もう、4週続けて走っている新中川の遡上です。
上流は中川となり埼玉県界に支流大場川がある。
この水門を右(東)に進むと水元公園があるが
今日は水門を渡って北上して越谷市を目指した。
地図帳や軍手等をリアバックに入れた電動アシストMTBが相棒です。
状況によっては飛び入りでボランティアをするつもりです。
潮止橋を渡り中川をそれて県道115号で北を目指す。
JR武蔵野線貨物ターミナル跨線橋の上からパチリ
橋の上は防音壁が高くて良く見えない。
珍しい工事用の機関車がありました。
せんげん台駅を過ぎて国道4号線が近づけば東方向へ曲がる。
間もなく到着したのが越谷市大杉町の老人福祉センター。
ボランティアの受付やブルーシート等、緊急支援物資が配られた拠点。
休日は休みでした。
竜巻発生直後は不眠不休で職員が対応していたのでしょうね。
被害を受けた建物は見つからず裏手にある大杉橋を渡って反対岸が見えたら
この辺りから被害が始まっていて一番被害が大きい場所でもあった。
あちこちで修理しておりました。
坂を下ったあるお宅ではご婦人が植木の片付けをされていて話しかけてみた。
「こんにちは~江戸川区大杉町から自転車でやってきました
同じ町名のよしみで遅くなりましたがお手伝いします」
こんな感じで切り出したからでしょうか色々とお話することができた。
テレビの取材って本当の事を伝えていない!と怒ってました
「でもこちらのお住まいは被害が少なくて幸いでしたね」と言ったら
「2階の部屋は天井が無いから梁が丸見えでしょ?」と奥様。
2階の窓越しで会話に参加していたご主人の姿が消えたと思ったら
航空写真を見せに外に出てきてくれました。
「うわぁ…」窓ガラスが割れて入り込んだ竜巻に屋根瓦が吹き飛ぶ被害。
やっとこさ、修理と片付けが終わったところだった。
ご主人は割れたガラスで怪我を負いながらの復旧だったそうです。
やはり全国から駆けつけてくれたボランティアさんたちには勇気をもらい
とても感謝していると熱く語ってくださった。
私は話し込みが良い方だがここの奥様も話が好きらしい(笑)
しかも実家が登米市(南三陸町の西隣)で震災から間もなく
壊滅した町を見ている。
私の活動も伝えてみたら「あの時の風景はまるで白黒写真みたいだったわ。
あなたも精神的に辛かったでしょう?」
5月22日のことを話しました。
朝から小雨で外での活動が中止になり自衛隊員が回収してくれた写真を
山間部にある廃校(入谷中学校)の教室に整理・陳列をしたこと。
手前の教室には位牌がずらりと並び持ち主を失ったランドセルが
多くのボランティアさんを苦しめたこと。
「うん、分かるわ。私も親類を探しに棺が並ぶ体育館に行ったから…」
「あら、冷たい物も出さないで長話しちゃってごめんなさいね」
何時、自分が被災者となるか分からない気象異常に
助けに行ける時は助けに行く!そんな覚悟を伝えて走りだした。
竜巻が通った道が分からずに産業道路を進むと
被災住宅が見えてきた。裏手はもっと酷い状態です。
窓ガラスが無くなっている家は住むことが出来ない全壊認定です。
修理可能ならば半壊で災害見舞金(雀の涙)しか支給されない。
振り返ったテニスコートは閉鎖に追い込まれた。
ネットが張られた支柱がほとんど折れています。
竜巻の進行方向に合わせ幹線道路を東に向かい江戸川の土手で帰る予定。
北陽中学校だったかな?体育館の窓は全壊でした。
北側に被害を見つけた。
マスコミ関係かタクシーで廻る方も多かったが私はこの辺で
目的をサイクリングに戻した。
野田橋から江戸川CR西岸を南に向かえば家に帰れます。
予報を超えた真夏の気温に水分補給をしながら向かい風にも負けず
アシストを使いながらローディーに抜かれっぱなしのへタレおやじでした。
彼岸花を見つけても疲労は回復しないんだな、これが。
走行距離は74km、所要5時間の走りでした。
行きの草加市で牛丼大盛Aセット(味噌汁+サラダ)を補給。
体重、減ったかなぁ???
