◇悟りの階梯◇
2年以上前から、悟りの階梯について改めてまとめ直そうと思っていたのですが、気が向かずそのままになっていました。
今回の内容は、これまでごちゃごちゃと複雑になっていた部分を切り捨てて、スッキリとさせました。
おそらく、これが最終的な形となります。
悟りの階梯は、小悟、大悟、解脱の3階層です。
小悟の要件は、観照意識の確立です。
小悟によって、私と考え、あるいは私と世界が分離され、起こってくる考えや事柄に翻弄されることがほぼ無くなります。
この悟りへの手段は、例えば、外側(世界)に対するこうあるべき、これが正しい等の囚われの大半を手放すことです。
大悟の要件は、私とは意識であり、世界そのものであることの理解です。
この悟りへの手段は、例えば、私自身に対するこうあるべき等の囚われの大半を手放すことです。
解脱の要件は、根本的な苦に対する理解と、その苦に対する自らの衝動の停止です。
これによって、私という存在そのものが苦であり、どうにもならないことを理解します。
この悟りへの手段は、例えば、考え(囚われ)を何も握っていない状態に至り、依然として苦しんでいる自らの姿に気づくことです。
(補足説明)
これまでの内容では明け渡し等によって得られる状態を小悟に含めていましたが、今回の内容で未悟としました。
また、これまでの内容では「見るものは見られるもの」を体験した状態を大悟に含めていましたが、今回の内容で大悟から除外しました。
いずれの悟りも、私に意識を向け、私が握りしめている考え(囚われ)に気づき、手放していくことで至れます。
(記事の修正、2018年10月2日)
上記の記載の大悟のところで、大悟の要件を無常、無我としていたのですが、いろいろ考えた結果、自分の理解に一番合致した自分の言葉で大悟の要件を表現することにしました。
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
哲学・思想 ブログランキングへ
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今回の内容は、これまでごちゃごちゃと複雑になっていた部分を切り捨てて、スッキリとさせました。
おそらく、これが最終的な形となります。
悟りの階梯は、小悟、大悟、解脱の3階層です。
小悟の要件は、観照意識の確立です。
小悟によって、私と考え、あるいは私と世界が分離され、起こってくる考えや事柄に翻弄されることがほぼ無くなります。
この悟りへの手段は、例えば、外側(世界)に対するこうあるべき、これが正しい等の囚われの大半を手放すことです。
大悟の要件は、私とは意識であり、世界そのものであることの理解です。
この悟りへの手段は、例えば、私自身に対するこうあるべき等の囚われの大半を手放すことです。
解脱の要件は、根本的な苦に対する理解と、その苦に対する自らの衝動の停止です。
これによって、私という存在そのものが苦であり、どうにもならないことを理解します。
この悟りへの手段は、例えば、考え(囚われ)を何も握っていない状態に至り、依然として苦しんでいる自らの姿に気づくことです。
(補足説明)
これまでの内容では明け渡し等によって得られる状態を小悟に含めていましたが、今回の内容で未悟としました。
また、これまでの内容では「見るものは見られるもの」を体験した状態を大悟に含めていましたが、今回の内容で大悟から除外しました。
いずれの悟りも、私に意識を向け、私が握りしめている考え(囚われ)に気づき、手放していくことで至れます。
(記事の修正、2018年10月2日)
上記の記載の大悟のところで、大悟の要件を無常、無我としていたのですが、いろいろ考えた結果、自分の理解に一番合致した自分の言葉で大悟の要件を表現することにしました。
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精神統一なんかしなくっても
いつも精神統一はある
なんの努力もいらない
努力しても
なんの努力もいらない精神統一のなかにある
だからとけていくだけ
みんな兄弟すべて同じ
いつもつながっている
ハート・自然瞑想