かなりブログの間隔があいてしまいましたね~~。
特別なことがあまりなくて、そうするとどうも書こうと思えなくなってました。
がっかりしたことだけは幾つか身近におこっています。
まず一つ目。
先週末の朝日・日曜版別紙の村上春樹最新本『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』について(朝日プラス・シーより)。
半月ほど前に友人と『IQ84』全巻と交換で、この最新本を読み終えていました。
まぁ~ひどいもんです。
本当にがっかりしました。
というのには、理由があるのです。
村上作品の中心は、「死、性(生)、暴力」の3つがモチーフです。
それを多少リッチな小物や設定状況で彼なりに小説に仕上げているように感じる。
この「彼なり」というのが、彼がバブル(現在の中国に近い)のころから
人間的に成長を遂げていないのがなんとも哀しい。
もう60代半ばかな?
作家として成熟できていない現実が見てとれ、
最新作への期待が高かっただけに
読者としてかなり「がっかり」でした。
色に対して私なりの解釈や仮説があり、
色を持たない人間がどのように人間的に豊かになっていくのか。
すごい期待満々で読んだからです。
おまけに固有都市、中部・名古屋が主人公・つくるの舞台となっているじゃないですか。
足かけ5年ほど通学した大学までの馴染み深い場所という設定もあり、
かなり期待満々だったのです。
その膨らんだ大きな風船が破裂した感が否めません。
有名大学を出て、大企業に就職、お洒落なライフスタイルをしつつ
心は空虚、というありきたりの設定がもう現在の状況から大外れというのも
なんとも哀しいです。
彼はどこへ行くんでしょうね。
次のがっかりは、姉のガンがらみともかぶること。
先週のTIMEは、「アンジェリーナ・ジョリー効果」というカバーストーリー。
彼女のような行動をした人は、私がプロテスタント教会主宰の英会話教室の講師からも見聞きしました。
その講師(アメリカ人宣教師&英会話教師)の実姉さんが片方の乳房にガンができたのです。
もう片方にはなにもないのに、リスクがあるのは当然ということでジョリー女史のように、
両方ともいっぺんに切除したと聞きました。
それを聞いたときに、
「そんなにしなくてもエエんとちがいますか?」
と、ありきたりな質問をしました。
そうすると、
「遅かれ早かれ罹患するなら、いっぺんにとってしまったほうがいいじゃないの?」
とあっけらかんと答えられたのが印象的。
じゃぁ、すいガンになった家族暦がある家系の人間は、
予防措置としてすい臓もとってしまう???
一生インシュリンの投与をしなくちゃいけなくなりますぞ。
ここで問題なのは、アメリカ式人間もモノとして考えるという思考じゃないかという点。
私がこのクラスに20年近く在籍して、いつも越えられないハードルを感じていたのが、
何でも解答がすぐ見つかるようなモノの言い方をされたことです。
たとえば、ウツになった→医者に行って薬をもらう、だめならカウンセラーにかかる。
こういう具合です。
そこで何が問題なのかというと、→の部分に葛藤がないこと。
ここにとても大切な「何か」があると私は思うのです。
それは人間の成熟に必要なものじゃないかということ。
キリスト教のクリスチャンでもあるということなので、
最後は神が待っていてくれるという強さもあるのでしょうか。
私はどうしても納得ができなかった点ですねぇ。
最後のがっかりは、私のマスターコースの進み具合。
紆余曲折を経てプロになるのでしょうけど、
私、それほど英語でお仕事がしたいの?と自問自答しています。
姉がらみでiPad版Natureを定期購読したのですが、
TIMEなんて目じゃないほどの難しさ。
よくよく考えると、元々の日本語での同レベルの論文が読めないことも
大きな原因としてあるでしょうね。
日本版NatureのNewtonでも読めないことには始まらないかなぁ??
ここでも結局は日本語力が大切になりますね。
昨夜、NHK総合夜10時からの『プロフェショナル仕事の流儀』で
人間国宝の88歳志村ふくみさんという方が染織家としてどう生きてきたかを特集していました。
http://www.nhk.or.jp/professional/2013/0527/index.html
「雨過天晴」という藍が発酵をし終わり、
最後の最後に出す奇跡の淡い水色に挑戦されていました。
終わりがないから楽しい。
こんな物言いは、私の英語修行でそう言い切れるのか?
うぅぅぅ~~ん、それだけの情熱がないような、あるような????