上流は中川となり埼玉県界に支流大場川がある。
この水門を右(東)に進むと水元公園があるが
今日は水門を渡って北上して越谷市を目指した。
地図帳や軍手等をリアバックに入れた電動アシストMTBが相棒です。
状況によっては飛び入りでボランティアをするつもりです。
潮止橋を渡り中川をそれて県道115号で北を目指す。
JR武蔵野線貨物ターミナル跨線橋の上からパチリ
橋の上は防音壁が高くて良く見えない。
珍しい工事用の機関車がありました。
せんげん台駅を過ぎて国道4号線が近づけば東方向へ曲がる。
間もなく到着したのが越谷市大杉町の老人福祉センター。
ボランティアの受付やブルーシート等、緊急支援物資が配られた拠点。
休日は休みでした。
竜巻発生直後は不眠不休で職員が対応していたのでしょうね。
被害を受けた建物は見つからず裏手にある大杉橋を渡って反対岸が見えたら
この辺りから被害が始まっていて一番被害が大きい場所でもあった。
あちこちで修理しておりました。
坂を下ったあるお宅ではご婦人が植木の片付けをされていて話しかけてみた。
「こんにちは~江戸川区大杉町から自転車でやってきました
同じ町名のよしみで遅くなりましたがお手伝いします」
こんな感じで切り出したからでしょうか色々とお話することができた。
テレビの取材って本当の事を伝えていない!と怒ってました
「でもこちらのお住まいは被害が少なくて幸いでしたね」と言ったら
「2階の部屋は天井が無いから梁が丸見えでしょ?」と奥様。
2階の窓越しで会話に参加していたご主人の姿が消えたと思ったら
航空写真を見せに外に出てきてくれました。
「うわぁ…」窓ガラスが割れて入り込んだ竜巻に屋根瓦が吹き飛ぶ被害。
やっとこさ、修理と片付けが終わったところだった。
ご主人は割れたガラスで怪我を負いながらの復旧だったそうです。
やはり全国から駆けつけてくれたボランティアさんたちには勇気をもらい
とても感謝していると熱く語ってくださった。
私は話し込みが良い方だがここの奥様も話が好きらしい(笑)
しかも実家が登米市(南三陸町の西隣)で震災から間もなく
壊滅した町を見ている。
私の活動も伝えてみたら「あの時の風景はまるで白黒写真みたいだったわ。
あなたも精神的に辛かったでしょう?」
5月22日のことを話しました。
朝から小雨で外での活動が中止になり自衛隊員が回収してくれた写真を
山間部にある廃校(入谷中学校)の教室に整理・陳列をしたこと。
手前の教室には位牌がずらりと並び持ち主を失ったランドセルが
多くのボランティアさんを苦しめたこと。
「うん、分かるわ。私も親類を探しに棺が並ぶ体育館に行ったから…」
「あら、冷たい物も出さないで長話しちゃってごめんなさいね」
何時、自分が被災者となるか分からない気象異常に
助けに行ける時は助けに行く!そんな覚悟を伝えて走りだした。
竜巻が通った道が分からずに産業道路を進むと
被災住宅が見えてきた。裏手はもっと酷い状態です。
窓ガラスが無くなっている家は住むことが出来ない全壊認定です。
修理可能ならば半壊で災害見舞金(雀の涙)しか支給されない。
振り返ったテニスコートは閉鎖に追い込まれた。
ネットが張られた支柱がほとんど折れています。
竜巻の進行方向に合わせ幹線道路を東に向かい江戸川の土手で帰る予定。
北陽中学校だったかな?体育館の窓は全壊でした。
北側に被害を見つけた。
マスコミ関係かタクシーで廻る方も多かったが私はこの辺で
目的をサイクリングに戻した。
野田橋から江戸川CR西岸を南に向かえば家に帰れます。
予報を超えた真夏の気温に水分補給をしながら向かい風にも負けず
アシストを使いながらローディーに抜かれっぱなしのへタレおやじでした。
彼岸花を見つけても疲労は回復しないんだな、これが。
走行距離は74km、所要5時間の走りでした。
行きの草加市で牛丼大盛Aセット(味噌汁+サラダ)を補給。
体重、減ったかなぁ???