な単語を話せる程度です。
文字や時計(時刻)の判別等はできません。
5、6歳の頃から上記のような問題行動が激しくなっていき、支援学校やデイサービスでの対応も難しくなり、自宅でも手に負えなくなり、10歳のときに児童施設で受け入れてもらうことになりました。
その後、児童施設から成人施設に移行し、現在も施設で生活しています。
施設に入っても、面会があるのと、年に何回かは自宅に帰省させていますので、親子の関係はそれなりに保たれています。
息子が施設に入って1年程経った頃でしょうか、私は息子に自覚の真似事のようなものを教え始めました。
息子は、統合失調症の傾向があり、情緒が上下に不安定に揺れやすく、情緒が落ちると、マイナス方向の感情や衝動が連鎖的に起こり、それに巻き込まれ埋没し、抜けられなくなります。
そこで、息子の情緒がマイナス方向に落ちそうになったところで、そのことを息子にわからせ、自分で自分の情緒の落下を止めさせるための取り組みを始めました。
このブログで伝えている「自覚」が、それに使えるのではないかと思ったのです。
具体的な取り組みは、自分のマイナス方向への状態の変化に気づかせることと、自分の状態の悪化にブレーキを掛けさせることを繰り返し徹底的に伝えるというものでした。
例えば、自分の情緒が落ちそうなっていることや、掴みかかる、爪を立てる等の問題行動が出そうになっているときに、そのことをハートの部分でハッと気づかせることを繰り返し伝えました。
息子の手を胸に誘導して、ここでハッと気づくんだという具合に伝えました。
また、情緒の悪化や、爪立て等の衝動に対して、息子の手を腹に誘導して、ここでグーッと堪えるんだという具合に繰り返し伝えました。
気付くためと、堪えるために、ハートと腹に意識を向けることを特に意識して伝えるようにしました。
このような取り組みを始めた当初は、息子に伝わっている様子も手応えも全くなく、自分は何でこんなことをしているのだろうと馬鹿らしくなることもありました。
でもなぜか、止めずに続けたのでした。
ところが、取り組みを始めて1年くらい経った頃でしょうか、息子の様子に変化が見られるようになったのです。
そのとき、私は、情緒が落ちていきそうになっている息子の様子を少し離れた場所から見ていました。
息子は、情緒が落ちてくると表情等が曇ってきて、急にマイナスのスイッチが入ります。
マイナスのスイッチが入ると、爪立て等の他害や自傷が始まります。
息子の情緒が落ちてきたので、もう直ぐ私のところに爪を立てにやってくるだろうと思って見ていたところ、息子が何かを堪えるようにして我慢していることに気付いたのです。
私は「おやっ」と思い、息子の様子を見ていると、息子は時折「んーん、んーん」と唸りながら必死に耐えているようでした。
そして、その格闘が数分続いた後、急に息子の様子が切り替わり、落ち着きを取り戻しました。
息子はいつの間にか、自分で自分の情緒の落下に気づき、踏み止まることを覚えていたのでした。
私はそのことに驚きながら息子に近寄り、「ハッとしてグーをやったんか?」と尋ねました。
すると、息子が「うん」と応えたのでした。
私は嬉しさに涙がこぼれながら、息子を抱き締め、「偉いやっちゃ」と褒めてやりました。
この息子の一歩はとても大きなものではありますが、その後の歩みが順調であった訳ではありませんでした。
長い停滞の時期や後退期を繰り返しながら、何年も掛けて取り組むことになりました。
最初のうちは、情緒が落下しそうなときに上手く「ハッとしてグー」をやれることは殆どなく、大半はそのまま落下していくので、その度ごとに「ハッとしてグー」を伝える必要がありました。
取り組みを始めて5年くらいが経ち、息子が15、6歳になった頃でしょうか、情緒の落下に対し、何割かの確率でブレーキを掛けられるようになったような具合です。
ブレーキを掛けても情緒の落下を上手く抑えられるのは、凡そ半分くらいだったように思います。
何年も掛けて、息子の身体と意識に刻み込むようして繰り返し伝える必要がありました。
そうやって取り組みを続けているうち、情緒が落下しかけたときに、少しずつ少しずつ「ハッとしてグー」が出来る機会が増えていきました。
言うたらダメゲームの話。
息子は、頭の中をある欲求というか、言葉が回り始めると、そのループに囚われてしまい、抜け出せなくなることがよくありました。
一番多かったのは、「ごはん」です。
食べることぐらいしか楽しみというか、時間を過ごすことがないのもあり、食事が終わって暫くすると、「ごはん」と言って次の食事を要求し始め、それが30分、1時間、長い時は2時間も続くことがありました。
