須永博士美術館スタッフブログ

熊本県阿蘇郡小国町にある、須永博士美術館。スタッフ佐藤から様々な情報をお伝えします。

今日1日

2011年11月18日 | スタッフより
朝、石森さんと津田さんが仙台に迎えに来てくださってから、丸々1日をかけて東松島の鳴瀬第一中学校さん、

そして石巻へ行き、石森さんの働く菅原眼科さん、貞山小学校さん、

日和山へ登り、

2009年に須永博士講演会を行った石巻文化センターも見え

そして漁港のあたりから、女川町、雄勝町の惨状を見て、

大川小学校さんへ…

そして、飯野川第一小学校さんの校舎を借りて勉強している大川小学校さんの校長先生、教頭先生にお会いして…

石巻の夕暮れは早く、午後5時には真っ暗になりました。

それから、仙台駅まで送っていただき、今は東京に帰る新幹線の中です。

昨日もまだ全て書いてないし、今日1日のことは、ゆっくりと書かなくては…


本当にこの現実を見ることができ、昨日は高平さん、阿部さん、恵美子さん

今日は石森さん、津田さん、菅原眼科の皆さん、貴重なお時間をいただいた先生方や貞山小学校の4-2の皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです!!

人間ってすごい。

自然の威力は人間の想像を、作り上げたものを簡単に壊し、

あり得ない現実が目の前にあるけれど、

負けちゃいない!!

強い!!

笑顔に勝るものは無い!!

涙もいっぱいこぼれた1日でしたが、それ以上に、いっぱい笑いました\(^O^)/

感動もしました!

菅原眼科さんで来年のカレンダーを従業員の皆さんにお渡しした時、

来年のカレンダーのタイトル

「一歩前へ」を見て

「ありがとうございます!
今日は、三歩前へ出ました!!」

と言ってくださったこと…
貞山小学校の4-2の皆さんが、力強い歌を歌ってくださったこと…

被災した場所に花を植えていたボランティアの皆さんを見たこと…

解体していた家で、警備をしていた女性と、友達と思われる女性の涙の再会の場面に遭遇したこと…


昨日と今日の2日間で見させてもらったことは、必ずできる限り、皆さんにお伝えします!

どう感じるか、それは皆さんそれぞれかもしれませんが、

今も、こんなにも大変な状況の中で、一歩一歩、ひとつひとつを乗り越えながら生きている東北の方々がたくさんたくさんいること

それを知ることができた私の使命でもあります!

やります!!


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いざ、石巻へ!!

2011年11月18日 | スタッフより
まだ昨日の続きを書きたいところですが、石巻から、津田さんと石森さんが仙台までお迎えにきてくださいました\(^O^)/

今から、いざ石巻へと向かいます!

今日も快晴です(^-^)
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仙台にて 7 日本三景、松島へ(^O^)

2011年11月18日 | スタッフより






松島インターを降りると、仙石線の松島駅が頭上にあり、その先には観光バスが何台も停まっていました。

阿部さんも「おぉ、あのお店も再開したんだぁ~」とホッとした様子でした。

ずらっと並ぶお土産屋さんも結構開いていて、観光客の皆さんでにぎやかです。

「この辺は、大丈夫だったんだ…」
と、仙台市内から30分くらいの松島にきて、美しい風景を見ながら、この違いにやっぱり戸惑いました。

阿部さんに待ってもらい、高平さん、安藤と私で歩いてみることにしました(^-^)

まずは、五大堂へ。

五大堂の赤い橋を見て………


あ!ここだっ!!

母と弟と妹と、たしか私が小学校低学年の頃にきた場所だ!!
赤い橋を、こわごわ渡った記憶がよみがえってきました(^-^)

ふたつの赤い橋を渡ると、小さな島の上に、五大堂がありました。

現在の五大堂は、1608年に伊達政宗の命で建立されたものだそうです。

400年以上も前からこの場所で、この松島を守ってきたんですね…

お参りして、お堂の上の素晴らしい彫刻を眺めていると、猿、蛇、にわとりなどの彫りものが。

「あ、そういえばこれって十二支だ!」

と高平さん(^O^)/

せっかくだから、自分の干支のところで写真撮ろうよ!

と一番下の写真、申年生まれの安藤と、指さしている先のさるの彫り物(^-^)

「松島は大丈夫だったんだ…」
とこの時、少し安心したけれど、実際は大変な状況だったことをこのあと、知りました…

続く。
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仙台にて 6 仙台港北インターから松島へ

2011年11月18日 | スタッフより
今回の仙台での1日は、高平さんに全てコースをおまかせして計画を練ってくださいました(^-^)

個人タクシーの阿部さんは、高平さんの仕事のお客様なんだそうです。

わたしたちが来ることや、わたしたちの想い、高平さんの想いに全面協力してくださり、走り慣れた仙台の町を走りながらも、ご自身の3月11日の様子や、今までの事も教えてくださり

今ここまで復興が進んでいるけれど、あの時はどんなに大変だったか……

貴重なお話をたくさん教えてくださいました。

震災当日は、塩釜にいたそうです。

大きな揺れは、最初、地震だとは思えないほどで、車にしがみついて、車ごとひっくり返ってしまうんじゃないかと…

揺れがおさまってからも、ずっと大きな揺れが続いていて、仙台市内まではすぐに車の渋滞がはじまり、

普段ならば30分で帰る道のりが、5時間半かかったそうです。

途中、信号で止まるたびに、大きな揺れで上からものが落ちてこないか…

それが心配だったと言ってました。

車の中でテレビをつけていると わたしたちも見たあの映像…

仙台空港、名取川…

「嘘だろ~~」

と、車を運転していた阿部さんも、いつもお客様を乗せて走っていた場所の変わり果てた姿に、絶望を感じていたそうです。

そのあとは、保険会社の方を乗せて、契約者の方々を探して宮城、岩手各地をタクシーで走りまわってきたのですが、

契約してある住所に家は無く

避難しているのもどこだか分からないから、ひとつひとつまわって、探してきたけれど、見つからない人もまだまだ多いそうです。

1日中走りまわって、やっと2人見つけることができた……と

でも、道路には色んなものが散乱していて、車のパンクもかなりしてきたそうです。

テレビや新聞では知ることができない、この現地で住んでがんばっている人が、まだまだ、た~~っくさんいるんだな……と、

阿部さん、高平さんの話しを聞きながら、松島へ向かうことになりました(^-^)
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仙台にて 5 名取・閖上地区へ