またまた自問自答が続きます。
私、それほど英語が好きじゃないのかもしれない。
とまぁ、そんな疑問も昨今の私には思えたりしています。
特別なことがあまりなくて、そうするとどうも書こうと思えなくなってました。
がっかりしたことだけは幾つか身近におこっています。
まず一つ目。
先週末の朝日・日曜版別紙の村上春樹最新本『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』について(朝日プラス・シーより)。
半月ほど前に友人と『IQ84』全巻と交換で、この最新本を読み終えていました。
まぁ~ひどいもんです。
本当にがっかりしました。
というのには、理由があるのです。
村上作品の中心は、「死、性(生)、暴力」の3つがモチーフです。
それを多少リッチな小物や設定状況で彼なりに小説に仕上げているように感じる。
この「彼なり」というのが、彼がバブル(現在の中国に近い)のころから
人間的に成長を遂げていないのがなんとも哀しい。
もう60代半ばかな?
作家として成熟できていない現実が見てとれ、
最新作への期待が高かっただけに
読者としてかなり「がっかり」でした。
色に対して私なりの解釈や仮説があり、
色を持たない人間がどのように人間的に豊かになっていくのか。
すごい期待満々で読んだからです。
おまけに固有都市、中部・名古屋が主人公・つくるの舞台となっているじゃないですか。
足かけ5年ほど通学した大学までの馴染み深い場所という設定もあり、
かなり期待満々だったのです。
その膨らんだ大きな風船が破裂した感が否めません。
有名大学を出て、大企業に就職、お洒落なライフスタイルをしつつ
心は空虚、というありきたりの設定がもう現在の状況から大外れというのも
なんとも哀しいです。
彼はどこへ行くんでしょうね。
次のがっかりは、姉のガンがらみともかぶること。
先週のTIMEは、「アンジェリーナ・ジョリー効果」というカバーストーリー。
彼女のような行動をした人は、私がプロテスタント教会主宰の英会話教室の講師からも見聞きしました。
その講師(アメリカ人宣教師&英会話教師)の実姉さんが片方の乳房にガンができたのです。
もう片方にはなにもないのに、リスクがあるのは当然ということでジョリー女史のように、
両方ともいっぺんに切除したと聞きました。
それを聞いたときに、
「そんなにしなくてもエエんとちがいますか?」
と、ありきたりな質問をしました。
そうすると、
「遅かれ早かれ罹患するなら、いっぺんにとってしまったほうがいいじゃないの?」
とあっけらかんと答えられたのが印象的。
じゃぁ、すいガンになった家族暦がある家系の人間は、
予防措置としてすい臓もとってしまう???
一生インシュリンの投与をしなくちゃいけなくなりますぞ。
ここで問題なのは、アメリカ式人間もモノとして考えるという思考じゃないかという点。
私がこのクラスに20年近く在籍して、いつも越えられないハードルを感じていたのが、
何でも解答がすぐ見つかるようなモノの言い方をされたことです。
たとえば、ウツになった→医者に行って薬をもらう、だめならカウンセラーにかかる。
こういう具合です。
そこで何が問題なのかというと、→の部分に葛藤がないこと。
ここにとても大切な「何か」があると私は思うのです。
それは人間の成熟に必要なものじゃないかということ。
キリスト教のクリスチャンでもあるということなので、
最後は神が待っていてくれるという強さもあるのでしょうか。
私はどうしても納得ができなかった点ですねぇ。
最後のがっかりは、私のマスターコースの進み具合。
紆余曲折を経てプロになるのでしょうけど、
私、それほど英語でお仕事がしたいの?と自問自答しています。
姉がらみでiPad版Natureを定期購読したのですが、
TIMEなんて目じゃないほどの難しさ。
よくよく考えると、元々の日本語での同レベルの論文が読めないことも
大きな原因としてあるでしょうね。
日本版NatureのNewtonでも読めないことには始まらないかなぁ??
ここでも結局は日本語力が大切になりますね。
昨夜、NHK総合夜10時からの『プロフェショナル仕事の流儀』で
人間国宝の88歳志村ふくみさんという方が染織家としてどう生きてきたかを特集していました。
http://www.nhk.or.jp/professional/2013/0527/index.html
「雨過天晴」という藍が発酵をし終わり、
最後の最後に出す奇跡の淡い水色に挑戦されていました。
終わりがないから楽しい。
こんな物言いは、私の英語修行でそう言い切れるのか?
うぅぅぅ~~ん、それだけの情熱がないような、あるような????
またまた自問自答が続きます。
私、それほど英語が好きじゃないのかもしれない。
とまぁ、そんな疑問も昨今の私には思えたりしています。