「ごはん」、「ごはん」と何度も何度も訴えられるだけでも辛いのに、爪を立てたり、掴みかかったり、頭を壁に打ち付ける等の問題行動も重なることが多く、その相手をするのは本当に大変でした。
そんな中、「ハッとしてグー」が少しやれるようになってきたとき、私は息子に対して、ゲームのようなある取り組みを思い付いたのです。
名付けて、「言うたらダメゲーム」です。
息子が「ごはん」、「チーズ」(息子は何よりもチーズが大好きなのです)、「車さんぽ」(ドライブのことです)などと言ってグルグルし始めると、まずは息子に、「ごはん、ごはんってグルグルしている誰ですか?」などと言って、自分がグルグルにしていることを気づかせるようにします。
グルグルし始めると、「グルグルしているのは誰ですか?」と言ったぐらいではもう止まらないのですが、自覚を促すべく一応は何度か声掛けします。
それでもグルグルが止まらなかったとき、「言うたらダメゲーム」の発動を宣言するのです。
息子がそれ以上、その問題の言葉を言ったときは、息子にその言葉を言ったことを伝えて、頭を手でしばくのです(これを虐待と言う人もいるでしょうが、そんなことは気にしません、笑)。
もちろん、息子にはこのゲームのルールを繰り返し、何度も説明します。
ゲームを始めたときは、息子がグルグルに嵌ってしまって問題の言葉を発する度に、ルールを説明して頭をしばく、ということを延々と繰り返していました。
頭をしばくと息子の状態が余計に乱れてしまったり、泣き出してしまうこともありましたが、まずは徹底的にやってみようと思い、息子が問題の言葉を発する度に容赦なく頭をしばいていました。
ところが、このゲームに関しては意外に早く、息子が対応するようになったのです。
このゲームを始めて3日目頃くらいだったでしょうか、いつものように息子がグルグルに嵌ってしまったので、息子に「しゃあないなぁ、言うたらダメゲームやるしかないな。ほな、始めるぞ。」と言ったのです。
すると、息子がニヤッと笑ったのです。
私はその息子の様子にピンと来て、息子に「なんやお前、ひょっとしてこのゲームのルールがわかったんか?」と尋ねました。
これに対し、息子はまたニヤッとしながら、「うん」と応えたのです。
「それじゃあ、ゲームをやってみよっか」と言って、ゲームを始めると、それまで「ごはん」等と繰り返してグルグルしていたのがピタッと止まったのでした。
私は、息子に「凄いやないか、グルグルを止めれたやないか」と言って、息子を褒めてやりました。
この「言うたらダメゲーム」も万能である訳ではなく、息子の状態が悪く、情緒が余りに不安定になっているときは、やはりどうしようもなく、いくら頭をしばいてもどうしようもないときも多々ありました。
それでも、前述の「ハッとしてグー」とこの「言うたらダメゲーム」等を組み合わせて、繰り返し繰り返し、息子に自身の様子を自分で気づかせ、ブレーキをかけさせ、切り替えさせるように働きかけました。
この「言うたらダメゲーム」に関連して、息子の知性の発達が窺えた話があるので、それを書きたいと思います。
息子がドライブに行きたくなり、「車さんぽ」と繰り返し、グルグルし始めたときでした。
いつものように「言ったらダメゲーム」を発動し、息子が「くるま」とか、「くる」とか、「く」と言ったところで何度か頭をしばいた後でした。
息子が暫く静かになった後、「がいしゅつ(外出)」と言ったのです。
なんと息子が、禁止ワードを避けて、言葉を替えてきたのです。
これに対して、私はすかさず「「がいしゅつ」と言うのもダメだからね」と伝えたのです。
すると今度は、息子がさらに言葉を替えて「ようい(用意)」と言ってきたのです。
「「ようい」と言うのもダメ」と伝えると、今度はさらに「いきたい!」と言ってきました(笑)。
「「いきたい」もダメ」と伝えると、もう我慢の限界だったようで、怒り出し、私に掴みかかってきました(笑)。
このときは、相当ドライブに行きたかったようです(笑)。
この話の最後に、息子にまつわる別のエピソードを紹介したいと思います。
実は私は、社会に出て最初の約二十年間はデスクワーク系の仕事をしていたのですが、その仕事を辞めてから現在の農家を始めるまでの5年間は、成人の知的障害者入所施設で支援員として働いていました。
その施設は、息子のような知的障害のかなり重い方々を中心に受け入れているところで、利用者の多くは全くあるいは殆ど言葉を話せないような人たちでした。
そのような特に重い障害を抱えた人たちに対して、何をしたくてこの世に生まれてきたのだろうという疑問が私の中にあったのです。