2011年11月18日 | スタッフより















仙台空港を出発し、海岸方面に車を走らせると、すぐに一面茶色の世界が…

「ここ、み~んな家があったんですよ」
とドライバーの阿部さん。
「あの松林だって、ずら~っとぎっしり立ってたんです。それが今はあれだけに…」

さっき空港から見えた松林が、かなりの長い距離に立っているのが見えますが、この道路と松林の間には、たくさんの方の家が建ち並んでいたんですよね…

「あれ、何だろう!!」と高平さん、安藤が後ろの席で言っていたのが、小さな神社のようなもの

上の三枚目の写真に写っています。

周りはすっかり片付けられていて、ぽつんとあります。

助かったのかな…

空港よりも海沿いの県道を走り、右を見ても左を見ても更地になりつつある風景がずっとずっと続きます。
作業している重機もあちこちにあり、

かろうじて形が残っている民家もありますが、二階部分まで窓もなく、中もがらんとしています。

ぽつんぽつんと残っている民家も、取り壊されている最中の家もあります。

立派で、まだきれいな家もあるのに…

作業している方々は、もくもくと草きりをしていたり、重機でつかんだものをトラックに積んだり…
本当に手作業でひとつづつなんだなぁ…

それにしても、あまりにも範囲が広い!!

こんなにも、津波が町を襲うなんて…

「自分がこの辺に住んでいたら、“まさかここまでは来ないだろう…”と思って、逃げなかっただろうな…」
と阿部さん。

そんなくらい、海から離れた場所も流されてしまっています。

「あれ、これって電車!?」

オレンジ色の車両が道路脇にあります。

「これってどこのだ…?
この辺のじゃないなあ…」と。

こんなに大きな電車が…

船も、まだいくつも道路脇や、更地の真ん中にあります。

「どっから来たのか、誰のだか、わかんないんだろうな…」と阿部さん。


「まだまだこれから…」

震災から8ヶ月が過ぎ

避難所ももう無くなり

ほとんどの方が仮設住宅などに移り、

被害の無かった人は、今までどおり普通の生活をしている…


だけど!!

今、この瞬間も流されてしまった民家を片付けたり、
ぐちゃぐちゃになった車を運び、

それぞれの撤去場所に積んでゆく作業が続けられています。

「ここに住んでいた人は、今どこで、大丈夫なんだろうか…」

本当に範囲が広いです。

広すぎる。

それと、ぐちゃぐちゃになったガードレールや、鉄骨の建物も曲がってしまっていたり

なのにふと反対を見たらしっかりと建っている住宅街が

という場所がありました。
それは、ほんの数メートルでの違いです。

仙台駅からこちらまで通ってきた東部道路、この東部道路があったおかげで助かった…という家もたくさんあるそうです。

この無情さが、本当に悔しいくらいでした。

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仙台にて 4 仙台空港の中

2011年11月18日 | スタッフより







空港ロビーに展示コーナーがあり、羽田空港に置かれてあったたくさんの方からの寄せ書きボードや、折り鶴、そして九州の自衛官の方からの折り鶴と応援メッセージなどがありました(^-^)

九州の自衛官の方は、名前は伏せてくださいと書かれてありましたが、実際にここに来て作業を経験された方でした。

“行きたいけれど、いつになるか分からない。
だけど心から心配し、応援しています。”というようなお気持ちがすごくすごく伝わるメッセージでした。

ボードに書かれた寄せ書きも、ひとつひとつが力強いです。

実際にここに来て何かができる訳ではなくても、想いを寄せて言葉でエールを送りたい!

そう思っていた人は、たくさんたくさんいますよね!
まだまだこれからも、そういう事も続けていって欲しいですねo(^-^)o


柱に、津波到達のしるしがありました。

3.02メートル!
一枚目、二枚目の写真で安藤が立っている柱の上のブルーのラインです…
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仙台にて 3 仙台空港の中

2011年11月18日 | スタッフより








今はたくさんの人が利用できるようになった仙台空港、3月11日はどんな様子だったのか想像つかなかったけれど、空港の中に当時の写真コーナーがありました。

見ると、今自分達が通ってきたきれいな空港前の凄まじい写真がありました。

他にも、滑走路に流れついた無数の自動車、空港出入口はぐちゃぐちゃ……

ロビーも泥だらけ…

それが今はこんなに綺麗になって……

すごい!

滑走路が見える場所に行くと、あの時あんなにひどかった場所が、とてもきれいになっていて…
でも、視線を右に移すと、松林があるけれどそれもポツン、ポツン…という感じで立っています。

すぐそこ…約1キロ先は、海です。

よく、ここまでになったなあ…

だからこそ、遠くから飛行機で仙台に来れる人、仙台から遠くに行ける人がいるんですよね。

時刻表を見ると、仙台空港から福岡空港への飛行機もありました。

九州からも、飛行機で行き来ができるんですねp(^^)q
ここまで復旧させた方々の努力は計り知れないですが、本当に本当にすごい!
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