◇彷徨い人◇
私たちはつい、何かに拠り所を求め、それに縋り付こうとします。
その対象をよく確かめもせず、握り締め、それに頼ろうとします。
その姿は幼子のようでもあり、疲れ果てた旅人のようでもあります。
その道のりの中で時折何かを見つけ、「これだ!」、「ここだ!」という喜びが訪れます。
しかし、それらは一時的なものであり、過ぎ去ってしまいます。
そして、喪失感が残ります。
最初のうちは、それが幻であることさえ気づきません。
同じような行程を何度も何度も重ねるうち、印象が積み重ねられ、少しずつ分かっていきます。
「これじゃない」、「何か違う」と。
そして、信じられるものは何もない、どこにも拠り所は無いということが分かっていきます。
そうすると次は、虚無感に苦しめられるようになります。
それでも、彷徨い続けます。
彷徨い続けている自らの姿に気づくまで、それは続きます。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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私たちはつい、何かに拠り所を求め、それに縋り付こうとします。
その対象をよく確かめもせず、握り締め、それに頼ろうとします。
その姿は幼子のようでもあり、疲れ果てた旅人のようでもあります。
その道のりの中で時折何かを見つけ、「これだ!」、「ここだ!」という喜びが訪れます。
しかし、それらは一時的なものであり、過ぎ去ってしまいます。
そして、喪失感が残ります。
最初のうちは、それが幻であることさえ気づきません。
同じような行程を何度も何度も重ねるうち、印象が積み重ねられ、少しずつ分かっていきます。
「これじゃない」、「何か違う」と。
そして、信じられるものは何もない、どこにも拠り所は無いということが分かっていきます。
そうすると次は、虚無感に苦しめられるようになります。
それでも、彷徨い続けます。
彷徨い続けている自らの姿に気づくまで、それは続きます。
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こんにちは(^^)
前回掲示板に書いた時がまさしく虚無感でした
その時は全ての行動は「頑張ったらその分だけ楽しい気持ちになる」に気付いて何もしたくなくなっていました。
色々と「めんどくさい」という考えが起こってくる行動をしながら自覚してみました。
春になってのでめんどくさい草抜きをしてみた
仕事に通うのを車から時間のかかる歩きにしてみた
自転車にしてみた。
夕飯の後ゆったりしたいけど食器を洗ってみた
乾いた頃に片付けてみた
小さいけど達成感とゆう楽しい気持ちが出てきました。
特別なことをしなくても他人に評価されなくても
今は虚無感から解放され淡々と行動をして
こんな仕組みなんだ~と実感してます。(^^)
また、慧空さんの言葉にするとこんな表現になるんだな~っと楽しく読ませていただきました!ありがとうございます。(^^)
めがねさんは、虚無感と上手に付き合っておられるのですね。
私は十代の終わりにそれと直面することになり、まだ若かったこともあり、大変でした。
死ぬことばかり考えてました。(^o^)
私の場合は、「こんなもんだ」とか、「それでも生きて行くしかない」と開き直れることでやっと抜け出せました。
いまから思うと、私の場合は、実はその経験がとても重要な過程だったんだと思っています。
愛でも光でもありません。
私とは考え(幻)ですが、敢えて他の表現をするとすると、意識という表現がしっくりとくるように思っています。