そのような人たちは、何もしなくてもそこに居るだけでいいんだ、という考えもあり、それはそれである程度は的を得ているところもあるようには思われますが、私はそれでは納得できませんでした。
彼らなりに何かあるのではないか、と私は考え続けていました。
そんな訳で、私は時折、息子に対して「お前はこんな身体でわざわざ何をしに生まれてきたのか?」と問いかけていました。
もちろん、応えが返ってくるはずもないのですが、わざわざ、どうして、という疑問に、息子の障害の不憫さが相まって、息子に対して呟かずにはいられなかったのです。
いつだったか、息子が前述の「ハッとしてグー」をやり始めた頃だったかは忘れましたが、私がまた息子に、「お前はわざわざ何をしに生まれてきたのか?」と問いかけていたときでした。
そのとき私は、息子が何をしに生まれてきたのかが、ハッとわかったのです。
息子は自身の障害に取り組むべく生まれてきたことがわかったのです。
息子だけでなく、障害を持って生まれてくる人、あるいは生まれてから障害を持つ人は、その障害に取り組むべく生まれてきていることがわかったのです。
それがわかったとき、私は嬉しくて涙をこぼしながら、「そうか、そうだったのか、お前は凄いヤツや」と言って、息子の頭を撫でてやりました(私は感動すると、直ぐに涙が溢れてしまいます^^;)。
息子は意味がわからず、ポカンとしていましたが。
それ以来、私は息子や重い障害を抱えた方々に対する考え方が大きく変わりました。
それまでは、彼らのことを不憫な人とか、何かの因果で罰ゲームのような人生を歩んでいるのかとか、幼稚な余り訳がわからず過酷な人生に飛び込んでしまったのかとか、そのように考えているところがありました。
しかし、それ以後は、彼らのことを果敢な挑戦者として、また対等なひとりの人間として考えるように変わりました。
知的障害は、人が人であるための重要な要素である自我の活動が難しくなります。
そのため、重い知的障害を持つ多くの人たちは、人生の営みや取り組みが、自らの感情や衝動、周りからの影響に流されるまま、されるがままといった具合に、どうしても漫然としたものになりがちです。
残念ながら彼らの多くには、自身の障害への取り組みや精神的な成長が見受けられないのです。
そんな彼らに対して、私はお節介に、「〇〇(利用者の名前)はそれでいいのか」とか、「そのまま何もしないで死んでいくつもりなのか」とか、「自分は何をしに生まれてきたのか、思い出せ」と、呼びかけていました。
彼らにも、持って生まれてきた自分の本心を振り返ってもらいたかったのです。
このような呼び掛けは、周りに他の職員が居ないときにやっていました。
私が上記のような呼びかけをすると、普段はぼーとして余り反応が無いような人でも、明らかに嫌がったり、苦しそうな素振りを見せたり、激しく私に突っ掛かってきたりするのです。
それに対し私は、嫌がられても彼らの意識に突き刺すように繰り返し呼びかけていました。
自分が閻魔大王になったかのように。
でも残念ながら、自身の障害への取り組みに繋がるような人はいませんでした。
上記の「〇〇はそれでいいのか」、「そのまま死んでいくつもりなのか」、「自分は何をしに生まれてきたのか、思い出せ」等の呼びかけは、息子に対してもやっていました。
息子に対しては力余って、「お前は世界中の自閉症者が出来なかったことをやろうとしている」とか、「お前ならきっとできる」とか、「どんどん上手になってきている」とか、「お前は自閉業界の革命児になれ」なども呼びかけていました。
なぜか、息子はこのような私の呼びかけをそれなりにちゃんと聞いたのです。
全く聞かなかったり、嫌がって爪を立ててくるときも多々ありましたが、しっかりと私の目を見て聞くときもあったのです。
そして、情緒が不安定になりそれを踏み止まろうと格闘している様子などから、自身の障害への取り組みの様子がしっかりと見て取れたのです。
また、それが意識の成長に繋がっている様子も見て取れたのです。
だから、私の方も、そのような息子に対する取り組みを続けることができのだと思います。
息子ももう二十歳になり、ひと段落というか、もういいやと思っているのか、この頃は余り私の言うことを聞かなくなってきました(笑)。
私が「ハッとしてグー」を伝えたり、呼びかけをしようとすると、手で私を突っぱねて「いやだ」と言ったりもします(笑)。
息子なりに自立したのかもかも知れないと思い、嬉しくもあり、少し寂しさを感じるところでもあります。
おしまい。
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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