◇苦と反応◇
今回は、苦と反応という切り口で書いてみたいと思います。
まずは、わかりやすいところから。
あなたが痒みを感じて、それを手で掻いたとしましょう。
このとき、あなたは痒みという苦を感じ、それを解消すべく手で掻いた訳です。
では、あなたが何気なく手を動かすときはどうでしょう。
あなたは、その手をどうして動かしたのでしょう。
あるいは、あなたの手はどうして動いたのでしょう。
手に限らず、何気に脚を組んだときや、脚を組み替えたときは、どうでしょう。
そこに、何らかの苦があったのではないでしょうか。
目に映った映像や耳に入った音に対してあたなの意識が反応するときも、同様の展開が起こっています。
あなたが気になったその映像や音は、苦ではありませんか。
あるいは、あなたのその意識の動きも、苦ではありませんか。
苦は、日常のあらゆる事象や、意識の動きに見ることができます。
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇自覚の要領をひとつにまとめた有料記事「自覚のヒント」のご案内はこちらです。
◇有料のスカイプ個人セッションのご案内は、こちらです。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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まずは、わかりやすいところから。
あなたが痒みを感じて、それを手で掻いたとしましょう。
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では、あなたが何気なく手を動かすときはどうでしょう。
あなたは、その手をどうして動かしたのでしょう。
あるいは、あなたの手はどうして動いたのでしょう。
手に限らず、何気に脚を組んだときや、脚を組み替えたときは、どうでしょう。
そこに、何らかの苦があったのではないでしょうか。
目に映った映像や耳に入った音に対してあたなの意識が反応するときも、同様の展開が起こっています。
あなたが気になったその映像や音は、苦ではありませんか。
あるいは、あなたのその意識の動きも、苦ではありませんか。
苦は、日常のあらゆる事象や、意識の動きに見ることができます。
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でも慧空さんの文章にあるように食べることの中にわずかではあるがポジティブな要素があるわけですね?それでは、一切全てが苦って言うわけでもないってことですか?
食べることは、確かにポジティブな要素が無い訳ではないと思います。
しかし、そのようなポジティブ側への振れも煩わしさという苦を伴っています。
いつもありがとうございます。ポジティブにせよネガティブにせよ、やがて戻ってこなければならない道をまた同じようにいって戻らなければならない煩わしさ、非悟りの私にも分かります。もしかすると慧空さんのように悟りの進んだ方ではポジティブってなんだ?というような視点もおありなのかとも想像しました。
私は今回少し救いのようなものを見つけたようにおもっています。少なくとも非悟りの私にある食べることに伴って起こる考えを注意深く選り分けていくと、純粋にポジティブな考えがあるのかもしれないと思ったからです。
慧空さんがおっしゃるように、ポジティブな要素に常に苦が付随していたり、その要素が原因となって必ずその後苦が生じるとしても、本質的にポジティブな傾向を持つ要素があると思えたのです。
今の私の理解では、苦は不偏ですが全てではない。と理解したんです。この理解は非悟りの人にしか成り立たないのかもしれないですが、私としては嬉しい発見でした。